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わがくに
然るも
我國の
財源には
限あり、
兵船の
増加にも
限度あり、
國を
思ふの
士は
日夜此事に
憂慮し、
絶えず
此點に
向つて
策を
講じて
居る。
そんなのを
見ると、もう
春が
來たのかと
思はれます。
蝋梅はもと
支那の
産ですが、
早く
我國に
移植され
多くは
庭木として
灌木状をしてゐます。
古人曰く近きを
計れば
足ざるが如く遠きに渡れば乃ち餘り有りと爲す
我國聽訟を云ふ者
大概青砥藤綱大岡忠相の兩氏が明斷を
人も
知つた……
此の
隧道は
以ての
外鎖がある。
普通我國第一と
稱へて、(
代天工)と
銘打つたと
聞く、
甲州笹子の
隧道より、
寧ろ
此の
方が
長いかも
知れぬ。
我國に
於て
大正六
年九
月十二
日に
金の
輸出禁止を
實行して
以來十三
年の
間金の
輸出禁止が
日本の
經濟界に
與へた
惡影響は
可なり
大なるものであつて
他方少くとも
我國の
威信を
存せんが
爲めには
非常の
决心と
實力とを
要するのである。