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めいさつ
ふりがな文庫
“
名刹
(
めいさつ
)” の例文
通しであったか、宿次ぎであったか、それさえもわからず、ようやく甲斐国東山梨、松里村の
名刹
(
めいさつ
)
恵林寺
(
えりんじ
)
の門前に着いた宇津木兵馬。
大菩薩峠:21 無明の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
地内はいわゆる七堂
伽藍
(
がらん
)
が
巍々
(
ぎぎ
)
としていた。七十二門の廻廊、三門、草門、
鼓楼
(
ころう
)
、五重の塔など、甲州第一山の
名刹
(
めいさつ
)
たる名に恥じない。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
寺はその森に沿った石段の上にあり、本堂、講堂、
食堂
(
じきどう
)
、客殿、宝蔵などのほかに、三重の塔もあって、近国でも
名刹
(
めいさつ
)
の内にかぞえられていた。
滝口
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
下野薬師寺は奈良の東大寺、筑紫の観音寺と共に天下の三戒壇、鑑真の
開基
(
かいき
)
で、日本有数の
名刹
(
めいさつ
)
だった。この名刹の別当は、流刑というには当らない。
道鏡
(新字新仮名)
/
坂口安吾
(著)
寺は曹洞派の
名刹
(
めいさつ
)
で、明治以後は大いに寺域を縮少されたが、江戸時代には境内二万坪にも近く、松、杉、桜の大樹が枝をかわして、見るから宏壮な古寺であった。
半七捕物帳:65 夜叉神堂
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
▼ もっと見る
京都に
百万遍
(
ひゃくまんべん
)
という
名刹
(
めいさつ
)
があるが、念仏百万遍から来た名である。ともかく度数多く称える念仏のことである。実際そういう多念仏に大なる
功徳
(
くどく
)
を感じた者は多勢いた。
民芸四十年
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
この寺は実に風景に富みたる
名刹
(
めいさつ
)
であるが、住職は極めて愚物で、余は(旭氏自らいう)初めてこの寺に来たり、住職に毎日酒代を恵むことを約し、自らこの寺に入り、住職を
迷信と宗教
(新字新仮名)
/
井上円了
(著)
間もなく、○○町の
名刹
(
めいさつ
)
千福寺の墓地に毎晩人魂が現れるという記事が新聞に出た。
夥
(
おびただ
)
しい数だ。
冥土
(
めいど
)
の連中も昨今の酷暑に堪え兼ねて、
夜々
(
よなよな
)
涼みに浮び上るのだろうとあった。
ある温泉の由来
(新字新仮名)
/
佐々木邦
(著)
右の如く、羅漢寺は
名刹
(
めいさつ
)
でありましたが、多年の風霜のために、大破損を致している。
幕末維新懐古談:32 本所五ツ目の羅漢寺のこと
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
一昨年ここの住職になるについても、やむを得ぬ
先住
(
せんじゅう
)
からの縁故があったからで、
羽生町
(
はにゅうまち
)
で
屈指
(
くっし
)
な
名刹
(
めいさつ
)
とはいいながら、こうした田舎寺には惜しいということもうわさにも聞いていた。
田舎教師
(新字新仮名)
/
田山花袋
(著)
時刻は丁度昼少し前、昔は寺の多い山谷でも、
名刹
(
めいさつ
)
のうちに数えられた春徳寺でしたが、数度の火災に檀家も離散し、今は仮寺のみじめな板屋根で、まことに名ばかりの寺に過ぎませんでした。
銭形平次捕物控:239 群盗
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
つく/″\命は
森林
(
もり
)
を縫う稲妻のいと続き難き者と観ずるに
付
(
つけ
)
ても志願を遂ぐる道遠しと
意馬
(
いば
)
に
鞭
(
むち
)
打ち励ましつ、
漸
(
ようや
)
く東海道の
名刹
(
めいさつ
)
古社に神像木仏
梁
(
はり
)
欄間
(
らんま
)
の彫りまで
見巡
(
みめぐ
)
りて鎌倉東京日光も見たり
風流仏
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
東叡山
(
とうえいざん
)
寛永寺というただいまの勅号は、このときより少しくあとの慶安年中に賜わったものですから、当時は開山天海僧正の名をとって、俗に天海寺と呼びならしていた徳川
由緒
(
ゆいしょ
)
のその
名刹
(
めいさつ
)
目ざして
右門捕物帖:24 のろいのわら人形
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
「うむ。
曹洞派
(
そうとうは
)
の禅林である。聞こえた
名刹
(
めいさつ
)
だな」
巷説享保図絵
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
名刹
(
めいさつ
)
如月寺
(
にょげつじ
)
に延焼
ドグラ・マグラ
(新字新仮名)
/
夢野久作
(著)
場所は
城西
(
じょうせい
)
の
名刹
(
めいさつ
)
甘露寺。——喬国老はいそいそ邸へ帰ると、すぐ使いを出して、玄徳の客館へ旨を伝えにやった。
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
