大夫たいふ)” の例文
遊女屋の二階で柔術やわらの手を出して、若者わかいもの拳骨げんこつをきめるという変り物でございますが、大夫たいふが是にいらっしゃるのを知らないからの事さ
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
コノ夜逆旅げきりょニ来ツテ寝ス。余コレニイツテ曰ク二親おわス。汝ノ来ルハ何ゾヤ。曰ク僕大夫たいふヲ送ツテ至ル。今二親ニまみユ。実ニ望外ノ幸ナリ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
すでにして大夫たいふ鮑氏はうしかうこくぞくこれみ、景公けいこうしんす。景公けいこう穰苴じやうしよ退しりぞく。しよやまひはつしてす。田乞でんきつ田豹でんへうこれつてかうこくうらむ。
斉に落着き大夫たいふ国氏こくしの娘をめとって二児を挙げるに及んで、かつての路傍一夜のちぎりなどはすっかり忘れ果ててしまった。
牛人 (新字新仮名) / 中島敦(著)
殿は少し不審そうにしていらしったが、道綱が、狩衣姿かりぎぬすがたではいって来るのをお認めになると、「大夫たいふはどこへ行っていたのだ?」とおきになった。
ほととぎす (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
一族には大膳だいぜん大夫たいふ広秀、左近将監高広さこんしょうげんたかひろなどもあり、準北条氏の家格からもまず屈指くっしな重臣といってよい。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
吉田国五郎の人形芝居は例へば清玄せいげん庵室あんしつなどでも、血だらけな清玄の幽霊は大夫たいふ見台けんだいが二つに割れると、その中から姿を現はしたものである。寄席よせの広瀬も焼けてしまつたであらう。
本所両国 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
時を移さず皇后宮大夫たいふは御前に呼び出された。皇后は黙つて可愛かあいらしい指でそのごみを指ざして見せた。皇后宮大夫は二三度お辞儀をしたと思ふと、次に控へた皇后宮附の御寝間係を呼出した。
まして地方における無官の大夫たいふ連にあっては、武蔵一国の平地にも数百の源太、数千の藤次・平三がいるのであるからして、とても何か今一段の区別法を作らずには交通ができなかったのであります。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
其後そののちをつとみづか(六二)抑損よくそんす、晏子あんしあやしんでこれふ。ぎよじつもつこたふ。晏子あんしすすめてもつ大夫たいふせり。
ながいこと大夫たいふの位より昇進しなかった道綱が、ようやく右馬助うまのすけに叙せられたのは、その翌年の除目じもくの折だった。殿からも珍らしくお喜びの御文を下さったりした。
ほととぎす (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
大夫たいふ如何いかゞ成されました、お帰りになったのち種々いろ/\御様子を伺っても一言のお答えもなく、只考えてばかり入らっしゃるが、今晩既に小原山へおでの折お供して参ろうと申したを
一条のとう大夫たいふ行房ゆきふさと、六条の少将千種忠顕ちぐさただあきだ。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかうして諸矦しよこうせいてうす。せい威王ゐわう大夫たいふをして古者いにしへ司馬しば兵法へいはふ(三五)追論つゐろんせしめ、しかうして穰苴じやうしよ((ノ兵法))を其中そのうちけ、つてがうして司馬穰苴しばじやうしよ兵法へいはふふ。
大夫たいふ、何処へ行ってもどうも別にこれぞと云うまぶな仕事もなく、東海道金谷かなやの寺で大妙寺だいみょうじと申すは法華宗の大寺で、これへ這入って金八百両取ったが、の寺にしては存外有りましたが
大夫たいふとう宗兼むねかねむすめ。——名は、有子ありこと。
しんもと卑賤ひせんなり、きみこれ(五)閭伍りよごうちよりぬきんで、これ大夫たいふうへくはふ。
それは先方へ話して金高が分りさえすれば何うにでも成る此処こゝを通り掛ってお助け申した以上は…何さそれは多分でも有るまいから、此処においでになる大夫たいふ如何様いかようとも致して進ぜられる
染々しみ/″\いまだお目通りは致しませんが、日外いつぞやあの五六年以前、大夫たいふが御出府のおりにお目通りを致した事がありますと申し、斯様な見苦しい処ではござるが、一度御尊来を願いたいと申して居ったので
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)