“ちゝ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
42.6%
37.0%
乳汁3.7%
牛乳3.7%
遲々3.7%
乳房2.8%
0.9%
愚父0.9%
0.9%
山羊乳0.9%
親父0.9%
0.9%
遅々0.9%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
又ある時は、自分のちゝから御談義を聞いてゐる最中に、何の気もなくちゝの顔を見たら、急に吹きしたくなつて弱りいた事がある。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
ロレ いや、そのことば鋭鋒きっさきふせ甲胄よろひおまさう。逆境ぎゃくきゃうあまちゝぢゃと哲學てつがくこそはひとこゝろなぐさぐさぢゃ、よしや追放つゐはうとならうと。
「泊つて行きなはるか。……久し振りや、阿母おかあさんの乳汁ちゝ可味おいしおますで。」と千代松は微笑みつゝ言つて、背後うしろすくんでゐる竹丸を母の前へ引き出さうとした。
天満宮 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
其処そこの篠田さんナ、彼様あんな不用心な家見たことがいぜ、暗いうちに牛乳ちゝを配るにナ、表の戸を開けてなかへ置くのだ、あれでく泥棒が這入はひらねエものだ」
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
お房が周三のモデルになつて、彼の畫室ぐわしつのモデルだいに立つやうになツてから、もう五週間しうかんばかりになる。しか製作せいさく遲々ちゝとして一かう捗取はかどらぬ。辛面やツとかげとひなたが出來たくらゐのところである。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
北に峨〻たる青山をとおつなことを吐き出す勝手三昧、やつちやもつちやの末は拳も下卑て、乳房ちゝの脹れた奴が臍の下に紙幕張るほどになれば、さあもう此処は切り上げてと源太が一言
五重塔 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
錦橋初代池田瑞仙は、系図諸本及書上かきあげに拠るに、寛保二年壬戌にちゝを喪つた。書上は此を「八歳」の時だとしてゐる。実は七歳である。此より錦橋は槇本坊詮応まきもとばうせんおうに就いて痘科とうくわを学んだ。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
そして其女に至つては実に言ふに忍びざる悲惨の境に沈淪したのである。仮に此女は母の死んだ年に生れたものとすると、そのちゝを失つたのが十五歳、覊旅に死したのが二十歳である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
どうぞ、篠田さん、御赦おゆるし下ださいまし——警視庁から愚父ちゝへ内密の報知がありましたのを、はからず耳にしたので御座います、おはずしいことで御座いますが
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
愚父ちゝなどからも内々警察へ依頼致したのに、相違無いので御座います——篠田さん、——私は貴所あなたの前に一切を懺悔ざんげ致さねばならぬことが御座いますので
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
「これで二ヶ月も三ヶ月も魚ば喰つたことねえべよ、ちゝ。——馬鹿にしてる!」源吉はこはい聲を出した。
防雪林 (旧字旧仮名) / 小林多喜二(著)
「えゝ、糞ちゝ。」由は、磨きながら、思ひ出して、獨言した。
防雪林 (旧字旧仮名) / 小林多喜二(著)
「今度は砂糖を入れないで山羊乳ちゝばかり飲んで見ようかな。乳だけの方が木の実を食べるのによくうつるやうだね。自分が搾る乳だし。」
桑の実 (新字旧仮名) / 鈴木三重吉(著)
翌る朝坊ちやんと三人で麺麭ぱん山羊乳ちゝとのテイブルに着いたとき、おくみは坊ちやんのためにバタのナイフを取りながら、急に容子が違つて来たやうに思ひながらかう言つた。
桑の実 (新字旧仮名) / 鈴木三重吉(著)
お検死の仰しゃるには余程手者てしゃが斬ったのであろうと、それに親父ちゝがたしなみの脇差をして出ましたが、其の脇差は貞宗でございますから
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
貴方にお恵みを受けました親父ちゝ庄左衞門は桜の馬場で何者とも知れず斬殺きりころされましたことは御存じございますまい
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
おつかゞくつちやつれえつてあとかれんのだからちゝかぢつてもそんな料簡れうけんさねんだ
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
春の池ろうある船の歩み遅々ちゝと行くに慣れたるみさぶらひ人
恋衣 (新字旧仮名) / 山川登美子増田雅子与謝野晶子(著)