“懼(おそれ)” の例文
然るに今は「死せる秘密」のために懼(おそれ)を懐(いだ)いて、もし客を謝したら、緑翹の踪跡(そうせき)を尋ねるものが、観内に目を著(つ)けはすまいかと思った。
魚玄機 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
恐らく、一人だけに頼んだのでは、猫婆(ねこばば)される懼(おそれ)が充分にある故、老人は万全を期して三人に同じ事を委嘱したのであろうと。
南島譚:03 雞 (新字新仮名) / 中島敦(著)
奇を弄(ろう)して益(ますます)出づる不思議に、彼は益懼(おそれ)を作(な)して、或(あるひ)はこの裏(うち)に天意の測り難き者有るなからんや、とさすがに惑ひ苦めり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
しかし、其(そ)の當時(たうじ)、風(かぜ)は荒(あら)かつたが、眞南(まみなみ)から吹(ふ)いたので、聊(いさゝ)か身(み)がつてのやうではあるけれども、町内(ちやうない)は風上(かざかみ)だ。差(さし)あたり、火(ひ)に襲(おそ)はるゝ懼(おそれ)はない。
露宿 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
端艇(たんてい)を覆(くつが)へす懼(おそれ)があるので今(いま)しも右舷(うげん)間近(まぢか)に泳(およ)いで來(き)た三四尺(しやく)の沙魚(ふか)、『此奴(こいつ)を。』と投込(なげこ)む餌(え)の浪(なみ)に沈(しづ)むか沈(しづ)まぬに、私(わたくし)は『やツ。しまつた。』と絶叫(ぜつけう)したよ。
それは、秘密にしてある水の深さが判る懼(おそれ)があるからだと話して聞かせた。このことは、確めはしなかったが、本当かも知れない。もっとも私は疑を持っている。
人家(じんか)にちかき流(ながれ)さへかくのごとくなれば、この二条(すぢ)の流(ながれ)の水源(みなかみ)も雪に埋(うづも)れ、水用(すゐよう)を失(うしの)ふのみならず水あがりの懼(おそれ)あるゆゑ、所(ところ)の人力(ちから)を併(あはせ)て流のかゝり口の雪を穿(うがつ)事なり。
妻子に勝りたる我らの所有物なり、富は盗まるるの懼(おそれ)と浪費さるるの心配あり、国も教会も友人も我を捨てん、事業は我をたかぶらしめ、この肉体も我失わざるを得ず
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
ゆえに、少しく油断すると聖人(せいじん)君子(くんし)の言葉を用いて他人を責(せ)むる道具とする懼(おそれ)がある。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
溺れて死ぬる懼(おそれ)を抱きながらも
もしかしたら素晴らしいものになっているかも知れないが、或いは又、てんで独りよがりの・恥ずべき駄作かも知れないという懼(おそれ)があった。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
如此(かくのごと)き輩(やから)を出入(でいり)せしむる鴫沢の家は、終(つひ)に不慮の禍(わざはひ)を招くに至らんも知るべからざるを、と彼は心中遽(にはか)に懼(おそれ)を生じて、さては彼の恨深く言(ことば)を容(い)れざるを幸(さいはひ)に、今日(こんにち)は一先(ひとまづ)立還(たちかへ)りて
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
利章の密書は只(たゞ)忠之主從を驚きあきれさせたばかりではない。主從は同時に非常な懼(おそれ)を懷いた。なぜと云ふに、忠之が叛逆を企てたと云ふ本文の外に、利章の書面には追而書(おつてがき)が添へてあつた。
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
講義の題として聞くもののごとく思い流すの懼(おそれ)がある。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
ファアウマのは丹毒の懼(おそれ)があるから素人療法では駄目らしい。夕食後騎馬で医者の所へ行く。朧月夜(おぼろづきよ)。無風。山の方で雷鳴。森の中を急ぐと、例の茸(きのこ)の蒼い灯が地上に点々と光る。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
時をも差(たが)へず訪(おとな)ひ来るなど、我家に祟(たたり)を作(な)すにはあらずや、とお峯は遽(にはか)に懼(おそれ)を抱(いだ)きて、とても一度は会ひて、又と足踏せざらんやう、ひたすら直行にその始末を頼みければ、今日は用意して
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
其処へ行って祭壇の前に一祈りすれば、古い神々を涜した懼(おそれ)から容易に解放されるのであろう。神祠の大きさから考えても、白人の神の威力の方が優れていることは疑う余地が無いのだから。
南島譚:03 雞 (新字新仮名) / 中島敦(著)
子路をして心からの快哉(かいさい)を叫ばしめるに充分な出来事ではあったが、この時以来、強国斉は、隣国(りんこく)の宰相としての孔子の存在に、あるいは孔子の施政(しせい)の下(もと)に充実して行く魯の国力に、懼(おそれ)を抱(いだ)き始めた。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)