丁稚でつち)” の例文
八五郎は店に入るといきなり、其處を片付けてゐる丁稚でつちの品吉の肩をポンと叩きました。誰とでも、こので懇意になる八五郎です。
饂飩うどん屋に丁稚でつちをしてた時から、四十四にもなるまで、大阪に居ますのやもん、生れは大和でも、大阪者と同じことだすよつてな。
鱧の皮 (新字旧仮名) / 上司小剣(著)
二人は、空車引いてけて行く肉屋の丁稚でつちの後に随いて、軈て屠牛場の前迄行くと、門の外に持主、づ見るより、く来て呉れたを言ひつゞける。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
うかゞはするに茲は召仕めしつかひ丁稚でつち和吉糊賣のりうりお金のもとへ至り委細ゐさいきくより大きに驚きすぐ立歸りて管伴ばんたう如此しか/″\の由はなしたりしに忠兵衞もまた驚嘆きやうたんし此事主個あるじ夫婦を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
私が彼の養父の弟の子で、彼とは義従弟同士で、普通の丁稚でつちとは違つて居た為も幾らかあつたであらう——。
世の中へ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
従兄いとこと兄はその前へ置いた碁盤で五目並べをして居る。将棋盤の廻りには十人程の丁稚でつちが皆あつまつて居た。花毛氈の上であるから並んだその白足袋が美くしく見える。
住吉祭 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
かたりていはく、○寛政のはじめ江戸日本橋通一町目よこ町あざな式部小路しきぶこうぢといふ所に喜太郎とて夫婦に丁稚でつちひとりをつかひ菓子屋とは見えぬ𥴩子造かうしづくりにかんばんもかけず
乗合は三人で、一人は国姓爺こくせんやの人形芝居からぬけ出して来たやうな、耳のあか取り、一人は廿七八の、眉をおとした町家ちやうかの女房、もう一人はそのともらしい、はなをたらした丁稚でつちだつた。
世之助の話 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
甚公じんこうつてる——甚公じんこうが!それを此處こゝつてい、丁稚でつち其隅そのすみけ——みんな一しよしばれ——みんなだッて半分はんぶんとゞきやしない——あァ!それでい、別々べつ/\にしては駄目だめだ——さァ
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
見物はすぐ散りましたが、後で丁稚でつちの品吉にきくと、お仙さんの樣子が首の坐にすわつてるやうで、妙に痛々しかつたといふことです。
奧へ通さぬは如何なるわけなるや知つてならばはなすべしと尋ねければ流石さすが丁稚でつちのことゆゑさけさかなつられ其事柄はくはしき譯を知ね共先生よりお浪さんへ艷書ふみ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
三人の事務員と、四人の丁稚でつちとが、この勧工場に働いてゐた。私もその四人の丁稚の一人であつた。
世の中へ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
かたりていはく、○寛政のはじめ江戸日本橋通一町目よこ町あざな式部小路しきぶこうぢといふ所に喜太郎とて夫婦に丁稚でつちひとりをつかひ菓子屋とは見えぬ𥴩子造かうしづくりにかんばんもかけず
半町四方程をつつんで真直まつすぐに天を貫く勢で上つて居ました。火の子はまかれる水のやうに近い家々の上へ落ちるのでした。女中の顔も、丁稚でつちの顔も金太郎のやうに赤く見えました。
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
屠手の頭が印判を取出して、それぞれの肉の上へ押して居るかと見るうちに、一方では引取りに来た牛肉屋の丁稚でつち編席アンペラ敷いた箱を車の上に載せて、威勢よく小屋の内へがら/\と引きこんだ。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
子供の多い上町うへまちの家へ帰してから、お文は道頓堀でまだ起きてゐた蒲鉾かまぼこ屋に寄つて、はもの皮を一円買ひ、眠さうにしてゐる丁稚でつちに小包郵便の荷作につくりをさして、それを提げると、急ぎ足に家へ帰つた。
鱧の皮 (新字旧仮名) / 上司小剣(著)
が、それよりもむしろ、私を動かしたのは、丁稚でつちの方へふりむいた時の動作が、私の膝へ伝へてくれる、相手の膝の動き方であつた。私は前に、向ふの膝がわかつたと云つた。が、今はそれだけではない。
世之助の話 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
