ごみ)” の例文
これすなわち僕の若返りの工夫くふうである。要するに脳髄のうずいのうちに折々大掃除おおそうじを行って、すすごみあくたえだ等をみな払うことをしたい。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
ちりごみも寐静ったろうと思う月明りのうちに、曲角あたりものの気勢けはいのするのは、二階の美しいのの魂が、菊の花を見に出たのであろう。
式部小路 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
本人とお巡査まはりさんとおつかさまとは茶の間の先の縁に腰をかけた。縁と云つても一尺五寸ほどの板ばりで、ごみと垢とで真黒になつて居る。
夜烏 (新字旧仮名) / 平出修(著)
御寝間係はそのごみを見ると、顔を真赤にしてそのまゝ御前をさがつて行つたが、一時間程経つと国王附の御寝間係を連れてまたはいつて来た。
風が街上の塵埃じんあいを小さな波に吹き上げて、彼等二人をひたし乍ら巡査の方へ走って消えた。彼も此ごみと共に消えたかった。否、何もかもない。
偽刑事 (新字新仮名) / 川田功(著)
しかし化学的に研究すれば、その花の焼けた灰やごみの中からは、生きているときと同様のスペクトル(分光)を発見することが出来るのである。
そして八畳の納戸なんどで着物を畳みつけたり、散かったそこいらを取片着けて、ごみを掃出しているうちに、自分がひどくおどかされていたような気がして来た。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「へえ、流れ流れて、またお江戸のごみになりました、殿様には相変らず御全盛で結構でいらっしゃいます」
大菩薩峠:17 黒業白業の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「いいとも、いいとも。役につかないがいい。そうすりゃ、働く時間がたくさんになる。役人たちに肥料こやしを運ばせるがいい。それにごみはたくさんたまっている。」
イワンの馬鹿 (新字新仮名) / レオ・トルストイ(著)
無暗にごみなどは投げこめなかつたのですが、丸橋忠彌が石を投り込んだ内濠と違つて、二十や三十の菓子なら、夜陰ひそかに投り込めないことでは無かつたでせう。
巨富一かくの夢がさめて、顔へ落ちたきたなごみを払ったところは、あまりいい図ではありません。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
堆肥の間から生え出したごみまみれのにらの葉か何かを、ものぐさそうに唇でせせりながら、流し目一つ使おうとしないので、とうとうごうを煮やしたコン吉が、赤い壇通をかなぐり捨て
家の近くまで帰った時、袂のごみを払おうとして、それにまぎれてここへ落したのが、いつの間にかこのように成長したものだといっております。(伝説の下伊那しもいな。長野県下伊那郡智里村)
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
長谷川うじ——あたしの父で、彼の婿である。常磐津ときわずの師匠の格子戸へ犬のふんをぬった不良若衆で、当時でのモダン代言人である。——あたしは、彼のデコボコ頭のひくみにたまったごみをながめた。
旧聞日本橋:08 木魚の顔 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
川面の處々にがあツた。洲には枯葦が淋しく凋落の影をせてゐて、ごみあくたもどツさり流寄ツてゐた。其の芥を二三羽の鴉がつゝき𢌞し、影は霧にぼかされてぽーツと浮いたやうになツて見えた。
解剖室 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
五歳いつゝ六歳むつになるまでと云ふもの、まるで薬と御祈祷ごきたうで育てられたからだだ——江戸の住居も最早もうお止めよ、江戸はちりごみの中だと云ふぢや無いか、其様そんな中に居る人間に、どう満足ろくなもののはずは無い
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
それも髪結かみゆいさんが結ったのではない、自分でもちのよいように結ったのへごみが付いた上をコテ/\と油を付け、撫付なでつけたのが又こわれましたからびんの毛が顔にかゝり、湯にも入らぬと見えて襟垢えりあかだらけで
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
「どないしなはつた。眼エごみ入らはつたんどすか?」
乳の匂ひ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
「あの棚コのごみよく払っておけせえ」
茶粥の記 (新字新仮名) / 矢田津世子(著)
ごみのやうに小さいけれども
太陽の子 (旧字旧仮名) / 福士幸次郎(著)
そして御寝間の上に残つてゐるくだんごみを見せて、一刻も早く取りのけた方がいゝと、権柄づくに言渡した。国王附の御寝間係は頭を横にふつた。
モウパッサンが普仏ふふつ戦争を題材にした一篇の読みだしは、「巴里パリイは包囲されて飢えつつもだえている。屋根の上に雀も少くなり、下水のごみも少くなった。」
二、三羽――十二、三羽 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ごみを掃き出してしまい、ほうきを台所の壁のところへかけて、座蒲団を火鉢の前へ敷いた。
新世帯 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
今日こんにちのように、無暗にごみなどはほうり込めなかったのですが、丸橋忠弥が石を投り込んだ内濠と違って、二十や三十の乾菓子なら、夜陰ひそかに投り込めないことではなかったでしょう。
皇后の宮はその言葉に一応道理があるやうに思はれたので、誰が係なのか、それをよく吟味して、その者に件のごみの始末をさせるやうにと仰せられた。
やがて、浅井が楊枝ようじくわえて、近所の洗湯せんとうに行ったあとで、お増はそこらを片着けて、急いでごみを掃き出した。そして鏡台を持ち出して、髪を撫でつけ、びんや前髪を立てて、顔をつくった。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)