手焙てあぶり)” の例文
『來ないのは來ないでせうなア。』と、校長は獨語の樣に意味のないことを言つて、卓の上の手焙てあぶりの火を、煙管で突ついてゐる。
足跡 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
道場の前を通つて、下男部屋を覗くと、大痕痘おほあばたの熊吉が、庭の掃除をすませ、手焙てあぶりを股火鉢にして、これだけは贅澤らしい煙草をくゆらせてをります。
床間とこのまには百合の花も在らず煌々こうこうたる燈火ともしびの下に座を設け、ぜんを据ゑてかたはら手焙てあぶりを置き、茶器食籠じきろうなど取揃とりそろへて、この一目さすがに旅のつかれを忘るべし。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
田口はこの答を聞いて、手焙てあぶりの胴に当てた手を動かしながら、拍子ひょうしを取るように、指先できりふちたたき始めた。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そして、金網のかかった手焙てあぶり——桐の胴丸に、天の橋立の高蒔絵したのを、抱えこむように、身体を曲げて
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
走るように書院に入ってきてしとねにつくと、甲斐守は手焙てあぶりにもよらず、いきなり
顎十郎捕物帳:09 丹頂の鶴 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
博士は「玉の處へ手焙てあぶりて來て置け」と言付けた。
半日 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
『来ないのは来ないでせうなア。』と、校長は独語ひとりごとの様に意味のないことを言つて、つくゑの上の手焙てあぶりの火を、煙管でつついてゐる。
足跡 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
道場の前を通って、下男部屋を覗くと、大痘痕おおあばたの熊吉が、庭の掃除をすませ、手焙てあぶりを股火鉢にして、これだけは贅沢ぜいたくらしい煙草をくゆらせております。
やがて名宛なあてしたため終ると、「ただ通り一遍の文言もんごんだけ並べておいたらそれで好いでしょう」と云いながら、手焙てあぶりの前にかざした手紙を敬太郎けいたろうに読んで聞かせた。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
深雪が、顔を上げると、拝領物を飾る棚、重豪公の手らしい、横文字を書いた色紙、金紋の手箪笥、琴などが、綺麗にならんでいた。そして、その前で、梅野は、紙張りの手焙てあぶりへ、手をかざしていた。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
「いろんな物に、抱き茗荷が附いて居るが、他には、羽二重の紋服と、蒔繪まきゑ手焙てあぶりに向ひ鶴の紋が附いて居ますよ」
宗助そうすけくら座敷ざしきなか默然もくねん手焙てあぶりかざしてゐた。はひうへかたまりだけいろづいてあかえた。そのときうらがけうへ家主やぬしうち御孃おぢやうさんがピヤノをならした。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
平は、こう一言云って、手焙てあぶりの火を、いじりながら
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
宗助は暗い座敷の中で黙然もくねん手焙てあぶりへ手をかざしていた。灰の上に出た火のかたまりだけが色づいて赤く見えた。その時裏のがけの上の家主やぬしの家の御嬢さんがピヤノを鳴らし出した。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
湯呑ゆのみのような深い茶碗ちゃわんに、書生が番茶を一杯んで出した。きりった手焙てあぶりも同じ書生の手で運ばれた。柔かい座蒲団ざぶとんも同じ男が勧めてくれただけで、女はいっさい出て来なかった。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
宗助そうすけ小六ころく手拭てぬぐひげて、風呂ふろからかへつてときは、座敷ざしき眞中まんなか眞四角まつしかく食卓しよくたくゑて、御米およね手料理てれうり手際てぎはよく其上そのうへならべてあつた。手焙てあぶり出掛でがけよりはいろえてゐた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
宗助そうすけ小六ころく手拭てぬぐいを下げて、風呂ふろから帰って来た時は、座敷の真中に真四角な食卓をえて、御米およねの手料理が手際てぎわよくその上に並べてあった。手焙てあぶりの火も出がけよりは濃い色に燃えていた。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
親爺は刻み烟草たばこを吹かすので、手のある長い烟草盆を前へ引き付けて、時々灰吹をぽんぽんとたたく。それが静かな庭へ響いてい音がする。代助の方は金の吸口を四五本手焙てあぶりの中へ並べた。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
彼女が最後に私の書斎にすわったのはその次の日の晩であった。彼女は自分の前に置かれたきり手焙てあぶりの灰を、真鍮しんちゅう火箸ひばしで突ッつきながら、悲しい身の上話を始める前、黙っている私にこう云った。
硝子戸の中 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)