丁稚でつちの長六、下女のお咲、仲働のお春、どれも一期半期の奉公人で、お吉や七兵衞を殺すほどの理由を持つやうなのはありません。
女房にわたすこしだが單物ひとへものでもかはれよと無理むりふところへ入れ此事は決して沙汰さたなしにたのむなりと言捨いひすてて立歸りしが途中には穀平の丁稚でつち音吉に行合けるに重四郎聲を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
丁稚でつちに交つて水餅みづもちを笹の葉へ包んだりすることも、手早にせねばなりませんでした。
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
「明日から丁稚でつちやぜ。」と言つた伯父の言葉が、其時の私の心の殆ど全部を占領して居た。何だか恐しい様であつたがまた一面には楽しいやうな気がせぬでもなかつた。胸が烈しく波打つて居た。
世の中へ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
旦那の家の丁稚でつちが入つて來て、土間に突ツ立ちながら
兵隊の宿 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
若い丁稚でつちが、店使ひにしては贅澤過ぎる赤繪あかゑ茶碗ちやわんに、これも店使ひらしくない煎茶せんちやをくんで、そつとお靜の傍にすゝめました。
の紋附の着物を着た裏町の琴の師匠が来た。和歌山の客は皆奥で湯に入つて居るらしい。杯盤やきりずしを盛つた皿が持つて来られて、父も母も客も丁稚でつちも皆同じやうに店で食事をした。
住吉祭 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
「今夜だけはお客さんやが、明日から丁稚でつちやぜ。」
乳の匂ひ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
丁稚でつちは直ぐ飛ぶやうにして歸つて行つた。
兵隊の宿 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
「番頭の半兵衞は通ひだし、浪人の寺本山平は離屋に寢てゐるし、丁稚でつち小僧は店二階へ一緒に寢てゐるし、階下のお鯉とおさんは一緒だし」
私が扇屋へ行く使つかひ丁稚でつちいて行つた時、丁稚の渡す買物帳を其処そこ手代てだいうしろの帳場へ投げました。そしてかちかちと音をさせて扇箱から出した五六本の扇が私の丁稚に渡されました。
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
丁稚でつちをツイ近所の平次のところまで使に出し、平次が店から入つて來ると同時に、裏口から拔出して姿を隱して了ひました。
それから二番々頭の伊之助さん、時松さん、丁稚でつち、小僧さんから若い衆まで、一人も家を空けた者がないとは堅いことだね。
この番頭は、恐らく何にも知らずに、店では丁稚でつちや小僧を引廻して商賣をやり、北新堀の家では用心棒とも祕書役ともなく勤めて居るのでせう。
博多はかたの帶、越後上布ゑちごじやうふ單衣ひとへ、——どう見ても丁稚でつちや手代の風俗ではありませんが、仔細あつて、横山町の遠州屋の主人はツイ先頃非業ひごふの死を途げ
見習はせちや惡いと、昔世話になつた俵屋の孫右衞門旦那に頼み、小さいうちから丁稚でつち奉公に出したんだと言ひましたね
「お前の口から言ひ難ければ、俺が代つて言つてやらう。宜いか、昨夜井戸端で首を締めたのは、丁稚でつちの品吉だらう」
八五郎は一寸氣色ばみましたが、思ひ直した樣子で、そのまゝ外へ出るとその邊に胡散うさんな顏をして立つてゐる丁稚でつちを捕へて、わけもなく聞き出しました。
平次は四方に眼を光らす手代や丁稚でつち達の顏を見渡して、たうとうかうきり出さなければなりませんでした。
丁稚でつち小僧までなか/\の人數ですが、平次は面倒臭さうな樣子もなく、一人々々に世間話やら、商賣の事やらを訊ねて、お勝手から風呂場の方へ歩みを移します。
六兵衞は身持放埒はうらつで、若い時分は近江屋へ出入りも出來なかつた爲に、せめて伜だけは眞人間にしたいといふので、名乘りをしない約束で丁稚でつちに頼みこんだんだ。
もう一人丁稚でつちの伊太松も、まだ白雲頭の惡戯盛りで、人情の機微などとは縁がありさうもありません。
日本橋通り四丁目に八間口の呉服ごふく屋を開いて、一時越後屋の向うを張つた『福屋善兵衞』、丁稚でつち小僧八十人餘りも使はうといふ何不足ない大世帶の主人ですが、先月の末から
主人の次郎右衞門は六十前後、これは持病があつて、あまり店の方には出ず、五十年配の番頭平兵衞が采配さいはいを執り、手代喜三郎以下多勢の丁稚でつち小僧を指圖して益々身代を太らせるばかり。
若者の一人は米屋の丁稚でつちでせう。