豁然かつぜん)” の例文
かつてあんなにも恋いこがれていたその人を、一顧いっこの価値もない腐肉の塊であると観じて、清く、貴く、豁然かつぜんと死んで行ったであろうか。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
その重みに堪え、その重みの下に苦闘しつつ、よくそれを双腕に支え得るならば、彼の前には豁然かつぜんとして新たな天地が開けてくるであろう。
平次は豁然かつぜんとしました。一切の不可能を取払った後に残るものは、それが一応不可能に見えても、可能でなければなりません。
豁然かつぜんと、心がひらけ、夢魔むまからめるのもつねであった。十方の碧空あおぞらにたいして、恥じない自分をも同時にとりもどしていた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼小家の前に立って望めば、右手に上野の山のはなが見え、この端と向岡との間が豁然かつぜんとして開けて、そこは遠く地平線に接する人家の海である。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
そして自分の村に帰ったかと思うと、豁然かつぜんとして夢がめたようになった。その時宋公は死んでから三日になっていた。
考城隍 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
「十万億土の夢を見て、豁然かつぜんとして大悟一番したんだ。一出家しゅっけ功徳くどくによって九族きゅうぞくてんしょうずというんだから素晴らしい。僕は甘んじて犠牲になる」
合縁奇縁 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
親不知子不知の嶮を過ぐれば前途の光景豁然かつぜんとして開けるごとく、己が十字架を負いて初めて知る人生の豊かさがあります。それは復活の世界であります。
ルパンが眼前に閉された垂帳カアテン豁然かつぜんとして開かれた。彼が今日まで黒暗々裡に、暗中模索に捕われていた迷宮に、忽焉こつえんとして一道の光明が現れたのを覚えた。
水晶の栓 (新字新仮名) / モーリス・ルブラン(著)
ただ豁然かつぜんとあらゆる未練をたった彼、おのが心身の全部を挙げて乾坤二刀の争奪につくそうと、あらたなる闘魂剣意にしんそこからふるい起ったままであった。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
豁然かつぜんといま圓朝は心の壁が崩れ落ち、扉が開かれ、行く手遥かに明るく何をか見はるかすの思いがした。
小説 円朝 (新字新仮名) / 正岡容(著)
道は再び豁然かつぜんとして開け、やがて左側の大きなけやきの樹陰に色せた旗を立てて一軒の百姓家が往来も稀れな通行人のために草鞋わらじ三文菓子なぞを商っている前へと出る。
逗子物語 (新字新仮名) / 橘外男(著)
細々とびた風景よりは豁然かつぜんとひらけた荒廃ぶりの方が心にかなう。中宮寺から法輪寺・法起寺・慈光院への道、西の京のあたり、結局私はそちらへ心をひかれるのだ。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
なるほど僕の心事は一変した。欧州に遊歴して見ると。なかなかここで想像して書籍中にもとめたとは。大いにちがったところがある。実に豁然かつぜん通悟したところがあって。
藪の鶯 (新字新仮名) / 三宅花圃(著)
曲がりくねった小径こみちについて雑木林の丘を越えると、豁然かつぜんひらけた眼下の谷に思いがけない人家があって、テニスコートにでもしたいような広場にいわしを干しているのが見えた。
暴風雨に終わった一日 (新字新仮名) / 松本泰(著)
見上ぐる人はう雲の影を沿うて、蒼暗あおぐら裾野すそのから、藍、紫の深きを稲妻いなずまに縫いつつ、最上の純白に至って、豁然かつぜんとして眼がめる。白きものは明るき世界にすべての乗客をいざなう。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
早朝、練兵場の草原を踏みわけて行くと、草の香も新鮮で、朝露が足をぬらして冷や冷やして、心が豁然かつぜんとひらけ、ひとりで笑い出したくなるくらいである、という家内の話であった。
美少女 (新字新仮名) / 太宰治(著)
さびしい紫や白の房の長く垂れている藤の花の趣は春季の感じ、濃艶のうえんな花弁を豁然かつぜんと開いている牡丹の花の趣は夏季の感じとこうおのずから区分されるのでありまして、必ずしも某々二
俳句とはどんなものか (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
あたか豁然かつぜん発明した様子で、ソレから福澤を近づける気になって、次第々々に奥向の方に出入の道が開けて、御隠居様を始め所謂いわゆる御上通おかみどおりの人に逢うて見れば、福澤の外道もただの人間で
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
