勘解由かげゆ)” の例文
しかし、秀次は、年まだ十七の弱冠じゃっかんである。そこで秀吉は、自分の左右から、木下助右衛門と、同姓の勘解由かげゆのふたりを選抜して
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「大学はおれの思ったとおりに増長する、このあいだ評定役ひょうじょうやくの会議があった、そのとき、遠山勘解由かげゆひとりが異をとなえた」
文中にもある馬込まごめ氏は、江戸宿の里長馬込勘解由かげゆの家柄で、徳川氏が江戸に来たとき、駄馬人夫を率いて迎えた名望家で
伊能忠敬は、幼名を三治郎、後に佐忠太といましたが、成人して通称三郎右衞門と称し、字は子齊、東河と号し、晩年には勘解由かげゆとも称しました。
伊能忠敬 (新字新仮名) / 石原純(著)
よって、永代、所替をいたさず、この方よりも申しつけまじくと仰せあって、権現ごんげんさまから、特に藩祖勘解由かげゆさまに下しおかれたよしに聞き及んでおります。
無惨やな (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
父の信之、祖父の勘解由かげゆ、母お柳、その三人と松原家の使者つかひとは奥の間で話してゐる。叔母も其席に出た。静子は今更の様に胸が騒ぐ。兄の居ないのが恨めしい。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
かすめ取るべしと思ひしをりから故大いによろこび兩人は立出是は/\勘解由かげゆ殿にはよくこそ御入來只今の御口上のおもふいたみ入候主人儀は別段變る事も是なく併し此度の儀は
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
喜多村緑之丞ろくのじやう、加藤彌三之丞、金出宿には黒田監物、黒田平吉、林掃部かもん、村山角右衞門、野口左助、喜多村勘解由かげゆ、宰府口には毛利左近、月瀬右馬允うめのじよう衣笠因幡きぬがさいなば、大音六左衞門、菅勘兵衞
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
(ありゃア松浦勘解由かげゆせがれだ。わずかの意趣から太秦うずまさの野道で、その勘解由を討って取り、爾来自分でも世を狭めていたが、こんな江戸の地でその勘解由の忰の、民弥に逢おうとは思わなかった)
猫の蚤とり武士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
主人の佐久間勘解由かげゆは、東照宮入国のお供をして大伝馬町に住み付き、代々公儀の御用達を勤める身分ですが、生得気むずかしく、物事に容捨ようしゃを知らぬ心掛けの人間で、それに連れ添う内儀のおすぎ
先ず陣のき方を見ると、東軍は幕府を中心にして、正実坊しょうじつぼう、実相院、相国寺、及び北小路町の細川勝元邸を連ねて居る。西軍は五辻通、大宮東、山名宗全邸を中心に、勘解由かげゆ小路にまで延びて居る。
応仁の乱 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
羽生はにゅう某の記する所にるに元義は岡山藩中老池田勘解由かげゆしん平尾新兵衛長治ながはるの子、壮年にして沖津氏の厄介人やっかいにん(家の子)となりて沖津新吉直義(退去の際元義と改む)と名のりまた源猫彦と号したり。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
そして、あとには勘解由かげゆと腹心の者だけが残って、一室を閉め切り、その入れ札を開くこととなりましたが、二十七枚の多くは
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
れは三枝勘解由かげゆさまの御二男ですわ、お名はなんとおっしゃったかしら。それは紀久さまがご存じでございましょう。
石ころ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
隱居の勘解由かげゆはもう六十の阪を越して體も弱つてゐるが、小心な、一時間もむだには過されぬと言つたたちなので、小作に任せぬ家の周圍の菜園から桑畑林檎畑の手入、皆自分が手づから指揮して
鳥影 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
されば今日の變事へんじに付稻葉家に於ては大いに心配しんぱい致され取敢とりあへず日野殿の御機嫌伺きげんうかゞひとして家老からうの中をつかはされんと城代稻葉勘解由かげゆを以て京都日野方へ參入致させ種々しゆ/″\音物いんもつ山の如く贈られて今日の變事へんじ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
伊加賀民部、山崎勘解由かげゆ等これに殉じた。晴賢の辞世は
厳島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
勘解由かげゆ家の当主の千賀子であった。
生死卍巴 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
とうノ大夫行房と、勘解由かげゆノ次官光守は、衣冠すがたで、馬上。ほかの公卿官人はみな、騎馬戎衣じゅうい(軍装)で供奉についた。
依怙えこの条では、弟(遠山勘解由かげゆ)を評定役にし、加増させたこと。末弟、永江主計かずえをも評定役、出入司しゅつにゅうづかさに進めたこと。
