韜晦とうかい)” の例文
過去の自分をあわてくさって言葉の上だけで否定し去ることに依って、現在を韜晦とうかいするために、言っているんじゃ、決して無いんだ。
好日 (新字新仮名) / 三好十郎(著)
今は全く韜晦とうかいして消息を絶ってしまったが、黒川文淵くろかわぶんえんという一種異色ある思想家が同居していて朝夕互に偏哲学を戦わしていた。
だがその一面、狂詩にしろ奇行にしろ、どうもその陰に韜晦とうかいする傾きのあるのは見逃せない。俺にはとてもついて行けない。……
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
俊助しゅんすけは今度も微笑のうちに、韜晦とうかいするよりほかはなかった。と、大井は三杯目のウイスキイを前に置いて、金口の煙を相手へ吹きかけながら
路上 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
笑止にも地下三尺の韜晦とうかいの穴で、解脱の長刀を揮ってみてもそれは現実の戦場へは刃尖の届かない盾裏の蔭弁慶でございます。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
柳生流は、ここから誕生し、また、石舟斎宗厳の晩年の韜晦とうかいも、この兵法が生んだところの一流の処世術であったのである。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ユーモアに韜晦とうかいしているもの足りなさを、今日のソヴェト映画は、どのような内容と技術の新生面を開いているだろうか。
映画の恋愛 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
古来凡庸の人と評し来りしは必ずあやまりなるべく、北条氏をはばかりて韜晦とうかいせし人か、さらずば大器晩成の人なりしかと覚え候。
歌よみに与ふる書 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
「浮世は逆さまでございますとも。そこで大変息苦しい。そこで当分貝十郎式に、韜晦とうかいして恋にでも耽るがよろしい」
十二神貝十郎手柄話 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
しかしとらえどころのない軽侮の表情や、かたく心の蓋を閉じて韜晦とうかいするさまが、なんともいえぬ虚無感を人に与えたものである。それが今日はなかった。
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
なぜあなたは自分をそれほどまで韜晦とうかいしておられるのか、それには深いわけがある事と思いますけれども、僕にはどちらの方面から考えても想像がつきません。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
「いや、なりきれなくて、こんなことをして、自分をだましている。ごまかしている。中途半端な韜晦とうかいだ」
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
そうして、こいつは、生意気に、時々水面から口を出して空気を吸って、鯨の真似まねをする、かと思えば、泥の中に深く身を隠して、韜晦とうかいする横着も心得ている。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
さては! お探ね者の御書院番を見破られたかな?!——と、今、ここで訴人そにんをされて押えられては、この七日間、苦心惨憺さんたん韜晦とうかいして来たのが何にもならない。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
敵持つ政右衛門の自己韜晦とうかいや、師匠が実は敵の内縁者であることの現わしを、立てつづけに描いて行く。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
含羞がんしゅうの火煙が、浅間山のそれのように突如、天をもがさむ勢にて噴出し、ために、「なあんてね」の韜晦とうかいの一語がひょいと顔を出さなければならぬ事態に立ちいたり
狂言の神 (新字新仮名) / 太宰治(著)
元々切支丹の韜晦とうかいといふ世渡りの手段に始めた参禅だつたが、之が又、如水の性に合つてゐた。
黒田如水 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
堀江の女の韜晦とうかい中(昭和四年早春)、寂しさに私は東京生まれのインテリで五郎劇の女優を経て道頓堀の酒場に働いている、その頃の美人女優筑波雪子に似た人と知った。
わが寄席青春録 (新字新仮名) / 正岡容(著)
詩人の韜晦とうかい趣味を解さないやからにも困るね。まあ自ら冤罪を招いたようなものだ。誰を恨むこともない。ところで容貌のことでは、昔僕に一つのアネクドートがあるんだね。
メフィスト (新字新仮名) / 小山清(著)
といって、この、人の形をっている妖鬼ようきは、格別犯跡の隠滅いんめつとか足跡の韜晦とうかいを計って、ことさらに体の発見を遅らしたりして捜査を困難ならしめているわけではない。
女肉を料理する男 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
自己韜晦とうかいのために、筆を採るというように、作家の意気を失墜するものがあると考えられる。
正に芸術の試煉期 (新字新仮名) / 小川未明(著)
賑かな世間から不意に韜晦とうかいして、行動をただいたずらに秘密にして見るだけでも、すでに一種のミステリアスな、ロマンチックな色彩を自分の生活に賦与ふよすることが出来ると思った。
秘密 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
もとより世に時めいているものでなく、貧しげな暮しをしておるか、自ら世を韜晦とうかいしておるか、いずれかの人として淋しい心持がつきまとう、其処に秋風らしい心持があるのである。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
そういう境地に韜晦とうかいして、白眼はくがんを以て世間を見下すという態度には出でなかった。南朝の詩でも朗吟すれば維新の志士のおもかげすらあった。それが『蒲団』を書いた花袋である。
これは何も君への復讐の為にしたことではなく、私の厭人癖えんじんへきと秘密好みから出た韜晦とうかいなのだが、それがはからずも役に立った。私は一層の綿密さを以て世間から私の姿をくらますであろう。
