“怙”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
33.3%
ちゝ16.7%
たの16.7%
ちち16.7%
16.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
そこで早くを失った終吉さんは伯母おばをたよって往来ゆききをしていても、勝久さんと保さんとはいつとなく疎遠になって、勝久さんは久しく弟の住所をだに知らずにいたそうである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
錦橋初代池田瑞仙は、系図諸本及書上かきあげに拠るに、寛保二年壬戌にちゝを喪つた。書上は此を「八歳」の時だとしてゐる。実は七歳である。此より錦橋は槇本坊詮応まきもとばうせんおうに就いて痘科とうくわを学んだ。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
而して某まさに炎々赫赫、寵をたのみて悔ゆるなく、召対しょうたいまさ闕下けつかに承け、萋斐せいひすなわち君前に進む。委蛇いいわずかに公より退けば、笙歌已に後苑に起る。声色狗馬せいしょくくば、昼夜荒淫、国計民生、念慮に存ずるなし。
続黄梁 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
才八さいはちは永禄元年出生そろて、三歳にしてちちを失い、母の手に養育いたされ候て人と成り候。壮年に及びて弥五右衛門景一やごえもんかげかず名告なのり、母の族なる播磨国はりまのくにの人佐野官十郎さのかんじゅうろう方に寄居いたしおり候。
興津弥五右衛門の遺書 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
間貫一の十年来鴫沢の家に寄寓せるは、る所無くて養はるるなり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)