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相応
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ふさ
ふりがな文庫
“
相応
(
ふさ
)” の例文
旧字:
相應
而して新短歌の語句から語句への推移は現に情理的であるよりも感覚的であり、又左様にあることが此の様式に
相応
(
ふさ
)
ふやうに思へる。
新短歌に就いて
(新字旧仮名)
/
中原中也
(著)
だが、それはその昔、
蹴裂明神
(
けさくみょうじん
)
の前で見た捨児ではない。長塚新田の
馬喰
(
ばくろう
)
が落したハマでもない。この街道には
相応
(
ふさ
)
わしからぬもの——
大菩薩峠:24 流転の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
それで日本人の書は非常に
美
(
うる
)
わしく、親しみがあるので、結局、日本人にとって、日本の書が一番
相応
(
ふさ
)
わしいものということになります。
習書要訣:――美の認識について――
(新字新仮名)
/
北大路魯山人
(著)
単純な装いこそ
相応
(
ふさ
)
わしいのです。自からひかえめがちな、
静
(
しずか
)
な素朴な姿に活きています。人々は呼んでかかる美を「渋さ」と云うのです。
民芸とは何か
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
何故かといって私は自分の健康に自信があったし、秋に入って揚子江の沿岸は空気が高く澄みとおって、私の無鉄砲な放浪に
相応
(
ふさ
)
わしく思われたから。
運命について
(新字新仮名)
/
尾崎士郎
(著)
▼ もっと見る
「うん。なぜといって、敵機は、
火焔
(
かえん
)
に包まれているわけでもなく、むしろ悠々と地上へ降下姿勢をとっているといった方が、
相応
(
ふさ
)
わしいではないか」
二、〇〇〇年戦争
(新字新仮名)
/
海野十三
(著)
然し、やはりクレオパトラが毒蛇に自身を噛ませて死んだとした方が彼女の臨終に
相応
(
ふさ
)
はしいやうに思はれる。
毒と迷信
(新字旧仮名)
/
小酒井不木
(著)
それに
相応
(
ふさ
)
わしい偉れた女に生い立たしめようとするのも、伯母に対するふた親の無意識の競争心から来るものであることを感付かないわけにはゆかなかった。
富士
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
が、
手
(
て
)
で
撫
(
な
)
でゝ
見
(
み
)
ても
雫
(
しづく
)
は
分
(
わか
)
らぬ。——
雨
(
あめ
)
が
降
(
ふ
)
るのではない、
月
(
つき
)
が
欠伸
(
あくび
)
する
息
(
いき
)
がかゝるのであらう……そんな
晩
(
ばん
)
には
獺
(
かはをそ
)
が
化
(
ば
)
けると
言
(
い
)
ふが、
山国
(
やまぐに
)
に
其
(
それ
)
は
相応
(
ふさ
)
はぬ。
神鑿
(新字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
今でこそ
樟脳
(
しょうのう
)
臭
(
くさ
)
いお
殿様
(
とのさま
)
の
溜
(
たまり
)
の
間
(
ま
)
たる華族会館に
相応
(
ふさ
)
わしい古風な建造物であるが、当時は鹿鳴館といえば
倫敦
(
ロンドン
)
巴黎
(
パリ
)
の燦爛たる新文明の栄華を複現した玉の
台
(
うてな
)
であって
四十年前:――新文学の曙光――
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
下女は胸のあたりへ自分の手をやって書家に
相応
(
ふさ
)
わしい髯の長さを形容して見せた。
明暗
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
少なくも浄土教が、狩野派よりも土佐派の方に
相応
(
ふさ
)
わしいとはいい得るだろう。
東山時代における一縉紳の生活
(新字新仮名)
/
原勝郎
(著)
そしてそれに
相応
(
ふさ
)
わしい灰色の深いヘルメットを持ち、婦人でも用いそうな
瀟洒
(
しょうしゃ
)
な鼠色のスエード革の靴を
穿
(
は
)
かれた小柄な太子の姿というものは、これもまた何とも言えぬ愛らしさのそれであった。
ナリン殿下への回想
(新字新仮名)
/
橘外男
(著)
そのまま
能役者
(
のうやくしゃ
)
が用いたとて
相応
(
ふさ
)
わしいでありましょう。こういうものを誰も不断に用いるとは有難いことではありませんか。
手仕事の日本
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
だが、その外貌に、それと肯く
分別臭
(
ふんべつくさ
)
さはあっても、
凡
(
およ
)
そ彼女の肉体の上には、どこにもそのように多い数字に
相応
(
ふさ
)
わしいところが見当らなかったのだった。
振動魔
(新字新仮名)
/
海野十三
(著)
わたくしの名のかの子は、この女丈夫を記念する為めにつけたのだという。しかも何と、その女丈夫を記念するには、
相応
(
ふさ
)
わしからぬわたくしの性格の非女丈夫的なことよ。
雛妓
