恬淡てんたん)” の例文
自分の金銭に対する恬淡てんたんさを彼らが全然理解していないことに対する憤懣ふんまんとで、すっかり機嫌を悪くしたまま、伯父はその家を出た。
斗南先生 (新字新仮名) / 中島敦(著)
だが安宅先生に於ては遂に魚を手元へ収め得ないのを知ってからは、最後に恬淡てんたんを装って悲しみの投げ罠のような業さえいたします。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
この時代の代表的剣客けんかくで、せい恬淡てんたん磊落らいらくであり、仕官を嫌って生涯仕えず、市井遊侠の徒と多く交わり、無拘束をもって終始したという。
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
清子はそのおりのことを日記では、泡鳴氏の素行には同感できなかったが、恬淡てんたんな性質には敬意を持つことが出来たと書いている。
遠藤(岩野)清子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
大河内家の先代輝音侯きおんこうというは頗る風流の貴族で常に文墨の士を近づけた。就中なかんずく、椿岳の恬淡てんたん洒落を愛して方外の友を以て遇していた。
とか「高橋さんの性格の長所たりし恬淡てんたんがスプールロース・フェルローレン!〔あとかたもなく消えてしまった〕 実に意外の感があった」
外来語所感 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
庵室と納屋の焼跡を見ると、物欲に恬淡てんたんだと思わせた鉄心道人が、何百両という黄金を溜込んでいたことが発見されたのです。
ルウレットと戦うにはシステムだけではなんの役にもたたぬ。それと同時に、勝負にたいする絶対な無関心……純粋に恬淡てんたんなところが必要だ。
黒い手帳 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
又、彼はその生来、恋愛のできない男で、恋愛を人生の主たるものとはしないから、その文学が色情について恬淡てんたんである。
それでも書ならば陶然として書き飛ばすがね。無慾恬淡てんたんだね。とすると歌なぞの時は少々固くなり過ぎるかも知れないな。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
「妙なはなしだな。みたところ、さほど金に恬淡てんたんたるひとのようにも思われぬが——」若松屋惣七は、眉を寄せてつづけた。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
諸将は日頃から秀吉の恬淡てんたんを知っていた。その秀吉のことばとして聞くとき初めて世業という意義に大きな感動を覚えた。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
、厳重に禁止する、またそういう場合は極めて自由恬淡てんたんであるべきように、子供のうちから教育して置きたいと思います
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
風俗画で一流を成した尾形月耕画伯、諸事恬淡てんたんの江戸ッ子気性ながら、その作品に対しては老いてますます熱を加えた。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
喜多流宗家六平太ろっぺいた氏未ダ壮ナラズ、嘱セラレテ之ヲ輔導ス。しばしば雲上高貴ニ咫尺しせきシ、身ヲ持スルコト謹厳恬淡てんたんニシテ、芸道ニ精進シテ米塩ヲカヘリミズ。
梅津只円翁伝 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
影男の恬淡てんたんぶりが、ちょびひげ紳士をびっくりさせた。かれは西洋流に両手を横に広げるゼスチュアをしてみせて
影男 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
一同の者は僕の女々めめしい醜態に接して唖然あぜんとした。何故なら僕は常々所有の物資に関してはおそらく恬淡てんたんげな高言を持って彼らに接していたからである。
吊籠と月光と (新字新仮名) / 牧野信一(著)
超越してしまっていると云うのか、はなは恬淡てんたんに出来ていること、等々を、いつの間にか知らされた次第であった。
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
気質がきわめて恬淡てんたんだし、口数がすくなく、すべてに控えめなところが人に好かれているけれども、武勇の点ではあまり華々しいはたらきはしていなかった。
青竹 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
もし、彼がもっと典雅で、慎しみ深くて、無慾恬淡てんたんだったら、僕はうに彼に二川家を譲っていたかも知れぬ。何故なら彼こそ、二川家の正当の相続人なのだ。
ところが、このわたくしは、そういう賢明人種とはちがい、至って生来無慾恬淡てんたんの方であるからして、なにごとも構わずぶちまけて、一向にはばからない次第である。
第四次元の男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
恬淡てんたん、衣食ともに一向気にしない、無趣味と云うよりも無造作な、腹が空けば食べるので、寒ければ着るのであるから、ただその分量の多からんことを欲するのみ。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
いかにも功名名利に恬淡てんたん、右門の右門らしいおくゆかしさを見せながら、穏やかに持ちかけました。
右門捕物帖:30 闇男 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
その恬淡てんたんにして公僕的たること、戦後税務吏員の中では異例に属し、表彰したいくらいの人物でした。しかし督促がある度に、義務としてそのことを僕は野呂に伝える。
ボロ家の春秋 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
きょうは朝から近頃に無く気持がせいせいしていて慾もとくも無く、誰をもうらまず、誰をも愛さず、それこそ心頭滅却に似た恬淡てんたんの心境だったのですが、あなたに話かけているうちに
風の便り (新字新仮名) / 太宰治(著)
「峯子の恬淡てんたんさはね、世間の妻君たちにくらべると或は例外かもしれないんだよ」
杉垣 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
かれに今一段の覇気はきとか活気とかいうものがあったならば、かの七代目団蔵の末年とおなじように、古典劇の名手として一部の賞讃を博し得たであろうが、彼はすべてにおいて余りに無欲恬淡てんたん