陰獣 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
すなわち人を笑わせる職分のために、最も上手に韜晦とうかいする者の技芸であった。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ひとり韜晦とうかいしながらせっせと印税を稼いだ。
福沢諭吉 (新字新仮名) / 服部之総(著)
だがその一面、狂詩にしろ奇行にしろ、どうもその陰に韜晦とうかいする傾きのあるのは見逃せない。俺にはとてもついて行けない。……
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
いわばこの石の舟は、洪水の濁流に、ずる韜晦とうかいして来たのじゃ。かくせねば、とうに柳生家そのものは、水泡の如く、亡び去っていたかもしれぬ。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
古来凡庸ぼんようの人と評しきたりしは必ずあやまりなるべく、北条ほうじょう氏をはばかりて韜晦とうかいせし人かさらずば大器晩成の人なりしかと覚え候。
歌よみに与ふる書 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
非難というよりはまあおべっかみた様なものさ、仲井さんほどの人がこんな所に埋もれている法はないどうして貴方はこんなふうに韜晦とうかいしているのであるか。
陽気な客 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
結局古川の斡旋あっせんで、古川部下の飜訳官として官報局に出仕したのが明治二十二年の夏であって、これから以後の数年は生活の保障に漸く安心して暫らく官途に韜晦とうかい
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
ハムレットさま、そんな浅墓あさはか韜晦とうかいは、やめて下さい。若い者なら若い者らしく、もっと素直におっしゃったら、いかがです。とても隠し切れるものでは、ありません。
新ハムレット (新字新仮名) / 太宰治(著)
元々切支丹の韜晦とうかいといふ世渡りの手段に始めた参禅だつたが、之が又、如水の性に合つてゐた。
二流の人 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
先ず自身の精神を韜晦とうかいして屈従の理論をくみたてるという芸当に身をかわすことは出来ない。
私の信条 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
氏が妙に空虚に張った声の内容には、何か韜晦とうかいする感情が、潜んでいるようにも感ぜられた。
鶴は病みき (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
また自分で自分を韜晦とうかいせねばならぬほどの経国の器量を備えているというわけではない。
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「美人か——ありゃ僕の——まあ好いや。」と、思わせぶりな返事に韜晦とうかいしてしまった。
路上 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
自己を韜晦とうかいしているのではなかろうか。それが心寂しく飽足あきたらなかったのである。
「なにとぞご自重! なるべくご韜晦とうかい! ……しかる後に獅子王おりを出で!」
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
それに当今の山伏には、氏素姓をかくして身を韜晦とうかいしている人間も多いし、避けたほうが賢明と、考えたのであろう。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天王寺大懺悔てんのうじだいざんげ』一冊を残した外には何の足跡をも残さないで、韜晦とうかいしてついに天涯の一覊客として興津おきつ逆旅げきりょ易簀えきさくしたが、容易にひつを求められない一代の高士であった。
美妙斎美妙 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
見るべし、支那の君子の言葉もいまは、詐欺師の韜晦とうかいの利器として使用されているではないか。
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
処女の身にやどる巫呪ふじゅの力にたいする信仰が、まだほとんど上代のままの生き生きした姿を保つてゐるのを奇貨きかとして、その信仰のかげにできるだけわが身を韜晦とうかいしてみよう
鸚鵡:『白鳳』第二部 (新字旧仮名) / 神西清(著)
「船岡はまだ、自分を韜晦とうかいしている、これまで幾たびも問い詰めたが、いちども、自分のはらを割らなかった、そして、周囲に、一ノ関の与党だ、という印象をふりいている」
比田礼二は、それももちまえの一つであるらしい一種の自分を韜晦とうかいした口調で云った。
道標 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
左の座にはその音頭取おんどとりがあるようにも見えた。大抵の読者はそのいずれかに属しながら押黙っていたのである。鴎外はむしろそれを好いことにして、いよいよ韜晦とうかいの術をめぐらすのである。
大仰おおぎょうに言えば、ますに芋の子を盛ったようなたかり方だから、七兵衛の韜晦とうかいにはいっそう都合がよいというもので、ちょっと鼻の先で空世辞を言いながら、人の蔭に隠れて、湯の中へ身を沈め
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
剣術本来の第一精神があらぬ方へ韜晦とうかいされた風があり、武芸者達も老年に及んで鋭気が衰えれば家庭的な韜晦もしたくなろうし、剣の用法も次第に形式主義に走って、本来殺伐、あくまで必殺の剣が
青春論 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
ことに彼自身、二十余歳まで眼に国語を知らず、郷党きょうとうに笑はれたなどと韜晦とうかいして人に語つたのが、他人の日記にもしるされてあるので、一層この間の彼の文学的内容生活は、他人の不思議さを増させた。
上田秋成の晩年 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)