痘科とうくわ)” の例文
此年天保七年十一月十四日に池田京水けいすゐが歿した。柏軒が京水の家に就いて痘科とうくわを聴いたことは、かみに記したるが如くである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
明人みんひと戴笠たいりつ痘科とうくわを伝へたと称するものは此嵩山である。此授受の年月には疑がある。嵩山は戴笠が岩国に淹留してゐた時、其治法を伝へたと云ふ。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
痘科とうくわを以て立たうと志した平生の望は此に遂げられた。時に年六十一であつた。書上かきあげに拠るに、幕府の命は十二月二十六日に京都所司代に由つて伝へられたのである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)