木場きば)” の例文
久しいあとで、その頃薬研堀やげんぼりにいた友だちと二人で、木場きばから八幡様はちまんさままいって、汐入町しおいりちょう土手どてへ出て、永代えいたいへ引っ返したことがある。
海の使者 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
匕首あいくちをつかみ、解けかけた帯の端を左の手で持ちながら、あざみの芳五郎は、脱兎だっとのように、木場きばの材木置場の隅へ逃げこんで行った。
魚紋 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小山内薫氏の書いた小説『大川端』や『落葉』に出てくる木場きばの旦那、およびおおのさんがこの二人である。多さんとは藤木麻女のことである。
或日わたくしは洲崎すさきから木場きばを歩みつくして、十間川じっけんがわにかかった新しい橋をわたった。橋のてすりには豊砂橋とよすなばしとしてあった。
元八まん (新字新仮名) / 永井荷風(著)
本多西雲君は深川ふかがわ木場きばの人。鹿島岩蔵氏の番頭さんのせがれで、鹿島氏の援助で私のもとへ来て稽古し一家をした。
木場きばにいたこともあるとかで、坑内では支柱夫をしているようであった。この人はときどきひどく癇癪かんしゃくを起した。若者が病室にいないときにわざとのように
夕張の宿 (新字新仮名) / 小山清(著)
大きな金持のところへはいつては、百兩二百兩といふ金をふんだくる。中には鐵砲をかついではいる者もあるといふ風で、深川ふかがは木場きば淺草あさくさ藏前くらまへで、非常に恐れた。
兵馬倥偬の人 (旧字旧仮名) / 塚原渋柿園塚原蓼洲(著)
家は江戸の木場きばで小さな材木屋をやっていた。問屋ではなくて、注文された材木を問屋から卸し、買い手に渡す仲買のようなもので、男の雇人も三人しかいなかった。
滝口 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「深川の顔役さんで、木場きばじんとおっしゃる人が、すっかりめんどうをみてくださいましたよ」
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
木場きばの旦那衆で、上州屋荘左衛門そうざえもんが死んだのは、もう半歳も前のことですが、その蓄財——どう内輪に見ても、三万両や五万両はあるだろうと思われたのが、不思議なことに
けさ木場きばの方から見えた若いおかみさんなんぞはほんとうにいじらしいようでございました。
半七捕物帳:10 広重と河獺 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
差繰さしくりて參りしは外の事にても御座りませぬ彼花街かのくるわの小夜衣が事木場きばの客人よりだら/\急に身受の相談さうだん然る處小夜衣は如何いかにもして若旦那の御側へ參りたくそれのみを樂しみに苦界を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
深川木場きばは今でも材木の本場、鉄筋コンクリートにけおされて昔のような景気はないが、板割を扱うハガラ屋、カク材を主とする角問屋とあってこの角屋に出入りする川並かわなみという人夫
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
深川ふかがわのこの木場きばの材木に葉が繁ったら、夫婦いっしょになってるッておっしゃったのね。うしたって出来そうもないことが出来たのは、私の念が届いたんですよ。
木精(三尺角拾遺) (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
木場きばは元祿十年に現在のところへ移つたが、其前そのまへ佐賀町さがちやうが材木河岸で、お船藏は新大橋——兩國橋のつぎにかかつた——附近、幕府の軍艦安宅丸は寛永八年に造られて
花火と大川端 (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
深川の材木問屋春木屋はるきやの主人治兵衛じへえが、死んだ女房の追善ついぜんに、檀那寺だんなでらなる谷中やなか清養寺せいようじの本堂を修理し、その費用三千両を釣台つりだいに載せて、木場きばから谷中まで送ることになりました。
木場きばの町にはむかしのままの堀割が残っているが、西洋文字の符号をつけた亜米利加アメリカ松の山積さんせきせられたのを見ては、今日誰かこの処を、「伏見に似たり桃の花」というものがあろう。
深川の散歩 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「ねえ、魚虎の帳面をみると、仕出しが時々にある。それは木場きばの旦那のだろう」
半七捕物帳:32 海坊主 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
門前仲町もんぜんなかちょうとかいってたから、ここは木場きばのあたりかもしれねえな」と彼は呟いた、「——暗い、まっ暗だ、どっちへ向いてもなんにも見えやしねえ、人間の住む世界じゃあねえみてえだ」
さぶ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そのお方は、ふか川で名の売れた木場きばじんとおっしゃる顔役でございます
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
持參成れし成ずや夫等の事がらよもお忘れも仕給ふまじ夫より後も參られてめひの小夜衣が木場きばの客へにはかに受出さるゝことに成夫に付親許おやもと身受にすれば元金もときん五十兩にて苦界を出らるゝ故其五十兩の金子を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
深川ふかがは木場きば材木ざいもくしげつたら、夫婦いつしよになつてるツておつしやつたのね。うしたつて出來できさうもないことが出來できたのは、わたしねんとゞいたんですよ。
三尺角拾遺:(木精) (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
深川木場きばの材木堀のように、材木をめておく置場にもなっていたのかもしれない。
いずれはかようの御咎おとがめもあろうかと木場きば住居すまいお取壊に相ならぬうち、弟子どもが皆それぞれに押隠しました家の宝、それをば取集め、あれなる船に積載せて参った次第で御座ります。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そこから木場きばへ引返したのは、もう夕陽が町を染める頃。
濱町のお宅の木場きばの旦那、お妾さん、柳橋、芳町の藝者、歌舞伎役者や、幇間たちといふ、舊文明の遺産を中心にして、近代劇文學の尖端人である氏自身が、その中に溺れてゐるのを書いた
大川ばた (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
いざ、金銀きんぎんあふぎつてふよとれば、圓髷まげをんな、なよやかにすらりときて、年下としした島田しまだびんのほつれを、透彫すかしぼりくしに、掻撫かいなでつ。心憎こゝろにくし。かねつたふらく、ふね深川ふかがは木場きばかへる。
婦人十一題 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
「これはお珍しい。貴公は木場きば白猿子はくえんしでは御座らぬか。」
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
其處から木場きばへ引返したのは、もう夕陽が町を染める頃。
深川の木場きばが、震災の幾年か前まで、土地っ子で帽子をかぶったものが歩いていなかったように、日本橋区大門通辺では、明治三十年ごろでも、帽子をかぶって歩いているものはすけなかった。