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
通い廊下に藤の花を
咲
(
さか
)
しょうと、西洋窓に
鸚鵡
(
おうむ
)
を飼おうと、見本は
直
(
じ
)
き近い処にござりまして、
思召
(
おぼしめし
)
通りじゃけれど、昔
気質
(
かたぎ
)
の堅い
御仁
(
ごじん
)
、我等式百姓に、別荘づくりは
相応
(
ふさ
)
わしからぬ
草迷宮
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
どんな国の女たちも沖縄の「びん型」より華麗な衣裳を身につけたことはないでしょう。とりわけ沖縄のような南国ではそれが非常に
相応
(
ふさ
)
わしかったと思います。
民芸四十年
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
彼はいかにふだん幅広い口を利こうと、衷心では料理より、琴棋書画に位があって、先生と呼ばれるに
相応
(
ふさ
)
わしい高級の芸種であるとする世間月並の常識を
無
(
な
)
みしようもない。
食魔
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
生れ付き、本能の同型という深刻な原因を壊すには、やはりそれに
相応
(
ふさ
)
わしい深刻な度の本能の葛藤を
斧
(
おの
)
に持って打たせなければ断ち割れないのです。私はそれを決心しました。
生々流転
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
特に
緯縞
(
よこじま
)
や
霞縞
(
かすみじま
)
に美しいのを見かけます。これも色染を注意したら一段とよくなるでありましょう。とりわけ日本間の敷物として大変
相応
(
ふさ
)
わしく、どの家庭にも
薦
(
すす
)
め得ると思います。
手仕事の日本
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
人間の寿命に
相応
(
ふさ
)
はしい、嫁入り、子育て、
老先
(
おいさき
)
の段取りなぞ地道に考へてもそれを別に年寄り染みた老け込みやうとは自分でも覚えません。縫針の
針孔
(
めど
)
に糸はたやすく通ります。
愛
(新字旧仮名)
/
岡本かの子
(著)
窯はわずか一個よりないが、年に五、六回は焼くというから、相当地方的需要があることが分る。長型丸型の水甕、片口、
飯鉢
(
めしばち
)
、平鉢、
土
(
ど
)
だらい、
切立
(
きったて
)
等いう名は地方窯に
相応
(
ふさ
)
わしい。
現在の日本民窯
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
人間の寿命に
相応
(
ふさ
)
わしい、嫁入り、子育て、老先の段取りなぞ地道に考えてもそれを別に年寄り染みた老け込みようとは自分でも覚えません。縫針の
針孔
(
めど
)
に糸はたやすく通ります。
愛
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
そこには逆らう感情や、
衒
(
てら
)
う心や、主我の念は許されておらぬ。よき器物には
謙遜
(
けんそん
)
の美があるではないか。誠実の徳が現れるではないか。高ぶる風情や
焦
(
いらだ
)
つ姿は器には
相応
(
ふさ
)
わしくない。
民芸四十年
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
頭を
鏝
(
こて
)
で縮らし、椅子に斜に
倚
(
よ
)
って、煙草を
燻
(
く
)
ゆらしている自分の姿を、柱かけの鏡の中に見て、前とは別人のように思い、また若き発明家に
相応
(
ふさ
)
わしいものに自分ながら思った。
老妓抄
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
頭を
鏝
(
こて
)
で縮らし、椅子に斜に
倚
(
よ
)
って、煙草を
燻
(
く
)
ゆらしている自分の姿を、柱かけの鏡の中に見て、前とは別人のように思い、また若き発明家に
相応
(
ふさ
)
わしいものに自分ながら思った。
老妓抄
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
その妹は、たまさか姉に
遇
(
あ
)
うても涙よりしか懐かしさを語り得ないような内気な娘であった。生よりも死の床を幾倍か身に
相応
(
ふさ
)
わしいものに思い
做
(
な
)
して、うれしそうに病み死んだ。
雛妓
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
この雰囲気に
相応
(
ふさ
)
わしく、ヒンズー教の精力的な寺院の空気にも相応わしかった。
河明り
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
“相応”の解説
相応(そうおう)とは、つり合っていること即ち相応しい(ふさわしい)ことである。ここでは仏教用語の相応について解説する。
(出典:Wikipedia)
相
常用漢字
小3
部首:⽬
9画
応
常用漢字
小5
部首:⼼
7画
“相”で始まる語句
相
相手
相違
相好
相撲
相談
相槌
相貌
相模
相対