隠居の勘解由かげゆはモウ六十の坂を越して体も弱つてゐるが、小心な、一時間もむだには過されぬと言つたたちなので、小作に任せぬ家の周囲まはりの菜園から桑畑林檎畑の手入、皆自分が手づから指揮さしづして
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
差出せし御咎ならん此度江戸表へまかり出る時は必ず切腹せつぷくにても致さずんば申わけ立難しとの事にて誰一人勘解由かげゆ附添つきそひ下向げかうせんと云者なく其座白けて見えにける豫て覺悟かくごの勘解由は進み出て各々おの/\は此度の儀を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
……彼には、彼の年若さを思って、秀吉から特に、思慮も勇気もある木下助右衛門きのしたすけえもんと、木下勘解由かげゆの両名を、側に、ちゃんと付けてやってある。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
仮にも異議をさしはさむ者があろうとは考えられなかったのであるが、その第一日で、新任の遠山勘解由かげゆが、まったく予想もしないことを云いだした。
佐久間様、柴田様、勘解由かげゆ様と——御当家にても名だたるお方達がみな、相つづいて惨敗して退いた後でござります。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
正四郎の父は岩井勘解由かげゆといって、信濃守景之しなののかみかげゆき側用人そばようにんであるが、吉塚は先代から岩井家に仕えてい、正四郎が国許くにもとへ来るに当り、父が選んで付けてよこした。
その木戸を通って (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
従兄弟いとこ勘解由かげゆ様まで戦死されては、いかな無理押しの御気性でも、こんどは悔いを噛まれたにちがいない——。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また大学の弟の遠山勘解由かげゆを、いまだに評定ひょうじょう役にしておくのは不審である、などと述べ、さらに
木下助右と勘解由かげゆ付人つけびと二人も、見殺しにしながら、池田監物を、家臣にもらいたいなどといっているようでは、まだまだ、性根しょうねがついていないと見える。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「七月の評定役会議で、遠山勘解由かげゆがひとり異をとなえ、渡辺金兵衛ら三名を訊問じんもんにかけた」
桐井角兵衛きりいかくべえのさしずで、少し遅れて出張でばってきた徳島の町同心まちどうしん浅間丈太郎あさまじょうたろう、田宮善助、助同心すけどうしん岡村勘解由かげゆ
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何をかくそう、いつぞや江ノ島で会ったあの内田勘解由かげゆから、すっかり見込まれて、兄や、叔父までも抱きこまれ、この俺に、むこになってくれというわけだ……
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
で、勘解由かげゆは、あとに残って詳細に倉の内外を見て廻っている。それを終って、河合伝八の死骸を片づけたのは午後でしたから、とうとうひるの食事さえっていない。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
各隊先導の部将には、生駒甚助同三吉の父子、中村孫兵次、山内猪右衛門、木下助左衛門、弟の勘解由かげゆ、小西弥九郎、一柳市助など、いわゆる中堅の旗本のみだった。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
土屋勘解由かげゆ、水野弥一兵衛、庄司しょうじ仙三郎、近藤幹雄みきお中坊陽之助ちゅうぼうようのすけ、長坂血槍九郎、本田龍平、こう七人で、吉宗の弓馬の相手に近ごろ選び出された倔強くっきょうの者たちでした。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と見て、海部同心の安井、土岐、助同心の岡村勘解由かげゆ、眼八について列の前へかき分けて出る。
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小侍に、燭台しょくだいを持たせ、次に、用人の雨宮勘解由かげゆが、そっと小暗い端にかしこまった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
用人の勘解由かげゆが、やがてまた、彼の居間へ告げて来た。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、仲を取って、助同心すけどうしんの岡村勘解由かげゆ
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
木下勘解由かげゆは、たしなめた。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
勘解由かげゆ。代って参れ」
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
勘解由かげゆ、勘解由」
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)