陋屋ろうおく)” の例文
堂屋敷は、来てみると意外にも空家ばかりで、ただ一人老いた鳥刺しが軒も傾いた陋屋ろうおくにぽつねんと囮の餌をすっているだけであった。
れいの、北さんと中畑さんとが、そろって三鷹の陋屋ろうおくへ訪ねて来られた。そうして、故郷の母が重態だという事を言って聞かせた。
故郷 (新字新仮名) / 太宰治(著)
その面影は再び、この影の中に、この屋根部屋やねべやの中に、この醜い陋屋ろうおくの中に、この恐ろしい醜悪の中に、現われきたったのである。
台石の蓮花の中に、延宝八庚申正月八日とあるのは、この碑を建てた日である、と筠庭いんてい雑録に載っている。戸崎町は、私の陋屋ろうおくから遠くはない。
酒渇記 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
小箱のような陋屋ろうおくからは赤児の泣き声や女の喚き声や竹の棒切れで撲る音などが、巷に群れている野良犬の声と、殺気立った合唱コーラスを作っている。
沙漠の古都 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
みのと傘とがもの語り行く」道のほとりに、或は「人住みて煙壁を漏る」陋屋ろうおくの内に、「春雨や暮れなんとしてけふもあり」という情景も床しく
雨の日 (新字新仮名) / 辰野隆(著)
あまりに日本化している。日本化したといえ、それは日本の乞食の住居のような陋屋ろうおくがいかにも多く見られたのである。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
あの東大泉の雑木林の中の博士の陋屋ろうおくへ、はるばると東武電車に乗って東大理学部長寺沢寛一先生の代理なる者が、博士に面会にやって来たんだよ。
君子がものごころのつく頃には祖母と二人で、ある山端やまばたの掘っ立て小屋のような陋屋ろうおくに住んでいた。どこか遠い国から、そこに流れてきたものらしい。
抱茗荷の説 (新字新仮名) / 山本禾太郎(著)
しかれども赤貧洗うがごとく常に陋屋ろうおくの中に住んで世とれず。古書こしょ堆裏たいりひとり破几はきりていにしえかんがえ道をたのしむ。
曙覧の歌 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
阿部麻鳥あべのあさとり(もと朝廷の伶人れいじん)崇徳天皇に愛され、天皇退位の後も、御所の柳ノ水の水守を勤め、讃岐さぬきの配所までお慕いして、今は都の陋屋ろうおくに住んでいる若人わこうど
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかしたまたまわが陋屋ろうおくの庭に枇杷のの生育して巨木となったのを目前に見る時、歳月の経過を顧み、いかにはなはだしく時勢の変転したかを思わずには居られない。
枇杷の花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
貧しき者が縁日の草花に九尺の陋屋ろうおくを飾るのも、自然を楽しみ自己の生命を楽しまんとする所以であって
望岳都東京 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
太陽の光線は存外公平なもので屋根にペンペン草の目標のある陋屋ろうおくでも、金田君の客間のごとく陽気に暖かそうであるが、気の毒な事には毛布けっとだけが春らしくない。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
あのドルセット街の陋屋ろうおくにおけるケリイ別名ワッツ殺しの場合のような徹底した狂暴ぶりは、野獣か狂者でないかぎり、いかに残忍な、無神経な、血に餓えた人間であっても
女肉を料理する男 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
あさくさ瓦町の陋屋ろうおくにぐるぐる巻きでつっかぶっていたお艶ではなく江戸でも粋と意気の本場、辰巳の里は櫓下の夢八姐さん……夜の室内で見た時よりは一段と立ちまさって
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
吉屋さんは、玄関の前に井戸のある私の陋屋ろうおくに時々おとずれて面白い話をしてゆかれた。
落合町山川記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
歌人まつ三艸子みさこも数奇な運命をもっていた。八十歳近く、半身不随になって、妹の陋屋ろうおくでみまかった。その年まで、不思議と弟子をもっていて人に忘れられなかった女である。
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
しかし、ぼくは今日、ロスアンゼルスで買った記念の財布さいふのなかから、あのとき大洋丸で、あなたに貰った、あんずの実を、とりだし、ここ京城けいじょう陋屋ろうおくもささぬ裏庭にてました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
ただその陋屋ろうおくに立派な物は、表の格子戸と二階の物置へあがる大階子はしごとであった。その格子戸は葭町よしちょうの芸妓屋の払うたものを二で買ったもので、階子はある料理屋の古であった。
死体の匂い (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