名刹
(
めいさつ
)
の上下でさえも焼き打ちが始まる宗教的確執、我慢の時に於て、何等の僧位僧官も無い平民僧の法然が
法然行伝
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
しかも鎌倉の
名刹
(
めいさつ
)
で十六年の修業を積みながら、たとい故郷とはいえ、若い身空でこんな山奥に引籠っているのは、何かの
子細
(
しさい
)
がなくてはならないと叔父は想像した。
くろん坊
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
名刹
(
めいさつ
)
方丈山実相寺が
指呼
(
しこ
)
の間にある。私たちは山門に入る前に二基の巨大な石彫大将軍に迎えられた。堂々たる彫刻である。この種のものでこんなにも立派な作を見たことがない。
全羅紀行
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
時刻は丁度晝少し前、昔は寺の多い山谷でも、
名刹
(
めいさつ
)
のうちに數へられた春徳寺でしたが、數度の火災に檀家も離散し、今は假寺のみじめな板屋根で、まことに名ばかりの寺に過ぎませんでした。
銭形平次捕物控:239 群盗
(旧字旧仮名)
/
野村胡堂
(著)
かつての
名刹
(
めいさつ
)
、二龍山の
宝珠寺
(
ほうじゅじ
)
も、いまは賊の殿堂と化して、千僧の
諷誦
(
ふうしょう
)
や
梵鐘
(
ぼんしょう
)
の声もなく、代りに、
豹
(
ひょう
)
の皮をしいた
榻
(
とう
)
の上に、赤鬼のごとき大男が昼寝していた。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その辺で
敵
(
かたき
)
の当りがついたのか。松里村には
名刹
(
めいさつ
)
恵林寺
(
えりんじ
)
があって、そこは兵馬に
有縁
(
うえん
)
の地。
大菩薩峠:21 無明の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
武田信玄以来の
名刹
(
めいさつ
)
で、昔、織田信長があの寺を攻めてやきうちを試みた時、寺の
主
(
あるじ
)
快川国師
(
かいせんこくし
)
は楼門の上に登り、火に包まれながら、心頭を滅却すれば火もおのずから涼しといって
大菩薩峠:21 無明の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
宮司
(
ぐうじ
)
、
真人
(
しんじん
)
たちは、あくる日、彼の先導に立った。そして、
上清観
(
じょうせいかん
)
の唐代、五代、宋代にわたる
名刹
(
めいさつ
)
の建造物を見せてまわり、さいごに九天殿、
紫微殿
(
しびでん
)
、
北極殿
(
ほっきょくでん
)
の奥ふかい社廊をすすみ
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それは
名刹
(
めいさつ
)
恵林寺の大和尚として、学徳並びなしという意味において知っているのではなく、そのブン廻しで描いたような
真円
(
まんまる
)
い顔と、夜具の袖口を二つ合わせたような大きな口と
大菩薩峠:26 めいろの巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
宋朝
(
そうちょう
)
初期のころには、
紫雲
(
しうん
)
の
薫香
(
くんこう
)
、
精舎
(
しょうじゃ
)
の鐘、とまれまだ人界の
礼拝
(
らいはい
)
の上に
燦
(
かがや
)
いていた
名刹
(
めいさつ
)
瓦罐寺
(
がかんじ
)
も、
雨露
(
うろ
)
百余年、いまは
政廟
(
せいびょう
)
のみだれとともに
法灯
(
ほうとう
)
もまた到るところ
滅
(
ほろ
)
びんとするものか
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
玄関から
名刹
(
めいさつ
)
の内部の間毎の案内を受けようとする途端、これはまた運命の
悪戯
(
いたずら
)
! とまでお角さんをおびえさせて、
一時
(
いっとき
)
、その爪先をたじろがせたほどの奇蹟を見ないわけにはゆきません。
大菩薩峠:41 椰子林の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
「よう存じませんが、昨年、年の暮に、ぶらりとご参詣なさいまして、関東一の
名刹
(
めいさつ
)
が、このお
相
(
すがた
)
はいたましい、ご
普請
(
ふしん
)
の折には、お材木代の端に加えてくれといって、置いて行かれましたので」
宮本武蔵:06 空の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
寺町のなんとかという
名刹
(
めいさつ
)
などを見せて歩かされたものですから、万太郎もすッかりまいってしまッて、ひそかに思うには、これは何とかして、おやじと河豚を
撒
(
ま
)
く工夫をしなければ助からない。
江戸三国志
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“名刹”の意味
《名詞》
名刹(めいさつ)
名高い寺院。
(出典:Wiktionary)
名
常用漢字
小1
部首:⼝
6画
刹
常用漢字
中学
部首:⼑
8画
“名”で始まる語句
名
名残
名代
名告
名前
名誉
名人
名聞
名高
名題