匍匐ほふく)” の例文
たまたま門前に一人の跛者があって、毎日匍匐ほふくして参詣さんけいし、「ドウゾ神様、この足をなおして下され」と一心をこめて祈願している。
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
もの蔭や草むらに、また地に匍匐ほふくしている敵の数も残らず読めた——かるが故に、その陣外にあって、飛び道具を離す二の手はあるまい。
鳴門秘帖:03 木曾の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
嬰児は何処をあてどもなく匍匐ほふくする。その姿は既に十分あわれまれるに足る。嬰児は屡〻しばしば過って火に陥る、しくは水におぼれる。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
このキュウリやナスビなどはその幹枝が空気中にありて上に向い立て居りますが、ハスでは幹枝が水底の泥中にあって横に匍匐ほふくして居るのです。
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
しかし人の話に、壮烈な進撃とは云っても、実は土嚢どのうかざして匍匐ほふくして行くこともあると聞いているのを思い出す。そして多少の興味をがれる。
あそび (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「白」と声をかくるより早く、土足どそくで座敷に飛び上り、膝行しっこう匍匐ほふくして、忽ち例の放尿をやって、旧主人に恥をかゝした。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
鈍重な巨躯のはやりに逸った匍匐ほふくの醜態が今、一時にまた光り輝くばかりの黒褐の毛のなだれとなり、地響きとなり、奮いたつ香炎の放電体となる。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
その匍匐ほふくする有様ありさまを見てりますと、あるときはまがきの上を進む蛞蝓なめくじのように、又あるときは天狗の面の鼻が徐々に伸びて行くかのように見えるのです。
人工心臓 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
ここの落葉松は、小御岳では風雪と引っ組んで、屈曲匍匐ほふくしているに似ず、亭々として高く、すらりと延び上っている自然のままの、気高さに打たれる。
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
大川おおかわの濁水が、ウジャウジャと重なり合った無数の虫の流れに見えた。行手の大地が、匍匐ほふくする微生物で、覆い隠され、足の踏みどもない様に感じられた。
(新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
中は真っ暗になったけれども、よう/\匍匐ほふくして進める程度の坑道が大体爪先つまさき上りに、或る所では急勾配きゅうこうばいの石段になったりして自然に導いてくれるのであった。
当時若し社会の秩序云々に躊躇したらんには、吾々日本国民は今日尚お門閥の下に匍匐ほふくすることならん。
女大学評論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
匍匐ほふくして歩いたものが立って歩くようになり、前の二足は変形して運動の極めて自在なる手と為った。
現代の婦人に告ぐ (新字新仮名) / 大隈重信(著)
それはかなり苦しい匍匐ほふくだった。彼は海によったような気がしながら、泥を掻いて後退して行った。
地球発狂事件 (新字新仮名) / 海野十三丘丘十郎(著)
先生乃槖中たくちゅうノ装ヲ傾ケ匍匐ほふくシテコレヲ救ヒソノ家ヲ処分ス。撫賉ぶじゅつスルコトマタ甚厚シ。ケダシ薬餌やくじ埋葬ノ費一ツニ先生ニ委墩いとんス。衆あいイツテ曰ク丹丘ノ門ニハ人アリト。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
城介はかけ足がにが手であった。また小銃を捧げての匍匐ほふく前進。これは肱が砂にめり込んで、進行しにくい。加納も下手だったが、城介もそれに輪をかけて下手であった。
狂い凧 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
つまり、寄生木や無花果いちじく属の匍匐ほふく性のものが、巨樹にまつわりついて枯らしてしまうのだ。
人外魔境:01 有尾人 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
凄じい誰かの咳、猛烈な紙埃かみぼこり、白粉の鬱陶しいにおいと捌口のない炭酸瓦斯ガス匍匐ほふく
罠を跳び越える女 (新字新仮名) / 矢田津世子(著)
西蔵馬に乗った押送使と四人の警兵が附添い、大地に平伏して摩抳マニ(ラマ教の真言しんごん)をとなえさせ、何十里あろうとおかまいなく、西康なり青海なり、潜入してきた国境まで匍匐ほふくさせる。
新西遊記 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
大道に匍匐ほふくして自転車に傷つけられ、田畑に踏み込んで事を起こし、延いて双方親同士の争闘となり、郷党二つに分かれて大騒ぎし、その筋の手を煩わすなどのこと多きは、取りも直さず
神社合祀に関する意見 (新字新仮名) / 南方熊楠(著)
鹽原巡査人夫の荷物にもつわかち取り自ら之をふてのぼる、他の者亦之に同じくす、人夫等つひに巳を得ず之にしたがふ、此に於て相互救護きうごさくを取り、一行三十余名れつただして千仭の崖上がいじやう匍匐ほふくして相登る
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
最始さいしょの博物学者は蛅蟖けむしの変じてまゆと成りしときは生虫の死せしと思いしならん、他日美翼を翻えし日光に逍遙するちょうはかつて地上に匍匐ほふくせし見悪みにくかりしものなりとは信ずることの難かりしならん。
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
友仁は案の下から匍匐ほふくして出て、おじぎをしてから言った。
富貴発跡司志 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
ぼくは草の上を氷河のように匍匐ほふくしておった
演習一 (新字新仮名) / 竹内浩三(著)
登山者は、その坂を登りきわまりて平坦部に出ずると、数十間の間は立行することを禁じてあって、だれにてもみな匍匐ほふくして進むそうだ。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
匍匐ほふくしてけて来た佐久間勢のうちから、一武者が、ぱっと立った。武者は槍もろとも、瀬兵衛の体へぶつかッて行き
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
匍匐ほふくし、生殖し、吼哮する海獣の、修羅場しゅらじょうの、歓楽境の、本能次第の、無智の、また自然法爾じねんほうにの大群集である。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
さて輦から降りて、匍匐ほふくして君側くんそくに進むと、阿部家の奥女中が目を見合せて笑った。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
自分は三門前さんもんまえと呼ぶ車掌の声と共に電車を降りた。そして前後左右に匍匐ほふくする松の幹の間に立ってその姿に見とれた時、幾年間全く忘れ果ててしまった霊廟の屋根と門とに心付いたのである。
霊廟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
元来日本の婦人は婚姻の契約を無視せられて夫婦対等の権利を剥奪せられ、常に圧制のもと匍匐ほふくして男子に侮辱せらるゝ者なれば、人間の天性として心中不平なからんと欲するも得べからず。
女大学評論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
匍匐ほふくする岩石! なんと前代未聞の椿事ちんじではないか。
妖虫 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
だが、眼はぐらぐら揺れ、口はかわいて、ふと近くの水音を聞くと、矢もたてもなくなった。いきなりそこへ匍匐ほふくして、獣のように、流れへ顔を持って行った。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
戊辰ノ春正月、母川田氏汝ヲ挙ゲテわずかニ数日、予西京ヨリ帰ツテ居ルコト半年、徴ニ応ジテ再ビ京ニ入ル。明年己巳ノ春三月東巡ニシ路次暇ヲ乞ウテ家ニ帰ル。汝匍匐ほふく喃喃なんなんトシテ語ヲ学ブ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
海胆ひとでなす草山脊筋せすぢ朱砂すさなるが眼下まなしたに暑し匍匐ほふくしたりぬ
夢殿 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
兵はみな、びょうぶのような崖のすそにへばりつき、地肌の凹凸をえらんで匍匐ほふくしたきり前には出ない。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ぼく自身にはタコの前に匍匐ほふくした覚えは残ってない。おそらく逃げ帰っていたのであろう。しかし、性器について何か意識をきつけられた最初の経験であったことはまちがいない。