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下向
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げこう
ふりがな文庫
“
下向
(
げこう
)” の例文
「なんと。お取立てと思ってよろこんで
下向
(
げこう
)
して来たら、
豈
(
あに
)
はからんや、こんな土地の、こんな群盗退治が、これからの仕事なのか」
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そこには十台ほどの車があって、外に出した
袖
(
そで
)
の色の好みは
田舎
(
いなか
)
びずにきれいであった。
斎宮
(
さいぐう
)
の
下向
(
げこう
)
の日に出る物見車が思われた。
源氏物語:16 関屋
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
子供多く設けたは愛憎が尽きる(『曾我物語』四の九、『源平盛衰記』一九、『
昔語質屋庫
(
むかしがたりしちやのくら
)
』五の一一、『平治物語』牛若奥州
下向
(
げこう
)
の条)
十二支考:07 猴に関する伝説
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
お京は
下向
(
げこう
)
の、
碧玳瑁
(
へきたいまい
)
、
紅珊瑚
(
こうさんご
)
、
粧門
(
しょうもん
)
の
下
(
もと
)
で、ものを期したるごとくしばらく人待顔に
彳
(
たたず
)
んだのは
誰
(
た
)
がためだろう。——やがて
頭巾
(
ずきん
)
を
被
(
かぶ
)
った。
薄紅梅
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
それは太平記の
俊基
(
としもと
)
関東
下向
(
げこう
)
のくだりで、「路次にて失わるるか、鎌倉にて斬らるるか、二の間をはなれじと思いもうけてぞ、いでられける」
樅ノ木は残った:03 第三部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
▼ もっと見る
薩長二藩の京都手入れはやがて江戸への勅使
下向
(
げこう
)
となった時、京都方の希望をもいれ、将軍後見職に
就
(
つ
)
いたのもこの人だ。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
一、七月九日初めて評定所呼出しあり、三奉行出坐し、
尋鞠
(
じんきく
)
の件両条あり。一に曰く、「梅田源二郎長門
下向
(
げこう
)
の節、面会したる由、何の密議をかせしや」
吉田松陰
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
忌日
(
きにち
)
にさきだって、紫野大徳寺の
天祐和尚
(
てんゆうおしょう
)
が京都から
下向
(
げこう
)
する。年忌の営みは晴れ晴れしいものになるらしく、一箇月ばかり前から、熊本の城下は準備に忙しかった。
阿部一族
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
十二月二十八日、江府から
松平豆州
(
まつだいらずしゅう
)
が上使として
下向
(
げこう
)
したという情報に接すると、内膳正は烈火のごとく怒って、原城の城壁に、自分の身体と手兵とを
擲
(
な
)
げ付けようと決心した。
恩を返す話
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
そして、自分も十月の末には江戸へ下るから、面々においてもそれまでに、二人三人ずつ
仇家
(
きゅうか
)
へ気づかれぬよう内々で
下向
(
げこう
)
せよと言いわたした。それを聞いて、義徒は皆
踴躍
(
ゆうやく
)
した。
四十八人目
(新字新仮名)
/
森田草平
(著)
藤田東湖、藤森弘庵の二人は十一月徳川家定が将軍
宣下
(
せんげ
)
の式を行う時勅使の京都より
下向
(
げこう
)
するを機とし、これより先に
京師
(
けいし
)
の
縉紳公卿
(
しんしんくぎょう
)
を
遊説
(
ゆうぜい
)
し
攘夷
(
じょうい
)
の勅旨を幕府に下さしめようと
謀
(
はか
)
った。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
そのお
家
(
うち
)
は
近江源氏佐々木
(
おうみげんじささき
)
家と共に、奥州へ
下向
(
げこう
)
されたという古い家柄で、代々
阪上田村麿
(
さかのうえたむらまろ
)
将軍の
旧跡地
(
きゅうせきち
)
に、
郷神社
(
さとじんじゃ
)
の神官をしていらっしゃるとかで、当主より幾代か前の時、長く
病
(
わず
)
らって
糸繰沼
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
彼は「仏法興隆のために」関東への
下向
(
げこう
)
を勧めたものに答えて言っている——否、自分は行かない。もし仏の真理を得ようとする志があるならば、山川江海を渡っても、来たって学ぶがよい。
日本精神史研究
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
ここへ、
下向
(
げこう
)
いらい、細川和氏が「——急務第一の任」とばかり、八方手をつくしていたのは、主君高氏の夫人、
登子
(
とうこ
)
の
方
(
かた
)
の捜査だった。
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
今度勅使の
下向
(
げこう
)
を江戸に迎えて見ると、かねて和宮様御降嫁のおりに堅く約束した
蛮夷防禦
(
ばんいぼうぎょ
)
のことが勅旨の第一にあり、あわせて将軍の
上洛
(
じょうらく
)
、政治の改革にも及んでいて
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
他日御出国出来候わば、先ず大原公父子へ御謀り、公卿方の御論御伺い、また関東
下向
(
げこう
)
、掘江とも御相談
成
(
な
)
され、天下同意の人々申合せ、そろそろ京師にて御取建て
然
(
しか
)
るべし。
吉田松陰
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
「山鳥がお友だち、洒落てるわねえ。」と
下向
(
げこう
)
の橋を渡りながら言った、——「洒落てるわねえ」では困る、
罪障
(
ざいしょう
)
の深い女性は、ここに至ってもこれを聞いても尼にもならない。
遺稿:02 遺稿
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
そうだ、涌谷へゆく途中、湯ノ原の宿で会い、
俊基
(
としもと
)
関東
下向
(
げこう
)
のくだりを聞いたのだ。
樅ノ木は残った:04 第四部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
