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ふりがな文庫
“
津軽
(
つがる
)” の例文
旧字:
津輕
青森県のままごと方言は色々あるが、だいたいに
南部
(
なんぶ
)
領はオフルメヤコ、
津軽
(
つがる
)
領はオヒルマイコまたはジサイコナコというのがひろい。
こども風土記
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
文字がよく示しますように、日本の一番奥のはては
陸奥
(
むつ
)
の国であります。県庁は青森市に在りますが、
津軽
(
つがる
)
氏の居城は
弘前
(
ひろさき
)
でありました。
手仕事の日本
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
浜には
津軽
(
つがる
)
や
秋田
(
あきた
)
へんから集まって来た
旅雁
(
りょがん
)
のような漁夫たちが、
鰊
(
にしん
)
の
建網
(
たてあみ
)
の修繕をしたり、
大釜
(
おおがま
)
の
据
(
す
)
え
付
(
つ
)
けをしたりして、黒ずんだ自然の中に
生まれいずる悩み
(新字新仮名)
/
有島武郎
(著)
背後
(
うしろ
)
を青森行の汽車が通る。
枕
(
まくら
)
の下で、
陸奥湾
(
むつわん
)
の
緑玉潮
(
りょくぎょくちょう
)
がぴた/\
言
(
ものい
)
う。西には青森の人煙
指
(
ゆびさ
)
す可く、其
背
(
うしろ
)
に
津軽
(
つがる
)
富士の岩木山が小さく見えて居る。
みみずのたはこと
(新字新仮名)
/
徳冨健次郎
、
徳冨蘆花
(著)
時は八月の九日午後二時——三時、
処
(
ところ
)
は横浜を北へ去る少くとも五百
海浬
(
かいり
)
の海上、今やまさに
津軽
(
つがる
)
海峡の中間を進行しつつある観光船高麗丸の
後甲板
(
こうかんぱん
)
。
フレップ・トリップ
(新字新仮名)
/
北原白秋
(著)
▼ もっと見る
隣郷
(
りんがう
)
津軽
(
つがる
)
の
唐糸
(
からいと
)
の
前
(
まへ
)
に
恥
(
は
)
ぢずや。
女賊
(
ぢよぞく
)
はまだいゝ。
鬼神
(
きじん
)
のお
松
(
まつ
)
といふに
至
(
いた
)
つては、
余
(
あま
)
りに
卑
(
いや
)
しい。これを
思
(
おも
)
ふと、
田沢湖
(
たざはこ
)
の
街道
(
かいだう
)
、
姫塚
(
ひめつか
)
の、
瀧夜叉姫
(
たきやしやひめ
)
が
羨
(
うらやま
)
しい。
十和田湖
(新字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
船はいま黒い
煙
(
けむり
)
を青森の方へ長くひいて
下北半島
(
しもきたはんとう
)
と
津軽
(
つがる
)
半島の間を通って
海峡
(
かいきょう
)
へ出るところだ。みんなは校歌をうたっている。けむりの
影
(
かげ
)
は
波
(
なみ
)
にうつって黒い
鏡
(
かがみ
)
のようだ。
或る農学生の日誌
(新字新仮名)
/
宮沢賢治
(著)
青森地方、即ち
南部
(
なんぶ
)
や
津軽
(
つがる
)
からも、はるかに九州のこの
僻地
(
へきち
)
まで、数名の門弟が来ている。
淡窓先生の教育
(新字新仮名)
/
中谷宇吉郎
(著)
甲府
(
こうふ
)
市の妻の実家に移転したが、この家が、こんどは
焼夷弾
(
しょういだん
)
でまるやけになったので、私と妻と五歳の女児と二歳の男児と四人が、
津軽
(
つがる
)
の私の生れた家に行かざるを得なくなった。
庭
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
僕の父の話によれば、この辺、——二つ目通りから先は「
津軽
(
つがる
)
様」の屋敷だつた。
本所両国
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
未明に
出帆
(
しゅっぱん
)
したのに、夕方になってもまだ
津軽
(
つがる
)
海峡沖を抜け切らなかった。
海に生くる人々
(新字新仮名)
/
葉山嘉樹
(著)
北海道も
石狩
(
いしかり
)
平野から奥へすすむと山国同様だが私はその地方は殆んど知らない。朝夕に
津軽
(
つがる
)
海峡を眺めて暮してきたので、周囲の全部が山また山という風景に接すると異様な感じを与えられる。
八※[#小書き片仮名ガ]岳登山記
(新字新仮名)
/
亀井勝一郎
(著)
南𧮾
(
なんけい
)
が
東遊記
(
とういうき
)
を見るに、南𧮾東遊して
津軽
(
つがる
)
に居たる時、六七日も風雨つゞきしうち、所の役人丹後の人や
居
(
を
)
ると
旅店毎
