ちゝ)” の例文
錦橋初代池田瑞仙は、系図諸本及書上かきあげに拠るに、寛保二年壬戌にちゝを喪つた。書上は此を「八歳」の時だとしてゐる。実は七歳である。此より錦橋は槇本坊詮応まきもとばうせんおうに就いて痘科とうくわを学んだ。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
そして其女に至つては実に言ふに忍びざる悲惨の境に沈淪したのである。仮に此女は母の死んだ年に生れたものとすると、そのちゝを失つたのが十五歳、覊旅に死したのが二十歳である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
文久三年正月に生れ、明治七年十二歳にしてちゝを失ひ、九年十四歳にして孫の門に入り、孫の歿するに臨んで、遺命に依つて家を継いだ。時に年二十四であつた。妻は徴のぢよ鉄である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)