“痘科”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
とうくわ50.0%
とうか50.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
此年天保七年十一月十四日に池田京水けいすゐが歿した。柏軒が京水の家に就いて痘科とうくわを聴いたことは、かみに記したるが如くである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
明人みんひと戴笠たいりつ痘科とうくわを伝へたと称するものは此嵩山である。此授受の年月には疑がある。嵩山は戴笠が岩国に淹留してゐた時、其治法を伝へたと云ふ。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
次は抽斎の痘科とうかの師となるべき人である。池田氏、名はいんあざな河澄かちょう、通称は瑞英ずいえい京水けいすいと号した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)