せい)” の例文
新羅三郎しんらさぶろう以来二十六せいをへて、四りん武威ぶいをかがやかした武田たけだ領土りょうどは、いまや、織田おだ徳川とくがわの軍馬に蹂躪じゅうりんされて、焦土しょうどとなってしまった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
通称は三右衛門さんえもんである。六せいの祖重光ちょうこうが伊勢国白子しろこから江戸に出て、神田佐久間町に質店しちみせを開き、屋号を三河屋みかわやといった。当時の店は弁慶橋であった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
ウィリアムだいせい其人そのひと立法りつぱふ羅馬ローマ法皇はふわう御心みこゝろかなひ、たちまちにして首領しゆれう必要ひつえうありし英人えいじんしたがところとなり、ちかくは纂奪さんだつおよ征服せいふくほしひまゝにするにいたりました。
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
ここもつ(四四)せい諸矦しよこうあらはせり。越石父ゑつせきほけんにして(四五)縲紲るゐせつうちり。晏子あんしでてこれみちふ、(四六)左驂ささんいてこれあがなひ、かへる。
わたくしは枇杷の花を見ると共に、ふと鳥居甲斐守とりいかいのかみの逸事をおもい出した。鳥居甲斐守は老中水野越州えっしゅうが天保改革の時、江戸町奉行の職に在り、一せいうらみを買って、酷吏こくりと称せられた人である。
枇杷の花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
『あァわかつた佛蘭西フランスねずみだわ、ウィリアムだいせいと一しよた』(歴史れきしならつたけれどもあいちやんは、なに何年位なんねんぐらゐまへおこつたこと判然はツきりりませんでした)そこまたあいちやんがふには
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
それには抽斎の六せいの祖辰勝しんしょうが「寂而院宗貞日岸居士」とし、その妻が「繋縁院妙念日潮大姉」とし、五世の祖辰盛しんせいが「寂照院道陸玄沢日行居士」とし、その妻が「寂光院妙照日修大姉」とし
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
甲山こうざん鎮守ちんじゅして二十七せい名家めいか武田菱たけだびし名聞みょうもんをなくし、あまたの一ぞく郎党ろうどうを討死させた責任をご一しんにおい、沙門遁世しゃもんとんせいのご発心ほっしん! アア、それはよくわかっておりまする! お父上のご心中
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)