斎宮
(
さいぐう
)
の伊勢へ
下向
(
げこう
)
される日が近づけば近づくほど
御息所
(
みやすどころ
)
は心細くなるのであった。
源氏物語:10 榊
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
京都から
下向
(
げこう
)
させる。
阿部一族
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
勅使の一行が通ってきた北国の
駅路
(
うまやじ
)
には、
綸旨
(
りんし
)
下向
(
げこう
)
のうわさが、当然、人々の耳目からひろがった。そして、念仏門の
栄
(
さか
)
えが
謳歌
(
おうか
)
された。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
正直一徹で聞こえた
大原三位重徳
(
おおはらさんみしげとみ
)
なぞは、一度は恐縮し、一度は赤面した。先年の勅使が関東
下向
(
げこう
)
は
勅諚
(
ちょくじょう
)
もあるにはあったが、もっぱら
鎖攘
(
さじょう
)
(鎖港攘夷の略)の
国是
(
こくぜ
)
であったからで。
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
下向
(
げこう
)
の時、あらためて、
見霽
(
みはらし
)
の
四阿
(
あずまや
)
に立った。
七宝の柱
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
「筑紫落ちといったな。たわけめ。尊氏の
下向
(
げこう
)
は、敗れたりとはいえ、
落人
(
おちゅうど
)
の身隠しなどとはわけがちがう。いうならば、筑紫びらきと申せ」
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その月の十五日には、予定の日取りよりややおくれて、西から
下向
(
げこう
)
の団体が続々と宿場に繰り込んで来た。十七日となると、人馬の
継立
(
つぎた
)
てが取り込んで、宿役人仲間の心づかいも一通りでない。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
閲歴
(
えつれき
)
なども承って、愈〻思慕のおもいに駆られ、どうかして一度、会いたいものと念じていた願いかなって——今度の
下向
(
げこう
)
に、計らずも尊公が
宮本武蔵:06 空の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
勅使
下向
(
げこう
)
となって、慶喜公は将軍の後見に、
越前
(
えちぜん
)
公は政事総裁にと、手を取るように言って教えられて、ようやくいくらか目がさめましたろうさ。しかし、君、世の中は妙なものじゃありませんか。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
以来、門をとじて謹慎中の佐々木道誉へ、数日前に鎌倉表からの
示達
(
じたつ
)
があった。「——
下向
(
げこう
)
して、不審を申し開くべし」
私本太平記:05 世の辻の帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
京ばかりではない、
姫路
(
ひめじ
)
へ
下向
(
げこう
)
すれば姫路の町が秀吉になり、
安土
(
あづち
)
へゆけば安土の町がそッくり秀吉の
気性
(
きしょう
)
をうつす。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
信長の
下向
(
げこう
)
に先だって、中国に着く予定の日取やら、陣営の準備、ほか万端を、秀吉と打合わせておくため、一足さきに、これへ来ているものだった。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この日、正月二日、秀吉の
下向
(
げこう
)
と知って、遠近から年賀の礼に登城する者が、朝からひきもきらぬ有様だった。
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「まあ、まあ。
杯
(
さかずき
)
は下におけ。そう酒ばかりすすめんでもよい。このたびの
下向
(
げこう
)
は
儂
(
み
)
にとっても、重大な
勅
(
ちょく
)
の勤め。さきに飛脚しておいた
下
(
くだ
)
し
令状
(
ぶみ
)
も見たであろうが」
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
高
(
こう
)
ノ
師泰
(
もろやす
)
は
石見
(
いわみ
)
へ出陣していた。つづいて尊氏も師直と共に自身中国へ
下向
(
げこう
)
していたのである。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
厩
(
うまや
)
の衆は、空を見ながら、馬に
飼
(
か
)
い
糧
(
ば
)
を喰い込ませていた。そこここの侍部屋でも、旅装に忙しい。晴雨にかかわらずあすは岐阜へ
下向
(
げこう
)
と、今し方、信長の側近から達しがあった。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それゆえ今暁の土佐
下向
(
げこう
)
は、讃岐へ変更と相成るによって、
篤
(
とく
)
おふくみくださるように
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
上人がこのたび
下向
(
げこう
)
の命を沙汰された土佐国は、御老躯に対し、あまりにご不便。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「鴻山様、拙者万吉を
召
(
め
)
し
連
(
つ
)
れまして、すぐ江戸表へ
下向
(
げこう
)
いたしましょう」
鳴門秘帖:01 上方の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
書中によれば、
蔡
(
さい
)
大臣からの
目付
(
めつけ
)
まで
下向
(
げこう
)
して、済州奉行所に泊りこみ、十日以内に、犯人のこらず
縛
(
から
)
め捕れとの厳達とか。お互い吏務にたずさわる者として、こんな苛烈な上命には思いやらるるよ。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
という
詔
(
みことのり
)
を奉じて
下向
(
げこう
)
してきた者であった。
三国志:02 桃園の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“下向”の意味
《名詞》
高い方から低い方へいくこと。
都から地方へ下ること。
社寺に参詣して帰ること。
(出典:Wiktionary)
下
常用漢字
小1
部首:⼀
3画
向
常用漢字
小3
部首:⼝
6画
“下向”で始まる語句
下向路
下向山
下向候処