亢奮こうふん)” の例文
自分自身の話に亢奮こうふんしたらしく眼は輝いて頬に血の気が上り、先刻のような寒そうな悒鬱ゆううつなようすは、どこにも残っていなかった。
流転 (新字新仮名) / 山下利三郎(著)
既に人生に疲弊したようなこの孤独な作家を急に若返らせでもさせたような、異様な亢奮こうふんを与えずにはおかなかったように見えた。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
眠ろうとしても、眠ろうとしても、苦しい亢奮こうふんと圧迫とから、心は鎮まろうとする処か、却って夜が更けるにつれて、苦しく成って来る。
私はなにの本当なのかはわかりませんでしたが、なにか本当のものをその中に感じました。私はいささか亢奮こうふんをしていたのです。
橡の花 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
それであるからして、熊城でさえも一時の亢奮こうふんめるにつれて、いろいろと疑心暗鬼的な警戒を始めたのも無理ではなかった。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
幸之助はもう亢奮こうふんして、誰彼れの見さかいも無くなったらしい。誰を相手ということも無しに、腰の刀をすらりと抜き放した。
半七捕物帳:69 白蝶怪 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その神経を亢奮こうふんさせその肉体を衰弱させ、そうして常にざんを構えては忠臣義士を追い退けないしは義明をして手討ちにさせた。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
打合せが済むと、安土竜太郎は米山八左衛門を誘って外へ出た、そしてひどく亢奮こうふんしたようすで、大股おおまたに歩きながら云った。
溜息の部屋 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
お徳に絡み付かれた時の亢奮こうふんが次第に醒めると、この事件は全く、町方の岡っ引とは縁の無いような気がしてくるのでした。
彼は神経の亢奮こうふんまぎらす人のように、しきりに短かい口髭くちひげを引張った。しだいしだいににがい顔をし始めた。そうしてだんだん言葉少なになった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
『ア、これは俺を試すのだな、どう答えたら疑われないだろう』などという風に亢奮こうふんするのが当然ではないでしょうか。
心理試験 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「そうです。そうです」と彼はやや亢奮こうふんして白い壁紙を張りつめた上についている黒い飛沫ひまつを指さしながら、「あの壁にぶっかけたんですよ」と言った。
色彩に亢奮こうふんしていた私の神経の所為せいか、花嫁は白粉おしろいを厚く塗ってはなはうつくしいけれど、細い切れた様な眼がキット釣上つりあがっている、それがまるで孤のつらに似ている。
菜の花物語 (新字新仮名) / 児玉花外(著)
私は爆弾や焼夷弾しょういだんおののきながら、狂暴な破壊にはげしく亢奮こうふんしていたが、それにも拘らず、このときほど人間を愛しなつかしんでいた時はないような思いがする。
堕落論 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
昨夜高城の報告を聞いたとき、花田の現在の在り様がにわかに鮮かな感じで彼の眼底に浮んで来た。彼はその時重く静かな亢奮こうふんが湧き上って来るのを感じていた。
日の果て (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
僕は、そう叫ぶと、亢奮こうふんのあまりベッドの上に起きあがった。そして棚の底にしたたか頭をぶっつけた。
宇宙尖兵 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「明日は妻を殺す」という異常な亢奮こうふんの為に、二十五日の夜は殆ど一睡もせずにあかしました。あくれば二十六日です。朝のうち、私はいそいですえ子の所に行きました。
悪魔の弟子 (新字新仮名) / 浜尾四郎(著)
『富士』は亢奮こうふんする敵をあわれむように、碧海島のまわりを二、三回まわって、敵弾のつきるのを見てから、ロケットの火を消して、碧海湾のま上へとまってしまった。
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
されども彼は今もなほ往々自ら為せる残刻を悔い、あるは人の加ふる侮辱にへずして、神経の過度に亢奮こうふんせらるる為に、一日の調摂を求めざるべからざる微恙びようを得ることあり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
かえって胸の轟くような亢奮こうふんを覚えて、彼女らしく激しい音楽が聴きたくなった。
貞操問答 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
武者修業物語を読んで亢奮こうふんすると、これを振り廻して作中人物に想いを擬する。
吊籠と月光と (新字新仮名) / 牧野信一(著)
せめて巴里を去る前に短い便たよりなりとも国の方の新聞あてに書送ろうとして鞄の側に腰掛けて見ると、無暗むやみと神経は亢奮こうふんするばかりで僅に東京の留守宅へ宛てた手紙を書くにとどめてしまった。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その十分に調子付いた見物の亢奮こうふん的喝采のうちに、コサック式の白い外套、白い帽子、白手袋、白長靴、銀拍車という扮装いでたちで、白馬にまたがったナイン嬢は、手綱を高やかに掻い繰りながら現われたが
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
堂々たるその勇姿、絶倫の性慾、全身の膨脹、悪戦苦闘の恐るべき忿怒ふんぬ相と残虐性亢奮こうふんとは今や去って、傲然たる王者の勝利感と大威力とに哄笑し快笑し、三度また頭を高く、激しくうち振った。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
不審を抱いたどころじゃアない、ひどく亢奮こうふんしちまったくらいで……
