茅屋あばらや)” の例文
故郷楼桑村ろうそうそん茅屋あばらやに、むしろを織って、老母と共に、貧しい日をしのいでいた一家の姿が、ふと熱いまぶたのうちに憶い出されたのであろう。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そしてまた(結婚式は、安東村の、あの、乞食小屋見たような茅屋あばらやで挙げろ)でしょう。貴下はまるッきり私たちと考えが反対あべこべだわ。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
その大きさは長崎ぐらいはあろう、海浜の人家は茅屋あばらやのみであるが、奥の方に当たってやや大きなのがあるとも言ってある。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
右内は如何いか御運ごうんが悪いとて、八百石取のお身の上が、人も通わぬ山中さんちゅう斯様こん茅屋あばらやすまっておいでになるのか、お情ないと気の毒そうに上って来ました。
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
それは皆旅人の泊る所ですが別段宿賃を払う訳でもなしただ薪代まきだい喰物くいものを買うてその代を払うだけの事です。その紳士の一行も向い側の茅屋あばらやに入ってしまいました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
いかなる茅屋あばらやに住んでいても、いかなる身装みなりをしていても、偉人は必ず偉人である。いかなる地位にあろうとも、父祖の地位財宝を擁しているだけでは、凡人以下の凡人である。
青年の天下 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
にちさうしてもなくつて巨人きよじん爪先つまさきには平坦へいたんはた山林さんりんあひだ介在かいざいしてかく村落そんらく茅屋あばらやこと/″\落葉おちばもたげてきのこのやうなちひさな悲慘みじめものでなければならなかつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
折りふし一人の雲水うんすい、彼の高風を慕って、一日その茅屋あばらやを訪れたのですが、あいにく、薬をとりに行くところだったので、「しばらく待っていてくだされ」といい残しつつ、待たせておいて
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
その渓水を幾十曲りもして見ると、向うに二軒の茅屋あばらやが見える。その前に板橋があって、渓水がそこへ来て逆に流れている景色がなかなか面白いから、一行はそこで暫らく立って景色を見ていました。
「ここもとは茅屋あばらやでも、田舎道ではありませんじゃ。尻端折しりばしょり……飛んでもない。……ああ、あんた、ちょっとつくろっておあげ申せ。」
二、三羽――十二、三羽 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ここ茅屋あばらやの宮廷も、にわかに宮人が増して帝のお心は気づよくなったが、さしあたって、朝官たちの食う物に窮してしまった。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
陸の方から来たといえば大抵チベットから来たという意味になりますから、そこで私は「陸の方から来た」と答えて話をしつつ私の泊って居ります茅屋あばらやの方へ一緒に参りました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
なお追掛けて出ると、は如何に、拙者がばかされていたのじゃ、茅屋あばらやがあったと思う処が、矢張やっぱり野原で、片方かた/\はどうどうと渓間たにまに水の流れる音が聞え、片方は恐ろしい巌石がんせき峨々がゞたる山にして
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
そちは何と見たか、勿体なくも、そちの茅屋あばらやをおのぞき遊ばしたのは、西山のご隠居さまじゃ。黄門さまでいらせられる。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
静岡へ参って落着いて、都合が出来ますと、どんな茅屋あばらやの軒へでも、それこそ花だけは綺麗に飾って、歓迎ウェルカムをしますから、貴娘あなた、暑中休暇には、海水浴にいらしって下さい。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
侍「なに茅屋あばらや
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
「以前の城門街あたりに、みすぼらしい茅屋あばらやが、数百戸あるようです。——それも連年の飢饉ききん疫病えきびょうのために、辛くも暮している民ばかりのようです」
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
供に連れて、右の茅屋あばらやへお出向きになると、目貫めぬき小柄こづかで、お侍の三千石、五千石には、わかいうちれていなすっても、……この頃といっては、ついぞ居まわりで見た事もない
阮小二げんしょうじの家も、探すまでのことはない。芦汀ろていに臨み、山にり、数隻の小舟をもやった棒杭から、茅屋あばらやの垣にかけて、一張りの破れ網が干してあった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
でもまあ、目白下の寄席の辻看板のあかりで、ようよう顔へあてた袖をはずして、恥かしそうに莞爾にっこりしたのを見て、安心をして帰ったそうですが、——不安心なのは火の玉の茅屋あばらやで。
式部小路 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「一時、ここにでも」と、人々が見つけた所は、土塀らしいあとはあるが、門戸もなく、荒草離々こうそうりりと生い茂った中に、朽ち傾いた茅屋あばらやがあるに過ぎなかった。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
茅屋あばらやに隠れてはいるが、うらないも祈祷きとうも、その道の博士だ——と言う。
神鷺之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
秀吉の弟、あの中村の茅屋あばらやで、よくピイピイ泣いていた弟の小竹こちくは、いまはすでに、立派な武将となって、羽柴はしば小一郎秀長ひでながと名のり、そのかたわらに業をたすけていた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その錺職かざりやの近常さんの、古畳の茅屋あばらやへ、県庁からお使者が立ちました。
いわゆる女房泣かせの極道ごくどうをし尽くし、大酒と遊惰ゆうだに健康をそこねて、もう数年前に——藤吉郎がどこか戦場に出ている留守の間に、中村の茅屋あばらやで病死したというのが
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
壁と屋根ばかりな茅屋あばらやへ、領主が休息したので、村民は、ひどく恐縮して、あわてて床几しょうぎむしろを持ち出して供えるやら、村長むらおさの娘が盛装して接待するやら、時ならぬ騒ぎだった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そうです。よい名でしょう。もうしばらくは、この茅屋あばらや襤褸つづれの御辛抱をねがいますが、母上も、もっとお心を、しかと大きく持ってください。——木下藤吉郎の母であるぞと」
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
明日あしたはもうここを去るというので、三之助は、こんな茅屋あばらやでも、自分まで三代も住んだ小屋かとながめて、夜もすがら、祖父おじいの思い出や、祖母おばあ亡母ははのことなどを、武蔵へ話して聞かせた。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なにをいうにも、ここは路傍ですから、すぐそこの茅屋あばらやまでお越しください
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
帝と陳留王のふたりをかくしておいた茅屋あばらやの板戸を開いて、崔毅は
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ようぞ、茅屋あばらやへ」と心から歓待した。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひどい茅屋あばらやである。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)