私が或る特殊な縁故を辿たどりつつ、雑司ぞうし鬼子母神きしもじん陋屋ろうおくの放浪詩人樹庵次郎蔵じゅあんじろぞうの間借部屋を訪れたのは、あたかも秋はたけなわ、鬼子母神の祭礼で、平常は真暗な境内にさまざまの見世物小屋が立ち並び
放浪作家の冒険 (新字新仮名) / 西尾正(著)
九尺二間の豚小屋にも劣る陋屋ろうおくに、病人の兄と二人住む妹の美しさ。
わが陋屋ろうおくには、六坪ほどの庭があるのだ。愚妻は、ここに、秩序も無く何やらかやら一ぱい植えたが、一見するに、すべて失敗の様子である。
失敗園 (新字新仮名) / 太宰治(著)
彼の幸福はごく大きかったので、ジョンドレットの陋屋ろうおくでテナルディエ一家の者らとの意外な恐ろしい遭遇も、心にあまり打撃を与えなかった。
それは根岸御行おぎょうの松に住んでいた頃の物語であるが、ある日立派な侍が沢山の進物を供に持たせ北斎の陋屋ろうおくを訪ずれた。
北斎と幽霊 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
眼の下にはさえぎるものもなく、今歩いて来た道と空地と新開の町とが低く見渡されるが、土手の向側は、トタンぶき陋屋ろうおくが秩序もなく、はてしもなく、ごたごたに建て込んだ間から湯屋の烟突えんとつ屹立きつりつして
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それはあけぼのと幼年と青春と喜悦との作用である。そして新たな土地と生活も多少それを助ける。陋屋ろうおくの上に映ずる美しき幸福の影ほど快いものはない。
先方の宛名あてなは、小坂吉之助氏というのであった。あくる日、眼光鋭く、気品の高い老紳士が私の陋屋ろうおくを訪れた。
佳日 (新字新仮名) / 太宰治(著)
すなわち、ジョンドレットの陋屋ろうおくのこと、防寨ぼうさいのこと、ジャヴェルのこと。それらの疑問からはいかなる事実が現われてくるか見当がつかなかった。
私の家は三鷹みたかの奥の、ずっと奥の、畑の中に在るのであるが、ほとんど一日がかりで私の陋屋ろうおくを捜しまわり、やあ、ずいぶん遠いのですね、と汗を拭きながら訪ねて来る。
(新字新仮名) / 太宰治(著)
その恐ろしい陋屋ろうおくのうちの怪物どもの間に、神聖なる彼女を見いだそうとは、夢にも思いがけないことだった。彼はがまの間に蜂雀ほうじゃくを見るような気がした。
そうして私の陋屋ろうおくを、焼き払い、私たち一家のみなごろしを企てるかもわからない。
春の盗賊 (新字新仮名) / 太宰治(著)
読者の知るとおり、彼はジョンドレットの陋屋ろうおくの中で、他の悪漢らとともに捕縛された。ところが、悪徳も時には役に立つもので、泥酔のために助かった。
数日後、大隅忠太郎君は折鞄おりかばん一つかかえて、三鷹の私の陋屋ろうおくの玄関に、のっそりと現われた。お嫁さんを迎えに、はるばる北京からやって来たのだ。日焼けした精悍せいかんな顔になっていた。
佳日 (新字新仮名) / 太宰治(著)
ジョンドレットの陋屋ろうおくにおけるあの事件は果たしてどういうことであったろうか。警官がきた時、なぜあの男は訴えることをせずに逃げ出してしまったのか。
昨年の九月、僕の陋屋ろうおくの玄関に意外の客人が立っていた。草田惣兵衛氏である。
水仙 (新字新仮名) / 太宰治(著)
そしてどこかの陋屋ろうおくのうちにも、まだ世に知られないが将来忘れらるることのないあるフーリエがいた。
夜、戸石君と二人で、三鷹の陋屋ろうおくに訪ねて来たのが、最初であったような気がする。戸石君に聞き合せると更にはっきりするのであるが、戸石君もすでに立派な兵隊さんになっていて、こないだも
散華 (新字新仮名) / 太宰治(著)
森林にあっては、身を隠す者は、獰猛で粗野で偉大で、一言にして言えば美しい。両者の巣窟を比ぶれば、野獣の方が人間よりもまさっている。洞窟は陋屋ろうおくよりも上である。
私は、それを真剣に読む。よくないのである。その紙に書かれてある戦地風景は、私が陋屋ろうおくの机に頬杖ついて空想する風景を一歩も出ていない。新しい感動の発見が、その原稿の、どこにも無い。
(新字新仮名) / 太宰治(著)
その陋屋ろうおくは土蔵造りであって、一八四五年にはなお残っていたが、読者の既に知るとおり、三つのへやから成っていて、どの室もみな裸のままのあらわな壁があるばかりだった。
おとといの晩はめずらしいお客が三人、この三鷹みたか陋屋ろうおくにやって来ることになっていたので、私は、その二三日まえからそわそわして落ちつかなかった。一人は、W君といって、初対面の人である。
酒ぎらい (新字新仮名) / 太宰治(著)
ところがある日、一のうわさが町にひろがった。その陋屋ろうおくの中で民約議会員ゼーに仕えていた牧者らしい若者が、医者をさがしにきたそうである。年老いた悪漢はまさに死にかかっている。
すみません、と軽い口調で一言そっと、おわびをなさい。君は、無智だ。歴史を知らぬ。芸術の花うかびたる小川の流れの起伏を知らない。陋屋ろうおくの半坪の台所で、ちくわの夕食に馴れたる盲目の鼠だ。
HUMAN LOST (新字新仮名) / 太宰治(著)
ふたりがジョンドレットの陋屋ろうおくを見舞ったのは、ちょうどそういう時だった。
恋人らのすべては無にすぎない。そして、父親のこと、現実のこと、あの陋屋ろうおく、あの盗賊ら、あの事変、それらが何の役に立つか。またその悪夢が実際起こったことであるとどうして確言できよう。
彼はそこに少しの畑地と、一つの陋屋ろうおく巣窟そうくつを持っていると言われていた。隣人もなく通りすぎる人もなかった。彼がその谷合いに住んでいらい、そこに通ずる一筋の小道は草におおわれてしまった。