下向げこう)” の例文
「なんと。お取立てと思ってよろこんで下向げこうして来たら、あにはからんや、こんな土地の、こんな群盗退治が、これからの仕事なのか」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこには十台ほどの車があって、外に出したそでの色の好みは田舎いなかびずにきれいであった。斎宮さいぐう下向げこうの日に出る物見車が思われた。
源氏物語:16 関屋 (新字新仮名) / 紫式部(著)
子供多く設けたは愛憎が尽きる(『曾我物語』四の九、『源平盛衰記』一九、『昔語質屋庫むかしがたりしちやのくら』五の一一、『平治物語』牛若奥州下向げこうの条)
お京は下向げこうの、碧玳瑁へきたいまい紅珊瑚こうさんご粧門しょうもんもとで、ものを期したるごとくしばらく人待顔にたたずんだのはがためだろう。——やがて頭巾ずきんかぶった。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
それは太平記の俊基としもと関東下向げこうのくだりで、「路次にて失わるるか、鎌倉にて斬らるるか、二の間をはなれじと思いもうけてぞ、いでられける」
薩長二藩の京都手入れはやがて江戸への勅使下向げこうとなった時、京都方の希望をもいれ、将軍後見職にいたのもこの人だ。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
一、七月九日初めて評定所呼出しあり、三奉行出坐し、尋鞠じんきくの件両条あり。一に曰く、「梅田源二郎長門下向げこうの節、面会したる由、何の密議をかせしや」
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
忌日きにちにさきだって、紫野大徳寺の天祐和尚てんゆうおしょうが京都から下向げこうする。年忌の営みは晴れ晴れしいものになるらしく、一箇月ばかり前から、熊本の城下は準備に忙しかった。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
十二月二十八日、江府から松平豆州まつだいらずしゅうが上使として下向げこうしたという情報に接すると、内膳正は烈火のごとく怒って、原城の城壁に、自分の身体と手兵とをげ付けようと決心した。
恩を返す話 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
そして、自分も十月の末には江戸へ下るから、面々においてもそれまでに、二人三人ずつ仇家きゅうかへ気づかれぬよう内々で下向げこうせよと言いわたした。それを聞いて、義徒は皆踴躍ゆうやくした。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
藤田東湖、藤森弘庵の二人は十一月徳川家定が将軍宣下せんげの式を行う時勅使の京都より下向げこうするを機とし、これより先に京師けいし縉紳公卿しんしんくぎょう遊説ゆうぜい攘夷じょういの勅旨を幕府に下さしめようとはかった。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そのおうち近江源氏佐々木おうみげんじささき家と共に、奥州へ下向げこうされたという古い家柄で、代々阪上田村麿さかのうえたむらまろ将軍の旧跡地きゅうせきちに、郷神社さとじんじゃの神官をしていらっしゃるとかで、当主より幾代か前の時、長くわずらって
糸繰沼 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
彼は「仏法興隆のために」関東への下向げこうを勧めたものに答えて言っている——否、自分は行かない。もし仏の真理を得ようとする志があるならば、山川江海を渡っても、来たって学ぶがよい。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
ここへ、下向げこういらい、細川和氏が「——急務第一の任」とばかり、八方手をつくしていたのは、主君高氏の夫人、登子とうこかたの捜査だった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今度勅使の下向げこうを江戸に迎えて見ると、かねて和宮様御降嫁のおりに堅く約束した蛮夷防禦ばんいぼうぎょのことが勅旨の第一にあり、あわせて将軍の上洛じょうらく、政治の改革にも及んでいて
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
他日御出国出来候わば、先ず大原公父子へ御謀り、公卿方の御論御伺い、また関東下向げこう、掘江とも御相談され、天下同意の人々申合せ、そろそろ京師にて御取建てしかるべし。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
「山鳥がお友だち、洒落てるわねえ。」と下向げこうの橋を渡りながら言った、——「洒落てるわねえ」では困る、罪障ざいしょうの深い女性は、ここに至ってもこれを聞いても尼にもならない。
遺稿:02 遺稿 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そうだ、涌谷へゆく途中、湯ノ原の宿で会い、俊基としもと関東下向げこうのくだりを聞いたのだ。
斎宮さいぐうの伊勢へ下向げこうされる日が近づけば近づくほど御息所みやすどころは心細くなるのであった。
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)
