勧請かんじょう)” の例文
旧字:勸請
知ることの浅く、尋ぬること怠るか、はたそれもうずる人の少きにや、諸国の寺院に、夫人を安置し勧請かんじょうするものを聞くことまれなり。
一景話題 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
神棚はまた信心棚とも呼ばれ、そこに新たに勧請かんじょうした神々も多くなり、それにつれて今まで祭り来った節日の神様にも名が出来た。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
元禄五年板、洛下俳林子作『新百物語』二に金沢辺の甚三郎という商人、貧しくなり、大黒天を勧請かんじょうして、甲子の日ごとにねんごろにこれを祀る。
旧暦の六月朔日ついたちには、市中と郊外にある富士山の形になぞらえた小富士や、富士権現を勧請かんじょうした小社に、市民が陸続参詣した。
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
もっともその頃は牡鹿半島と陸続きであったろうと思われるが、とにかくういう場所を撰んで、神を勧請かんじょうしたという昔の人の聡明に驚かざるを得ない。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
けれども、この小祠に勧請かんじょうした六柱の神々こそが、今日の祝宴の正座におかれてこそもっとも相応ふさわしいと考えられた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
鶴ヶ岡八幡宮はちまんぐうは、康平こうへいの秋、ご父子が奥州征伐のご祈願に、石清水いわしみず勧請かんじょうなされたのがその縁起であるやに聞いておる
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかるにあるとし八幡宮はちまんぐうがこの鶴岡つるがおか勧請かんじょうされるにつけ、その神木しんぼくとして、わしかずある銀杏いちょううちからえらされ、ここにうつえられることになったのじゃ。
その地蔵尊が出来上ると、従来のお堂をとりひろげて勧請かんじょうし、多摩川の岸までズッと燈籠とうろうを立てました。
大菩薩峠:25 みちりやの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
いつの世に何人が勧請かんじょう奉安したものか、本尊は智行法師作の霊像、そのいやちこな御験みしるしにあずからんとして毎年この日は詣人群集、押すな押すなのにぎわいである。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
その白法師めの説法をひそかに信じる者があり、宗介天狗を勧請かんじょうした天狗の宮の境内けいだいで毎夜毎夜集会つどいをなし、その白法師を呼び迎え説法を聞く者があるということじゃ。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そういうちょっと異なものがあったから、古く保食神即ち稲荷なども勧請かんじょうしてあったかも知れぬ。
魔法修行者 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
町家まちやでは、前の年の寒のうちに寒水でつくった餅を喰べてこの日を祝い、江戸富士詣りといって、駒込こまごめ真光寺しんこうじの地内に勧請かんじょうした富士権現に詣り、麦藁むぎわらでつくった唐団扇とううちわや氷餅
顎十郎捕物帳:08 氷献上 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
よって、そのころ、山城国稲荷山をうつして勧請かんじょうしたというのだが、お末社が幅をきかしてしまって、道灌どうかんが祷ったという神の名も記してない。秀郷祀るところの御本体も置いてない。
聖日蓮しょうにちれん波木井郷はきいごうの豪族、波木井実長の勧請かんじょうもだし難く、文永十一年この一廓に大法華の教旗をひるがえしてこのかた、弘法済世ぐほうさいせいの法燈連綿としてここに四百年、教権の広大もさることながら
故に古来最寄りの地点に神明しんめい勧請かんじょうし、社を建て、産土神うぶすながみとして朝夕参り、朔望さくぼうには、必ず村中ことごとく参り、もって神恩を謝し、聖徳を仰ぐ。
神社合祀に関する意見 (新字新仮名) / 南方熊楠(著)
領主はおおむね都人士の血と趣味とをいでいたために、仏教の側援そくえんある中央の大社を勧請かんじょうする方に傾いていたらしく、次第に今まであるものを改造して
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そのせいか、赤坂のやしきの地内には、昔から豊川稲荷を勧請かんじょうしてあった。秋も末頃となり、木々の落葉がふるい落ちると、小さなほこらが、小高い雑木の丘に、いて見える。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
つづいての尿前しとまえではまたしても総敗陣——鎮守府将軍八幡社に顔向けが出来ようか、われらの城地にこの神を勧請かんじょうされた政宗公に何とおびをいたされる、ばかめ、ばかめ
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
頼朝卿よりともきょう東国追討のみぎり、この地にいたり、不思議の霊夢をこうむる。元暦げんれき元年甲辰こうしん勧請かんじょう
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
そのようにお御足みあしが不自由になられてからも、毎日のように、野中の道了様へ、お参詣まいりに行かねばならぬとおっしゃいますので、いっそ道了様を屋敷内に勧請かんじょういたしたらと存じ
血曼陀羅紙帳武士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
なるほど鎌宝蔵院の槍の名残なごりの道場、棟行むねゆきは十二三間もあろうか、総拭そうぬぐい板羽目いたばめで、正面には高く摩利支天まりしてん勧請かんじょうし、見物のところは上段下段に分れて道場の中はひろびろとしている。
雨乞いならば八大はちだい龍王を頼みまいらすべきに、壇の四方にぬさをささげて、南に男山おとこやましょう八幡大菩薩、北には加茂大明神、天満天神、西東には稲荷、祇園、松尾、大原野の神々を勧請かんじょうし奉ること
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
天長元年旱災の際、弘法大師天竺無熱池の善如竜王をこの池に勧請かんじょうして、三日間あまねく天下に雨ふる。
帝の一行と別れて、ただ一名、李傕りかく郭汜かくしに会って兵をやめるよう勧請かんじょうしてみる——と、途中から去った太僕たいぼく韓融かんゆうは、やがて、大勢の宮人や味方の兵をつれてこれへ帰って来た。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これも多分は古い時代に、餅を烏に投げ与えた際の唱え言で、烏勧請かんじょうすなわち烏を迎えて、饗応きょうおうをするという意味であったのを、後には口拍子に猫勧請を付添えたものと思われる。
伊予の大洲おおすから九州の佐賀の関に上陸、豊後路ぶんごじを日向へ向い、そこの国分寺に伽藍がらんを建て、五智如来をきざんで勧請かんじょうし、それより大隅、薩摩、肥後、肥前と経巡へめぐってまたも日向の国分寺に戻り
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
人々困難したため、我ら二、三の重役どもが、表面にはくだんの盃を御嶽山おんたけさんの頂きに埋めたと云いふらし、実はひそかに宝蔵へしまい、盃を納めた唐櫃からびつへは、八百万やおよろずの神々を勧請かんじょうして堅く封印を施したため
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
いやそのため、楠木家では、山田申楽を勧請かんじょうして、三日間の雨乞いをすることにはなったのだが、しかし、それも「——兵法を知らぬものだ」と、加賀田の隠者時親は、わらっているというではないか。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)