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
私は勉強といふものをした事のない子供だつたから、したがつて成績や席順には恬淡てんたんだつた。通信簿に乙のつくのが不愉快だつたのは、全甲といふ習慣がいつの間にかついてゐたからに過ぎない。
母たち (新字旧仮名) / 神西清(著)
庵室と納屋の燒跡を見ると、物慾に恬淡てんたんだと思はせた鐵心道人が、何百兩といふ黄金を溜込んで居たことが發見されたのです。
さういふ親切に、ヒロシは然し恬淡てんたんで、第一、二時間も待ちかまへたことを話すにも、いつもと変らぬ調子であつた。
母の上京 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
性来無慾恬淡てんたんであったが、その代りちょっと悪戯いたずら好きであった。で、田舎者の姿を見るとニヤリと笑ったものである。
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
靫彦ゆきひこ蓬春ほうしゅん氏はじめ、この人の篆刻はみな愛しているらしいが、御当人は東京府の老人ホームにいて、仙人みたいに飄々ひょうひょうとしている恬淡てんたんな老人である。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
このひとも意気の女だった。何もかも振りおとして、重荷をはらってしまおうと思うと、慾も徳も考えない気短な、うるさがりやの、金銭に恬淡てんたんな感情家なのだった。
一世お鯉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
さらに気を変えて飄逸の方面を物色すると、まず饗庭あえば篁村翁を挙げたい。翁の性格の如くその筆蹟もすこぶる飄逸で、無邪気な、恬淡てんたんな翁独得の妙味があります。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
二人のようすがあんまり恬淡てんたんとしているため、ついに追い打ちをかけることができず、自分がはずかしめられでもしたような、重量たっぷりの怒りを抱えてそこを去った。
季節のない街 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
支那の寒山という慾無しを自慢の清僧ですら、吾心似秋月などゝ恬淡てんたんそうな句を詠み放しだけでよさそうなものを、未練らしく巌壁に書きつけている。清僧のおさとが知れる。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
他人から御馳走になるには少しでも高価なものを望むのが人情なのに、安い方を望むとは何という恬淡てんたん奥床おくゆかしい人柄でしょう。まったく当代まれに見る見上げた税務吏員です。
ボロ家の春秋 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
佐々は健康で生活力の旺盛な、働きずきの男らしい恬淡てんたんさをもっていた。メディチの紋章のついた椅子も、珍重していながら、大切になでさすって、眺めるような味わいかたはしていなかった。
二つの庭 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
それよりも功名にも利害にもこだはらない恬淡てんたんな人柄に推服すゐふくして、何時の間にやら若い兄貴に立ててゐる文七だつたのです。
君は老子の徒輩と見える、虚無恬淡てんたんの男と見える。二十はたちそこそこの若い身空でそう恬淡では困るじゃないか。
沙漠の古都 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
むしろその恬淡てんたんさに、重盛のほうが抜駈ぬけがけされたような心地だった。父の顔はそれを云ってしまうと、さばさばと朝らしいりを顔脂かおあぶらに見せているのだった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それにくらべると中背ではあるが異常に強壮な身体を持っている鼈四郎はあらゆる官能慾をむさぼるに堪えた。ある種の嗜慾しよく以外は、貪りあとう飽和点を味い締められるが故にかえって恬淡てんたんになれた。
食魔 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
服部嵐雪はっとりらんせつは、その時分井上相模守いのうえさがみのかみに仕えていたから、其角の貧乏を心配して、絶えず金や衣服を調達してやるのだが、性来酒好きな上に恬淡てんたんな其角は、たちまち何もかも酒に代えてしまうのだった。
其角と山賊と殿様 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
千住の先は江戸の町奉行の管轄かんかつでなく、いわば平次は縄張違いですが、この老御用聞を救ってくれるのは、功名に恬淡てんたんな平次の外にはありそうもなかったのです。
そういうお粂のようすを見ては、恬淡てんたん磊落らいらくな紋也といえども、釣り込まれて優しい言葉ぐらいは掛けてやらなければならないだろう。しかるに紋也は逆に出た。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
恬淡てんたんで、真直まっすぐで、柳生のように、政客との交わりなどもなく、素朴な武士気質かたぎの人で通って来た治郎右衛門忠明の姿が、江戸から見えなくなったのは、それから間もなくであった。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
体が弱るようで幾日も幾日もそれでは困ると言いながら、加奈子の美感はむしろ京子の喰べるそのたべものの色彩なり、恬淡てんたんさを好んでも居る。そして加奈子はそっと京子の陰へ廻って肉やさかなを喰べた。
春:――二つの連作―― (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
無欲恬淡てんたんにして非凡な相がないとは断言しないと思う。
長屋天一坊 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
千住の先は江戸の町奉行の管轄くわんかつでなく、言はば平次は繩張り違ひですが、この老御用聞を救つてくれるのは、功名に恬淡てんたんな平次の外にはありさうもなかつたのです。
永生の蝶などある筈がない。云い出した人間が悪い。方術師とは由来道教の祖述者、虚無恬淡てんたんを旨とする、老子の哲学を遵奉じゅんぽうするもので、無慾でなければならない筈だ。
神秘昆虫館 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)