(
やどやごと
)
にきびしくたづねしゆゑ、南𧮾あるじにそのゆゑを問ひければ、あるじいふやう
北越雪譜:06 北越雪譜二編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
面つゝむ
津軽
(
つがる
)
をとめや
花林檎
(
はなりんご
)
五百五十句
(新字旧仮名)
/
高浜虚子
(著)
津軽
(
つがる
)
の海を思へば
一握の砂
(新字旧仮名)
/
石川啄木
(著)
東は
津軽
(
つがる
)
の岬端から、西は島根県の一部にまで、同じ風の名が今もほぼ一続きに行われ、言葉がきれいなために時々は歌謡の中に入って
海上の道
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
津軽
(
つがる
)
は今
林檎
(
りんご
)
王国の栄華時代である。弘前の城下町を通ると、ケラを
被
(
き
)
て目かご背負うた
津軽女
(
つがるめ
)
も、草履はいて炭馬をひいた津軽男も、林檎
喰
(
く
)
い/\歩いて居る。
みみずのたはこと
(新字新仮名)
/
徳冨健次郎
、
徳冨蘆花
(著)
南𧮾
(
なんけい
)
が
東遊記
(
とういうき
)
を見るに、南𧮾東遊して
津軽
(
つがる
)
に居たる時、六七日も風雨つゞきしうち、所の役人丹後の人や
居
(
を
)
ると
旅店毎
(
やどやごと
)
にきびしくたづねしゆゑ、南𧮾あるじにそのゆゑを問ひければ、あるじいふやう
北越雪譜:03 北越雪譜初編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
それが北へ行って南部領になると、これを略してセンコキ、
津軽
(
つがる
)
の農村ではもっと略して、ヘンコキと謂う人も多かった。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
津軽
(
つがる
)
海峡を四時間に
駛
(
は
)
せて、余等を青森から函館へ運んでくれた梅ヶ香丸は、新造の美しい船であったが、船に弱い妻は到頭酔うて了うた。一夜函館
埠頭
(
ふとう
)
の
朴
(
きと
)
旅館に休息しても、まだ頭が痛いと云う。
みみずのたはこと
(新字新仮名)
/
徳冨健次郎
、
徳冨蘆花
(著)
その
風
(
ふう
)
が遠い田舎にはまだ伝わっていて、秋田地方ではこれをチヂミサシ、
津軽
(
つがる
)
は一般にこれをコギンと
謂
(
い
)
っている。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
元の形に近いものから列記すると、同じ陸中でも上閉伊郡にはヒボトが有るのに、
和賀
(
わか
)
郡には外南部や
津軽
(
つがる
)
・秋田の一部とともに、これをヒブトと謂う者がある。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
始
(
はじめ
)
は
出奔
(
しゅっぽん
)
せしと思ひしに、
其者
(
そのもの
)
の諸器
褞袍
(
おんぽう
)
も残りあれば、それとも言はれずと
沙汰
(
さた
)
せしが、
一月
(
ひとつき
)
ばかりありて立帰れり。
津軽
(
つがる
)
を残らず一見して、
委
(
くわ
)
しきこと言ふばかり無し。
山の人生
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
たとえば
津軽
(
つがる
)
の
鰺
(
あじ
)
ヶ
沢
(
さわ
)
の柱かつぎ、
筑前
(
ちくぜん
)
博多のセンザイロウなどはまだ子どもの管轄に属している。そんな話を
聴
(
き
)
けば珍しがるだろうが、東京人の中でも小さな
児
(
こ
)
をかかえゆさぶって
こども風土記
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
来
(
きた
)
る秋の
稔
(
みの
)
りを
占
(
うら
)
なう点は、
津軽
(
つがる
)
の山中の滝とも似ていた。
海上の道
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
“津軽(
津軽地方
)”の解説
津軽地方'(つがるちほう)とは、現在の青森県西部を指して言う地域呼称。江戸時代に津軽氏が支配した領域(弘前藩・黒石藩の領域)および津軽郡の領域にほぼ相当する。
明治維新で陸奥国(むつのくに)が分割されて設置された陸奥国(りくおうのくに。青森県全域と岩手県西北部)の異称「津軽国」とは異なる。
(出典:Wikipedia)
津
常用漢字
中学
部首:⽔
9画
軽
常用漢字
小3
部首:⾞
12画
“津軽”で始まる語句
津軽海峡
津軽塗
津軽侯
津軽女
津軽平
津軽様
津軽訛
津軽領
津軽地方
津軽順承