日本やまと)” の例文
慌て者の日本人はすっかり驚いて、日本やまと魂までデングリ返らせた結果が、今日ではところ構わず爆弾を取り落すような悲しい民族的精神となり果てた。
たのむ所の深い此あて人は、庭の風景の、目立った個処個処を指摘しながら、其拠る所を、日本やまと漢土もろこしわたって説明した。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
そしてその記するところは、我が日本やまと朝廷開創以来、雄略天皇の御代に至るまでの間の、我が皇威発展の真相を明らかに説述したものと解せられる。
「いざ子どもはやく日本やまとへ」(巻一・六三)、「いざ子どもへてぎ出む」(巻三・三八八)、「いざ子ども香椎の潟に」(巻六・九五七)等諸例がある。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
文麻呂 敷島しきしま日本やまとの国に人二人ありとしわば何か嘆かむ、だ。……………知ってるかい、清原。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
この地が特にやまとであったということと、日本やまと民族の著しい特質とは、密接な関係を持つらしい。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
オモロにひなも都もということを京鎌倉きやかまくらといったり、勝連城を日本やまと鎌倉かまくらたとえたりした所などを見ると、当時京都と鎌倉との関係が琉球の都鄙とひに知れ渡っていたことが知れる。
土塊石片録 (新字新仮名) / 伊波普猷(著)
たゞたまのしるしばかり、髪は糸で結んでも、胡沙こさ吹く風は肩に乱れた、身はせ、顔はやつれけれども、目鼻立ちのりんとして、口許くちもとしまつたのは、服装なりうでも日本やまと若草わかくさ
印度更紗 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
己酉つちのととり(二十八日)……さらに日本やまと乱伍らんご中軍ちゅうぐんの卒を率いて進みて大唐の軍をつ。大唐、便すなわち左右より船をはさみてめぐり戦う。須臾とき官軍みいくさ敗績やぶれぬ。水におもむきて溺死しぬる者おおし。
金将軍 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
あなかなしここは日本やまとの青ヶ島つくづくと聴けば雀子がこゑ
雀の卵 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
高千穂の峰に神戟有り、即ちこれ億兆の日本やまと
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
そらみつ 日本やまとの國に
たゞたまのしるしばかり、かみいとむすんでも、胡沙こさかぜかたみだれた、せ、かほやつれたけれども、目鼻立めはなだちのりんとして、口許くちもとしまつたのは、服裝なりうでも日本やまと若草わかくさ
印度更紗 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
日本やまとの国の人とは思はれぬ。だが、自分のまだ知らぬこの国の男子をのこごたちには、あゝ言ふ方もあるのか知ら。金色こんじきの冠、金色の髪の豊に垂れかゝる片肌は、白ゝといで美しい肩。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
いざどもはやく日本やまと大伴おほとも御津みつ浜松はままつひぬらむ 〔巻一・六三〕 山上憶良
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
大唐もろこしの軍将、戦艦いくさぶね一百七十艘をひきいて白村江はくそんこう朝鮮ちょうせん忠清道ちゅうせいどう舒川県じょせんけん)に陣列つらなれり。戊申つちのえさる天智天皇てんちてんのうの二年秋八月二十七日)日本やまと船師ふないくさ、始めて至り、大唐の船師と合戦たたかう。日本やまと利あらずして退く。
金将軍 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
町人的日本やまと魂を磨いて行った。
敷島しきしま日本やまとくにひと二人ふたりありとしはばなになげかむ 〔巻十三・三二四九〕 作者不詳
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
日本やまとの国の人とは思われぬ。だが、自分のまだ知らぬこの国の男子おのこごたちには、ああ言う方もあるのか知らぬ。金色のびん、金色の髪の豊かに垂れかかる片肌は、白々といで美しい肩。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)