へい)” の例文
李は温の所を辞して、ただちに魚家にって、玄機をれて側室にしようと云った。玄機の両親はへいの厚いのに動された。
魚玄機 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
案内は白衣にへいさゝげて先にすゝむ。清津きよつ川をわたりやがてふもとにいたれり。巉道さんだうふみ嶮路けんろに登るに、掬樹ぶなのき森列しんれつして日をさへぎり、山篠やまさゝしげりてみちふさぐ。
威王ゐわう莊周さうしうけんなるをき、使つかひをして(三一)へいあつうしてこれむかへしめ、(三二)ゆるすにしやうすをもつてす。莊周さうしうわらつて使者ししやつていは
これは神前に立ってへいを持つの意味で、他地方の中座ちゅうぎと称するものに当たる。これまた相応に信用せられている。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
夷官は必ず曰わん、日本は海国なり、陸道もて奔走すること、数百千里なれば、へいを費すこと甚だおおし、火輪船を用いるのまされりと為すに如かざるなりと。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
亜米利加アメリカでは大資本家が小資本家を吸収して利益を壟断ろうだんすると云つてトラストのへいを頻りに論じてるが日本では先づ当分トラストが行はれるほど進歩しない。
青年実業家 (新字旧仮名) / 内田魯庵(著)
きんへいが雲に乘つて下りて來る繪や、また今樣いまやう無恰好ぶかつかうな軍帽をかぶつた兵隊が、軍旗を立てゝ煙の中をひ出してゐる繪や、本式に白馬を一頭だけゑがいたのや
東光院 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
没収し二百十四人の神職七十五人となり堀尾氏の時また減じたり。しかれども今に至るまで毎年四月十月の両度、昔の神領七千石の地の四辺に榜示のへいを挿す。これを
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
もつとも七十何点かの画が、ことごとくこの種類だと云ふ次第ぢやない。たとへば畠山錦成はたけやまきんせい氏の「貴美子きみこ」の如きは、少くともかう云ふ西洋かぶれのへいは受けてゐない作品である。
西洋画のやうな日本画 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
その日のひつじの刻(午後二時)である。泰親は四人の弟子たちから青、黄、赤、黒のへいを取りあつめ、自分の持っていた白い幣と一つにたばねて、壇を降って縁さきに出た。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
バサッとへいをきって、直垂ひたたれそでをたくしあげ、四方へつるをならすしきをおこなってから紫白しはくふたいろこまかい紙片しへんをつかんで、だんの上から試合しあい広庭ひろにわゆきのようにまきちらす。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
案内は白衣にへいさゝげて先にすゝむ。清津きよつ川をわたりやがてふもとにいたれり。巉道さんだうふみ嶮路けんろに登るに、掬樹ぶなのき森列しんれつして日をさへぎり、山篠やまさゝしげりてみちふさぐ。
千枝太郎泰清は青の浄衣を着けて、おなじ色の麻のへいをささげて、南にむかって坐っていた。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
中にはへいも鏡もなくて、単に中央をくぼめて、けい五寸ばかりの石の球がめ込んであった。不思議でたまらなかったが、悪いことをしたと思うから誰にも理由を尋ねてみることができない。
幻覚の実験 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
すで半途はんとにいたれば鳥の声をもきかず、ほとんど東西をべんじがたく道なきがごとし。案内者はよく知りてさきへすゝみ、山篠やまさゝをおしわけへいをさゝげてみちをしめす。
いずれも河原の祈祷にへいをささげた者どもである。師匠は四人の弟子たちに言い聞かせた。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
すで半途はんとにいたれば鳥の声をもきかず、ほとんど東西をべんじがたく道なきがごとし。案内者はよく知りてさきへすゝみ、山篠やまさゝをおしわけへいをさゝげてみちをしめす。
○さて又おんべといふ物を作りてこの左義長にかざして火をうつらせやく祝事しゆくじとす、おんべは御へい訛言くわげんなり。
○さて又おんべといふ物を作りてこの左義長にかざして火をうつらせやく祝事しゆくじとす、おんべは御へい訛言くわげんなり。