納屋の前に立つと今まで遮られていた眺望が豁然かつぜんとひらけていた。
三等郵便局 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
一旦豁然かつぜんとして万象の帰趣を悟るというごとき、真に力ある大天才でなければ出来ぬ仕事と自分は信じて居ます、あアそうですか、まアようございましょう、これではだ僕の子規子評は序幕ですよ
子規と和歌 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
外へ出ると豁然かつぜんとひらけて、前は木曾の大河である。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
豁然かつぜんたる 大空を あふぎたちたり
秋の瞳 (新字旧仮名) / 八木重吉(著)
豁然かつぜんとして大悟す。便ち礼拝す
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
と、にわかに豁然かつぜんといった。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
平次は豁然かつぜんとしました。二重蓋の中を見ると、容易に見分けは付きませんが、中の札の木目もくめに、何やら異状があるようです。
「いや、よく分りました。思うに、愚夫玄徳の考えは、事ごとに、大義と小義とを、混同しているところから起るものらしい。豁然かつぜんと、いま悟られるものがあります」
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こう豁然かつぜんと胸をたたいて泰軒が笑うと、忠相もおだやかな微笑をほころばせながら
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
豁然かつぜんとして視野の開けた今でも、まだその辺見える限りは、ただ小高い丘や野草の咲き乱れた、高原ばかり! 断崖だんがいと見えて、もう海は見えませんが、ただ、荒涼として、落莫らくばくとして
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
転輾てんてん、わが胸の奥底ふかく秘め置きし、かの、それでもやっと一つ残し得たかなしい自矜じきょう、若きいのち破るとも孤城、まもり抜きますとバイロン卿に誓ったおきて、苦しき手錠、重い鉄鎖、いま豁然かつぜん一笑
創生記 (新字新仮名) / 太宰治(著)
が、この苦悩は巨人を殺すために与えられたむちではなかった。絶望と孤独が、散々さんざんに大きな魂をさいなみ続けた末、巨人は豁然かつぜんとして大悟したのである。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
「まだいうか。穿きちがえてくれるな。一時は、そんな考えも抱いたことは確かだが、その後になって——殊に今日は、豁然かつぜんと、教えられた。わしの考えは、夢に近い」
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
豁然かつぜん哄笑わらうと、千浪はまだ打ちせぬ面持ち。
煩悩秘文書 (新字新仮名) / 林不忘(著)
屋敷の内外、特に人肌地蔵のあたりを何遍も何遍も嗅ぎ廻して、ややたそがれる頃、ようや豁然かつぜんとした顔になって、やたらに欠伸あくびばかりしているガラッ八を顧みました。
却って、行くこと数里にして豁然かつぜんとあたりはひらけ、山奥とも思われない広々した谷あいへ出た。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長江千里の上流、揚子江の水も三峡のけんにせばめられて、天遠く、碧水へきすいいよいよ急に、風光明媚な地底の舟行を数日続けてゆくと、豁然かつぜん、目のまえに一大高原地帯がひらける。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
笹野新三郎は豁然かつぜんとした様子ですが、さすがにそれは口に表しません。
そして日常の社會雜念から離脱して、默々たる天地運行の中に、まつたく生れながらの新たな「我」を見出し、常に固執してゐた狹い人生觀から豁然かつぜんと思ひを革める心地がしてくる。
折々の記 (旧字旧仮名) / 吉川英治(著)
翌る朝の陽の目を見ると、平次は豁然かつぜんとして胸を叩くのです。
猿めいた面貌おもざしをした貧しい旅の一青年に会い、豁然かつぜんと、多年の悪夢や迷妄めいもうからまされて——後に年経て、その時の猿顔の男が、羽柴はしば秀吉と名乗っていることがわかり、随身してひとすじの槍を受け
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
家康は、豁然かつぜんと、眼をあげて、梢のあいだのあおい夏空を見入った。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)