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國府津
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こふづ
大船を
發して
了へば
最早國府津へ
着くのを
待つ
外、
途中何も
得ることは
出來ないと
思ふと、
淺間しい
事には
猶ほ
殘念で
堪らない。
確に
驛の
名を
認めたのは
最う
國府津だつたのである。いつもは
大船で
座を
直して、かなたに
逗子の
巖山に、
湘南の
海の
渚におはします、
岩殿の
觀世音に
禮し
參らす
習であるのに。
此の
時間前後の
汽車は、
六月、
七月だと
國府津でもう
明くなる。
八月の
聲を
聞くと
富士驛で、まだ
些と
待たないと、
東の
空がしらまない。
私は
前年、
身延へ
參つたので
知つて
居る。
其處で
國府津までの
切符を
買ひ、
品川まで
行き、
其プラツトホームで一
時間以上も
待つことゝなつた。
阿部川と
言へば、きなこ
餅とばかり
心得、「
贊成。」とさきばしつて、
大船のサンドヰツチ、
國府津の
鯛飯、
山北の
鮎の
鮓と、そればつかりを
當にして、
皆買つて
食べるつもりの
國府津で
下りた
時は
日光雲間を
洩れて、
新緑の
山も、
野も、
林も、
眼さむるばかり
輝いて
來た。