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看做
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みな
ふりがな文庫
“
看做
(
みな
)” の例文
赤彦君はそれゆゑ飽くまで黄疸を余病と
看做
(
みな
)
し、余病を先づ退治して置いて、そして生きられるだけ生きようと覚悟したのであつた。
島木赤彦臨終記
(新字旧仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
もっとも夜中、時々歌を唄って歩く者に逢うが、これは飲み過ぎた徴候である。日本人はあまり酒をのまぬ民族と
看做
(
みな
)
してよかろう。
日本その日その日:03 日本その日その日
(新字新仮名)
/
エドワード・シルヴェスター・モース
(著)
わたくしは
姑
(
しばら
)
く蘭軒が一時不忍の池の辺に移住したものと
看做
(
みな
)
して置きたい。但蘭軒は久しく此に居らずに、又本郷に還つたらしい。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
人間と環境の関係を主観と客観の関係と
看做
(
みな
)
すことにはなお種々の注意を要するのである。いま取敢えず次のことを記しておかねばならぬ。
哲学入門
(新字新仮名)
/
三木清
(著)
してみるとこの一種のソナータ的とも言うべき構成は、チェーホフの愛用した形式のうちの
少
(
すくな
)
くとも一つをなすものと
看做
(
みな
)
してよいであろうか。
チェーホフの短篇に就いて
(新字新仮名)
/
神西清
(著)
▼ もっと見る
それを直ちに体験としての「いき」の客観的表現と
看做
(
みな
)
し、西洋文化のうちに「いき」の存在を推定することはできない。
「いき」の構造
(新字新仮名)
/
九鬼周造
(著)
しかし統一の上に一つの特色があって、種々の現象はこの統一に由って成立する者と
見做
(
みな
)
さねばならぬから、一つの生きた実在と
看做
(
みな
)
すのである。
善の研究
(新字新仮名)
/
西田幾多郎
(著)
そこで四日目になつて点呼に出ないと逃亡と
看做
(
みな
)
されるのだ。逃亡と看做されてから、遅くなつて帰つて来ると、直ぐにボツクへ載せてはたくのだ。
樺太脱獄記
(新字旧仮名)
/
ウラジミール・ガラクティオノヴィチ・コロレンコ
(著)
介添人が和睦をすすめても、普通はまあ用いられずに、とおり一片の形式と
看做
(
みな
)
されるのが例でしてな、つまりこれは自尊心というだけの話ですな。
決闘
(新字新仮名)
/
アントン・チェーホフ
(著)
悲劇も喜劇も道化も、なべて一様に芝居と
看做
(
みな
)
し、之を創る「精神」にのみ観点を置き、あわせて、之を
享受
(
きょうじゅ
)
せらるるところの、清浄にして白紙の如く
FARCE に就て
(新字新仮名)
/
坂口安吾
(著)
私は、この徳をソクラテスの
性得
(
しょうとく
)
に帰するよりも、寧ろ修養の結果と
看做
(
みな
)
すことの妥当なるを信ずるものである。
ソクラテス
(新字新仮名)
/
新渡戸稲造
(著)
焚
(
た
)
きさしたる炭の半ば紅なるが、媼の座の
畔
(
ほとり
)
にちりぼひたるは、妖魔の身邊に引くといふ
奇
(
くす
)
しき
圈
(
わ
)
とも
看做
(
みな
)
さるべし。まことに是れ一幅クロトの活畫像なり。
即興詩人
(旧字旧仮名)
/
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
(著)
あの虚無主義者と
看做
(
みな
)
されている主人公の医学生に賛同しているというので、貴族
等
(
ら
)
は作者を攻撃する。
家常茶飯 附・現代思想
(新字新仮名)
/
ライネル・マリア・リルケ
(著)
いがみの権太は「
義経千本桜
(
よしつねせんぼんざくら
)
」三段目、木の実と
鮨屋
(
すしや
)
とにて、局部の主人公と
看做
(
みな
)
すべきものなり。
いがみの権太:(明治二十九年一月、明治座)
(新字旧仮名)
/
三木竹二
(著)
誹謗木など形式的の物と
看做
(
みな
)
すは大なる誤解なりとあれど、古支那の諫鼓、撃鐘が冤を訴うるに実用あったは、当時支那に遊んで目撃した外人の
留書
(
とめがき
)
で判る事上述のごとく
十二支考:08 鶏に関する伝説
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
そして窓のムウルヂングの上に蹲つて、己達の方を見て満足らしい表情をした。一種の笑と
看做
(
みな
)
される表情である。さも嬉しげで、それに人を馬鹿にしたやうなところがあつた。
猿
(新字旧仮名)
/
ジュール・クラルテ
(著)
自分の妻から
看做
(
みな
)
さるるであろうかのように感じずには居られなかったであったろう。
連環記
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
すべての人によって極めて明証的でまた確実なものとも
看做
(
みな
)
されておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、そして非常に注意深い読者を要求いたしますから