あやつり裁判 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
「——あら、なぜ、そんなに亢奮こうふんなさるの。」
(ただ亢奮こうふんする時でないぞ)
雨夜草紙 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
「君、馴育じゅんいく掛りのお嬢さんへようくいわなきァ駄目だぜ。鍵を忘れたもんだから勝手にでちまって、それに、此奴こいつまでがえらく亢奮こうふんしている」
人外魔境:01 有尾人 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
亢奮こうふん! 亢奮! 亢奮! である。それは責任を感じない。また咎められる心配もない。衆口しゅうこう金をとろかすというが、群衆心理がそれであった。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
それが今日にかぎって一種の亢奮こうふんを感じるように覚えるのは、単にその上演目録のうちに『鳥辺山心中』と、『信長記』と、『浪花の春雨』と
十番雑記 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それから彼はその暗やみの中に一人きりに取残されながら、なんだか気味のわるいくらいに亢奮こうふんしだした。彼は死にたいような気にさえなった。
ルウベンスの偽画 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
十二歳の伸一が亢奮こうふんした眼色になって、駈けだしながら小さい健吉の頭に頭巾をのせ、壕へつれて入った。
播州平野 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
下に降り立って、草の葉で手や洋服の泥を落しながら、自分は自分がひとりでに亢奮こうふんしているのを感じた。
路上 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
しかし普通雑談の時に、言葉が対話者の間を、よどみなく往ったり来たり流れているのとはだいぶおもむきことにしていた。そこには強い感情があった。亢奮こうふんがあった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
といったが、そういった後で、彼は自分の亢奮こうふんしてくるのを殊更ことさらに抑えようと努めている風に見えた。
宇宙尖兵 (新字新仮名) / 海野十三(著)
どうかしたら、これがお雛ではないかという疑いが、平次をすっかり亢奮こうふんさしてしまったのです。
私は此の部屋にじっとすわっていることに、一種の不快な亢奮こうふんを感じて、呼吸をぐっととめた。娘の名を連呼れんこする泣声が再び烈しく起った。嗚咽おえつの声がにわかに高まって来た。
風宴 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
そうして丸ビルの階段を降りながら、生れてはじめて本当のことをした感動で亢奮こうふんしていた。これから、いつも、こうしなければならない、と自分に言いきかせながら歩いていた。
勉強記 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
先日来の為事の片がついたので軽い快い亢奮こうふんで寝られない。酒でも呑もうと思う。そして寝よう。御苦労さまでした三十六さとむよ、今夜こそ佳い夢があるだろう。今は二五八九、四、一三である。
それから魚見櫓に駆け戻って亢奮こうふん状態がやや収ってから
吊籠と月光と (新字新仮名) / 牧野信一(著)
それであるからして乙骨医師が、内心法水の鋭敏な感覚に亢奮こうふんを感じながらも、表面痛烈な皮肉をもって異議を唱えたのも無理ではなかった。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
彼もよほど亢奮こうふんしているらしい。眼の前に立っている若旦那を置き去りにして、そのままどこへか駈けて行ってしまった。
(新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
膝に突いている両の拳の、何んと亢奮こうふんで顫えていることか! ——京一郎はそういう姿で、お才へ迫って行くのであった。
十二神貝十郎手柄話 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
弥撒ミサおわって、なんだか亢奮こうふんしているような顔のおおい外人達の間にまざりながら、その教会から出てきた時は、私達もさすがに少しばかり変な気もちになっていた。
木の十字架 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
「健康といいますとね、緊張と弛緩しかん亢奮こうふんと抑制などのバランスがとれている状態です」
幻化 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
亢奮こうふんしているひろ子の顔つきを見て、重吉はおかしみをこめた好意の笑顔になった。
風知草 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
讃之助が物凄まじい亢奮こうふんとらえられると、勢子は反対に益々冷静になって行きます。
葬送行進曲 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
女は狂気のように私の唇をもとめ、私の愛撫あいぶをもとめた。女は嗚咽おえつし、すがりつき、身をもだえたが、然し、それは激情の亢奮こうふんだけで、肉体の真実の喜びは、そのときもなかったのである。
私は海をだきしめていたい (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
抵抗すればするほど、こっちが損をすることが分ったので、僕はもうあきらめて、どうでもなれと長椅子の上にふんぞりかえって寝ていた。そのうちに亢奮こうふんの疲れが出てきたのか、ねむくなった。
宇宙尖兵 (新字新仮名) / 海野十三(著)
お貞は亢奮こうふんしてどぎまぎしていた。「ウェッディング・マアチ」の一場面、少女がニッキイと関係した後で幻覚を見て、「オ・アイアン・マン」と叫ぶ、あの場面を予に思わせた。今は暴風雨である。