中洲なかず)” の例文
中洲なかずありて川の西部に横たはり、儼として一島をなし、酒楼の類のこゝに家するもの少からず。中洲の対岸一水遠く東に入るものを
水の東京 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
当時の中洲なかずは言葉どおり、あしの茂ったデルタアだった。僕はその芦の中に流れ灌頂かんじょうや馬の骨を見、気味悪がったことを覚えている。
追憶 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
気の置けないものばかりの旅で、三人はときどき路傍みちばたの草の上にかさを敷いた。小松の影を落としている川の中洲なかずを前にして休んだ。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
さて右の書面を以て其の筋へ訴えましたゆえ、探偵の方が段々調べました処、後に致ってお駒の死骸が中洲なかずに掛って居て是が揚りました。
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
「だっておい四たび素帰すがえりをしたぜ、串戯じょうだんじゃあない。ほんとうに中洲なかずからお運び遊ばすんじゃあ、間に橋一個ひとつ、お大抵ではございませんよ。」
三枚続 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
しかし中洲なかずの河沿いの二階からでも下を見下みおろしたなら大概のくだり船は反対にこの度は左側なる深川ふかがわ本所ほんじょの岸に近く動いて行く。
夏の町 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
浜町の家には、近くの中洲なかず真砂座まさござにたむろしていた、伊井、河合、村田、福島、木村などの新派俳優の下廻りが、どっちが楽屋かわからないほど入込んでいた。
中洲なかずを出た時には、外はまだ明るく、町には豆腐屋の喇叭らっぱ、油屋の声、点燈夫の姿が忙しそうに見えたが、俥が永代橋を渡るころには、もう両岸の電気燈もあざやかに輝いて
深川女房 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
伊井蓉峰いいようほうの新派一座が中洲なかず真砂座まさござで日露戦争の狂言を上演、曾我兄弟が苦力に姿をやつして満洲の戦地へ乗り込み、父のかたきの露国将校を討ち取るという筋であったそうで
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
間もなく、由良は、日本橋中洲なかずの芝居の太夫元と結んでそこを自分の定小屋じょうごやにした。
春泥 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
暮の中洲なかずで秘密にった銀子と伊沢は、春次が気を利かして通しておいたなべのものにも手をつけず、やがて待合を出て女橋を渡り、人目をさけて離れたり絡んだり、水天宮の裏通りまで来て
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
僕は時々この橋を渡り、なみの荒い「百本杭ひやつぽんぐひ」やあしの茂つた中洲なかずを眺めたりした。中洲に茂つた芦は勿論、「百本杭」も今は残つてゐない。
本所両国 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
成程なるほど、島を越した向う岸のはぎの根に、一人乗るほどの小船こぶねが見える。中洲なかずの島で、納涼すずみながら酒宴をする時、母屋おもやから料理を運ぶ通船かよいぶねである。
伯爵の釵 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
中洲なかず河岸かしにわたくしの旧友が病院を開いていたことは、既にその頃の『中央公論』に連載した雑筆中にこれを記述した。
深川の散歩 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
三十年九月には中洲なかずの真砂座で「乳房榎」を上演し、翌三十一年二月には同座で「真景累ヶ淵」を上演した。いずれも座付作者の新作で、作者は竹柴万治であったように記憶している。
寄席と芝居と (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
拵えた百枚の羽織を幇間へ総羽織を出し、屋形船で中洲なかずへ乗り出す、花魁が中で琴を弾き、千蔭先生が文章を作り、稲舟いなふねという歌が出来まして、二代目名人荻江露友おぎえろゆうが手をつけて唄いました。
披露目も福井楼界隈かいわい米沢町よねざわちょうから浜町、中洲なかずが七分で、残り三分が源冶店げんやだな界隈の浪花町なにわちょう、花屋敷に新屋敷などで、大観音おおかんのんの裏通りの元大阪町では、百尺ひゃくせきのほかにやっと二三軒あるくらいだった。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
しかも中洲なかずは開けたばかりですぐ近く、前の川の下である。橋をわたれば葭町よしちょう花柳場さかりばがあり、いんしんな人形町通りがあり、金のうなる問屋町にとりまかれて、うしろには柳橋がひかえている。
お光の俥は霊岸島からさらに中洲なかずへ廻って、中洲は例のお仙親子の住居を訪れるので、一昨日おととい媼さんがお光を訪ねた時の話では、明日の夕方か、明後日の午後にと言ったその午後がもう四時すぎ
深川女房 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
白い鳳凰ほうおうがたった一羽、中洲なかずの方へ飛んで行くのを見たことがあると言っていたよ。もっともでたらめを言う人だったがね
追憶 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
さつきは雨脚あめあししげくつて、宛然まるで薄墨うすゞみいたやう、堤防どてだの、石垣いしがきだの、蛇籠じやかごだの、中洲なかずくさへたところだのが、点々ぽつちり/\彼方此方あちらこちらくろずんでて、それで湿しめつぽくツて
化鳥 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
挙ぐれば中洲なかず箱崎町はこざきちょう出端でばなとの間に深く突入つきいっている堀割はこれを箱崎町の永久橋えいきゅうばしまたは菖蒲河岸しょうぶがし女橋おんなばしから眺めやるに水はあたかも入江の如く無数の荷船は部落の観を
春次は独りでみ込み、もう暮気分のある日の午後のことだったが、銀子は中洲なかずの待合から口がかかり、車で行ってみると、大川の見える二階座敷で、春次と伊沢がほんのつまみ物くらいで呑んでいた。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
三派みつまたはいまの中洲なかずのあたりの名で、月の名所になつてゐる。
花火と大川端 (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
人の悪い中洲なかずの大将などは、鉄無地てつむじの羽織に、茶のきんとうしの御召揃おめしぞろいか何かですましている六金ろっきんさんをつかまえて、「どうです、一枚脱いじゃあ。黒油くろあぶらが流れますぜ。」
老年 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
中洲なかずと、箱崎はこざきむかうにて、隅田川すみだがは漫々まん/\渺々べう/\たるところだから、あなたおどろいてはいけません。
深川浅景 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
すべ溝渠こうきよ運河の眺望の最も変化に富みつ活気を帯びる処は、この中洲なかずの水のやうに彼方かなた此方こなたから幾筋いくすぢの細い流れがやゝ広い堀割を中心にして一個所に落合つて来る処、しくは深川の扇橋あふぎばしの如く
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
永井荷風ながいかふう氏や谷崎たにざき潤一郎氏もやはりそこへ通ったはずである。当時は水泳協会もあしの茂った中洲なかずから安田の屋敷前へ移っていた。僕はそこへ二、三人の同級の友達と通って行った。
追憶 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
中洲なかず眺望
自選 荷風百句 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)