省察:神の存在、及び人間の霊魂と肉体との区別を論証する、第一哲学についての
(新字新仮名)
/
ルネ・デカルト
(著)
その粉砕は日本に於ける主要なる革命的任務中の第一のものと
看做
(
みな
)
されねばならぬ。
労働者農民の国家とブルジョア地主の国家:ソヴェト同盟の国家体制と日本の国家体制
(新字新仮名)
/
宮本百合子
(著)
鼠をウエヘガナシまたはウンジャガナシなどと呼んで、一門親族の祖霊のごとく
看做
(
みな
)
した動機は今一段と深いところにあって、単なる恐怖や不安に基づくものでなかったようである。
海上の道
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
旅行は保養の為めと云ふよりは、寧ろ見聞を広めようと思つて企てたのである。さう云ふわけで、言はゞもう休暇を貰つてゐると
看做
(
みな
)
しても好いのだから、その日になんの用事もない。
鱷
(新字旧仮名)
/
フィヨードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー
(著)
我は我天地を数尺の大さと
看做
(
みな
)
すなり、然れども数尺と算するも人間の
業
(
わざ
)
に外ならず、之を数万尺と算ふるも同じく人間の業なり、要するに天地の広狭は心の広狭にありて存するなり
我牢獄
(新字旧仮名)
/
北村透谷
(著)
其の大きさに依つて、此の樫の木は殆んど九百年位生きてゐるものと
看做
(
みな
)
されてゐる。樫の実もきつと
生
(
な
)
つてゐるにちがひない。そして芽を出した時からは殆んど千年にもなるだらう。
科学の不思議
(新字旧仮名)
/
ジャン・アンリ・ファーブル
(著)
かつて先代の
且鞮侯
(
そていこう
)
単于
(
ぜんう
)
の言った言葉を
李陵
(
りりょう
)
は
憶
(
おぼ
)
えている。漢の人間が二言めには、
己
(
おの
)
が国を礼儀の国といい、
匈奴
(
きょうど
)
の行ないをもって
禽獣
(
きんじゅう
)
に近いと
看做
(
みな
)
すことを難じて、単于は言った。
李陵
(新字新仮名)
/
中島敦
(著)
が、これは教育委員ルナチヤルスキイや、ゴルキイや、其の他の、正統派共産主義者からはセンテイメンタリストと
看做
(
みな
)
されてゐる進歩的分子の人にとつては、あんまりひどい事だつた。
死んだ魂
(新字旧仮名)
/
エマ・ゴールドマン
(著)
人間の思想やその思想に伴って推移する感情も石や土と同じように、古今永久変らないものと
看做
(
みな
)
したなら一定不変の型の中に押込めて教育する事もできるし支配する事も容易でしょう。
中味と形式
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
文壇や美術界を見ても、真面目な批評は一つも見られなくて、人の噂ばかりしかしていない。してみると日本の文壇画壇などというものは、まず長屋の
嬶
(
かかあ
)
の
寄合
(
よりあい
)
と同様に
看做
(
みな
)
すべきものだ。
独居雑感
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
秋
寂
(
さ
)
びた
深林
(
しんりん
)
の
背景
(
はいけい
)
に、何と云う
好調和
(
こうちょうわ
)
であろう。彼等アイヌは
亡
(
ほろ
)
び行く
種族
(
しゅぞく
)
と
看做
(
みな
)
されて居る。然し此
森林
(
しんりん
)
に於て、彼等は
正
(
まさ
)
に
主
(
あるじ
)
である。
眼鏡
(
めがね
)
やリボンの我等は
畢竟
(
ひっきょう
)
新参
(
しんざん
)
の
侵入者
(
しんにゅうしゃ
)
に過ぎぬ。
みみずのたはこと
(新字新仮名)
/
徳冨健次郎
、
徳冨蘆花
(著)
若しその頃二人がこの家の中でしてゐた生活が世間に知れたら、二人は狂人と
看做
(
みな
)
されたかも知れない。勿論危険な狂人と思はれはしなかつただらう。二人は誰をもこの家に寄せ付けずにゐた。
病院横町の殺人犯
(新字旧仮名)
/
エドガー・アラン・ポー
(著)
つまらぬ事にくよくよせずに、一坏の
濁醪
(
どぶろく
)
でも飲め、というのが今の言葉なら、旅人のこの一首はその頃の談話言葉と
看做
(
みな
)
してよかろう。
万葉秀歌
(新字新仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
汝は汝自身を表現すると共に社会を表現する。社会は表現的なものであり、大なる汝である。社会はしばしば「大なる我」と
看做
(
みな
)
されてきた。
哲学入門
(新字新仮名)
/
三木清
(著)
又「帰後已一年」と云つてあるのも、十二箇月に満ちた一年とは
看做
(
みな
)
されない。したがつて切角の自註が考拠上に
大
(
おほい
)
なる用をばなさぬのである。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
たとえば昨日の意識と今日の意識とは全く独立であって、もはや一の意識とは
看做
(
みな
)
されないと考えている人がある。
善の研究
(新字新仮名)
/
西田幾多郎
(著)