京都から下向げこうさせる。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
勅使の一行が通ってきた北国の駅路うまやじには、綸旨りんし下向げこうのうわさが、当然、人々の耳目からひろがった。そして、念仏門のさかえが謳歌おうかされた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
正直一徹で聞こえた大原三位重徳おおはらさんみしげとみなぞは、一度は恐縮し、一度は赤面した。先年の勅使が関東下向げこう勅諚ちょくじょうもあるにはあったが、もっぱら鎖攘さじょう(鎖港攘夷の略)の国是こくぜであったからで。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
下向げこうの時、あらためて、見霽みはらし四阿あずまやに立った。
七宝の柱 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「筑紫落ちといったな。たわけめ。尊氏の下向げこうは、敗れたりとはいえ、落人おちゅうどの身隠しなどとはわけがちがう。いうならば、筑紫びらきと申せ」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その月の十五日には、予定の日取りよりややおくれて、西から下向げこうの団体が続々と宿場に繰り込んで来た。十七日となると、人馬の継立つぎたてが取り込んで、宿役人仲間の心づかいも一通りでない。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
閲歴えつれきなども承って、愈〻思慕のおもいに駆られ、どうかして一度、会いたいものと念じていた願いかなって——今度の下向げこうに、計らずも尊公が
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
勅使下向げこうとなって、慶喜公は将軍の後見に、越前えちぜん公は政事総裁にと、手を取るように言って教えられて、ようやくいくらか目がさめましたろうさ。しかし、君、世の中は妙なものじゃありませんか。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
以来、門をとじて謹慎中の佐々木道誉へ、数日前に鎌倉表からの示達じたつがあった。「——下向げこうして、不審を申し開くべし」
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
京ばかりではない、姫路ひめじ下向げこうすれば姫路の町が秀吉になり、安土あづちへゆけば安土の町がそッくり秀吉の気性きしょうをうつす。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信長の下向げこうに先だって、中国に着く予定の日取やら、陣営の準備、ほか万端を、秀吉と打合わせておくため、一足さきに、これへ来ているものだった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この日、正月二日、秀吉の下向げこうと知って、遠近から年賀の礼に登城する者が、朝からひきもきらぬ有様だった。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「まあ、まあ。さかずきは下におけ。そう酒ばかりすすめんでもよい。このたびの下向げこうにとっても、重大なちょくの勤め。さきに飛脚しておいたくだ令状ぶみも見たであろうが」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こう師泰もろやす石見いわみへ出陣していた。つづいて尊氏も師直と共に自身中国へ下向げこうしていたのである。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
うまやの衆は、空を見ながら、馬にを喰い込ませていた。そこここの侍部屋でも、旅装に忙しい。晴雨にかかわらずあすは岐阜へ下向げこうと、今し方、信長の側近から達しがあった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それゆえ今暁の土佐下向げこうは、讃岐へ変更と相成るによって、とくおふくみくださるように
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
上人がこのたび下向げこうの命を沙汰された土佐国は、御老躯に対し、あまりにご不便。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「鴻山様、拙者万吉をれまして、すぐ江戸表へ下向げこういたしましょう」
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
書中によれば、さい大臣からの目付めつけまで下向げこうして、済州奉行所に泊りこみ、十日以内に、犯人のこらずからめ捕れとの厳達とか。お互い吏務にたずさわる者として、こんな苛烈な上命には思いやらるるよ。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
というみことのりを奉じて下向げこうしてきた者であった。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)