“梁(りやう)” の例文
(三六)亢(かう)を批(う)ち虚(きよ)を擣(つ)き、(三七)形(かたち)格(そむ)き勢(いきほひ)禁(きん)ずれば、則(すなは)ち自(おのづか)ら爲(た)めに解(と)けん耳(のみ)。今(いま)梁(りやう)・趙(てう)・相攻(あひせ)む。輕兵(けいへい)鋭卒(えいそつ)、必(かなら)ず外(そと)に竭(つ)き、(三八)老弱(らうじやく)内(うち)に罷(つか)れん。
秦(しん)の趙高(てうかう)、漢の王莽(わうまう)、梁(りやう)の朱异(しゆい)、唐の禄山、これらはみな旧主先皇(せんくわう)の政(まつりごと)にもしたがはず、楽しみを極め諫(いさ)めをも思ひ入れず、天下(てんが)の乱れん事をさとらずして、民間のうれふる所を知らざりしかば
龐涓(はうけん)其(そ)の己(おのれ)に賢(まさ)るを恐(おそ)れて之(これ)を(一六)疾(ねた)み、則(すなは)ち法刑(はふけい)を以(もつ)て其兩足(そのりやうそく)を斷(た)ちて之(これ)を(一七)黥(げい)し、(一八)隱(かく)れて・見(み)る勿(な)からんことを欲(ほつ)す。齊(せい)の使者(ししや)、(一九)梁(りやう)に如(ゆ)く。
莊子(さうじ)は(一八)蒙人(もうひと)也(なり)。名(な)は周(しう)。周(しう)嘗(かつ)て蒙(もう)の(一九)漆園(しつゑん)の吏(り)たり。梁(りやう)の惠王(けいわう)・齊(せい)の宣王(せんわう)と時(とき)を同(おな)じうす。(二〇)其學(そのがく)は闚(うかが)はざる所(ところ)無(な)し。然(しか)れども其要(そのえう)は老子(らうし)の言(げん)に本(もと)づき歸(き)す。
田忌(でんき)、之(これ)に從(したが)ふ。魏(ぎ)、果(はた)して邯鄲(かんたん)を去(さ)り、齊(せい)と桂陵(けいりよう)に戰(たたか)ふ。((齊軍))大(おほい)に(四一)梁(りやう)の軍(ぐん)を破(やぶ)る。後(のち)十五年(ねん)、魏(ぎ)、趙(てう)と、韓(かん)を攻(せ)む。韓(かん)、急(きふ)を齊(せい)に告(つ)ぐ。齊(せい)、田忌(でんき)を將(しやう)として往(ゆ)かしむ。