永遠に動きつつ永遠に交わらざる平行線は、二元性の最も純粋なる視覚的客観化である。模様として
縞
(
しま
)
が「いき」と
看做
(
みな
)
されるのは決して偶然ではない。
「いき」の構造
(新字新仮名)
/
九鬼周造
(著)
われは讀み畢りて、ポツジヨが滑稽の天性にして、世の人のそを
假面
(
めん
)
と
看做
(
みな
)
すことの
謬
(
あやま
)
れるを信ぜんとせり。
即興詩人
(旧字旧仮名)
/
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
(著)
いわんや、
出会
(
でくわ
)
した奴ならどこの馬の骨でも一切合財隣人と
看做
(
みな
)
すにいたっては、ありがたい仕合わせながら、思慮がなさすぎるというものだ。人に対する態度に公正を欠くというものだ。
決闘
(新字新仮名)
/
アントン・チェーホフ
(著)
あたかも本来四民が平等でなかったかのごとく
看做
(
みな
)
しているのである。
家の話
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
もう大層なお年であらうに、好くお達者でお出になると思つて、スタニスラウスに給仕した。そんな風にどの人をも先々代時分の人だと
看做
(
みな
)
して給仕をしてとうとう小さいオスワルドの所へ来た。
祭日
(新字旧仮名)
/
ライネル・マリア・リルケ
(著)
夫の意見は妻の意見だという風に
看做
(
みな
)
してしまうし、それから夫が間違ったことをして、妻がその間違いであることをいっていても、一般の人達は妻も間違っているものだと思っているという風に
夫即ち妻ではない
(新字新仮名)
/
宮本百合子
(著)
さらには、その必然を自由と
看做
(
みな
)
していることだ。
悟浄歎異:―沙門悟浄の手記―
(新字新仮名)
/
中島敦
(著)
Kahlenberg
(
カーレンベルク
)
, Leopoldsberg
(
レオポルヅベルク
)
, Hermannskogel
(
ヘルマンスコーゲル
)
などはその姉妹山峰と
看做
(
みな
)
していい。
接吻
(新字旧仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
集に「初冬山居」の七絶二、「冬日田園雑興」の七絶一があつて、
就中
(
なかんづく
)
山居の一は題を設けて作つたものとは
看做
(
みな
)
し難い。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
紫のうちでは赤
勝
(
がち
)
の京紫よりも、青勝の江戸紫の方が「いき」と
看做
(
みな
)
される。青より緑の方へ接近した色は「いき」であるためには普通は飽和の度と関係してくる。
「いき」の構造
(新字新仮名)
/
九鬼周造
(著)
名作中こゝかしこに稍〻過ぎたりと見ゆる節あるをば、その作者の一時の出來心と
看做
(
みな
)
して、
恕
(
ゆる
)
すこともあるべけれど、その
疵瑕
(
しか
)
は遂に疵瑕たることを免るべからず。
即興詩人
(旧字旧仮名)
/
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
(著)
ところで環境は私に対してあるものとして普通に客観と
看做
(
みな
)
されている。けれど翻って考えてみると、環境は私に対してあるというよりも私が環境の中にあるのである。
哲学入門
(新字新仮名)
/
三木清
(著)
思惟においても意志においても心象が一の目的観念に由り統一せられ、凡てがこの統一的観念の表現と
看做
(
みな
)
される如くに、神は宇宙の統一者であり宇宙は神の表現である。
善の研究
(新字新仮名)
/
西田幾多郎
(著)
随ってまた愛してもいない人間を、自分の修行に欠くべからざる物品と
看做
(
みな
)
しえたかもしれない。だが僕はまだそこまでは堕落していないね。忍耐修行がしたくなったら、僕なら
唖鈴
(
ダムベル
)
か荒馬を買う。
決闘
(新字新仮名)
/
アントン・チェーホフ
(著)
「
石激
(
いはばし
)
る」は「
垂水
(
たるみ
)
」の枕詞として用いているが、意味の分かっているもので、形状言の形式化・様式化・純化せられたものと
看做
(
みな
)
し得る。
万葉秀歌
(新字新仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
「あれはM>Wの女と
看做
(
みな
)
して、それを育てるには、男の這入るあらゆる学校に女の這入るのを拒まないようにすれば
好
(
い
)
いわけでしょうよ」
青年
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
因
(
ちなみ
)
にいふ。國會文苑に出でし戲曲論中、戲曲の標準の條にて、忍月居士は逍遙子の所謂「ドラマ」をさながらに戲曲のことゝ
看做
(
みな
)
して反駁を試みつ。
柵草紙の山房論文
(旧字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
看
常用漢字
小6
部首:⽬
9画
做
漢検1級
部首:⼈
11画
“看”で始まる語句
看
看護
看板
看破
看過
看病
看護婦
看経
看客
看守