洛陽らくよう)” の例文
討匪とうひ将軍の印綬いんじゅをおびて、遠く洛陽らくようの王府から、黄河口の広宗のに下り、五万の官軍を率いて軍務についていた中郎将盧植ろしょく
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「日本の大都会で軍隊に時間を支配されていないところは独り我が京都あるばかりさ。この点丈けでも洛陽らくようは誇るに足りるよ」
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
百川ひゃくせん君は譚海たんかいの作あり、倶に奇事異聞を記述せるものにて文章の巧妙なる雕虫吐鳳ちょうちゅうとほう為に洛陽らくようの紙価を貴からしめしも、余を以て之を評さしめば
松の操美人の生埋:01 序 (新字新仮名) / 宇田川文海(著)
あるとき彼が洛陽らくようから帰る途中、わが家に至らざる数十里のところで、ひとりの美しい花嫁ふうの女に出逢った。
吾人は徳川政府の顛覆てんぷくをば毫も怪しまざるなり。なんとなれば、昨日は東周今日はしん咸陽かんようの煙火洛陽らくようちり
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
天宝以来西の京の長安には太清宮たいせいきゅうがあり、東の京の洛陽らくようには太微宮たいびきゅうがあった。そのほか都会ごとに紫極宮しきょくきゅうがあって、どこでも日を定めて厳かな祭が行われるのであった。
魚玄機 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
僕は大阪毎日新聞社の命を受け、大正十年三月下旬から同年七月上旬に至る一百二十余日のかん上海シャンハイ南京ナンキン九江キュウキャン漢口ハンカオ長沙ちょうさ洛陽らくよう北京ペキン大同だいどう天津てんしん等を遍歴した。
「支那游記」自序 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
僕はだんだん引き入れられるやうに一つ一つケースをのぞいて廻つた。洛陽らくようだの太原たいげんだの西安せいあんだのから来たものが多い。北魏ほくぎの石の仏頭は、スフィンクスみたいな表情をしてゐた。
夜の鳥 (新字旧仮名) / 神西清(著)
世を果敢はかなんで居るうちは、我々の自由であるが、一度ひとたび心を入交いれかへて、かかところへ来るなどといふ、無分別むふんべつさへ出さぬに於ては、神仏しんぶつおはします、父君ちちぎみ母君ははぎみおはします洛陽らくようの貴公子
二世の契 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
善良なる一日本人として時々は愉快な笑いを誘われるところもある。これをあの実に不愉快にして愚劣なる「洛陽らくようゆ」のごときものに比べるとそれはいかなる意味においても比較にならぬほどよい。
映画雑感(Ⅰ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
懐手して洛陽らくようの市にあり
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
呉の境から退いて、司馬懿しばい洛陽らくように留っているのを、時の魏人は、この時勢に閑をぬすむものなりと非難していたが、ここ数日にわたってまた
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
洛陽らくよう李氏りしの家があった。代々の家訓で、生き物を殺さないことになっているので、大きい家に一匹の猫をも飼わなかった。鼠を殺すのをむが故である。
月明りのほのめいた洛陽らくようの廃都に、李太白りたいはくの詩の一行さえ知らぬ無数の蟻の群をあわれんだことを!
侏儒の言葉 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
洛陽らくようの都をあとに、黄馬に鞭をつづけ、日夜をわかたず、南へ南へと風の如く逃げてきた曹操は、早くも中牟県ちゅうぼうけん(河南省中牟・開封—鄭州ていしゅうの中間)
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とうの都洛陽らくようの西の門の下に、ぼんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました。
杜子春 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
洛陽らくようの御所は隋唐五代の故宮こきゅうである。
あわれ、今川氏真をして、鞠を蹴るわざの十分の一でも、文武に心を入れていたら、可惜あたら洛陽らくよう余伎よぎの人となって、諸人の見世物にはさらされまいものを……。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
郷里は、瑯琊ろうやの南陽(山東省・泰山の南方)であります。亡父は諸葛珪しょかつけいと申して、泰山の郡丞ぐんじょうを勤めていましたが、私が洛陽らくようの大学に留学中亡くなりました。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
洛陽らくようの深夜に、なお悲歌は聞こえず、月は人の眠りとともに、しずかに、雲間に横たわっているが、これが、幾十年もの都のすがたとは、かれには見えなかった。
しょくと同盟して、魏の洛陽らくようかんとし、曹操の建業も一朝いっちょうかとあやぶまれていたようなときである。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
母を楽しませるために、劉備も、それが洛陽らくようの銘茶であるということを、しばらく明かさなかった。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
文筆ぶんもなかなか立ちますぞなンて、一ぺんに、名は売れ出すし、洛陽らくようの紙価ために一時に高し……
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかも、ここまで来ると、敵国長安の府も潼関どうかんも、また都洛陽らくようも、一べんすでに指呼しこのうちだ。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
の童歌が流行ってきて、後漢の末世を暗示する声は、洛陽らくようの城下にまで、満ちていた。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その前後、魏都ぎと洛陽らくようは、蜀軍の内容よりは、もっと深刻な危局に立っていた。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
当時、曹操は、まだ白面の一志士であって、洛陽らくようの中央政府の一小吏に過ぎなかったが、董卓とうたくを暗殺しようとして果たさず、都を脱出して、天下に身の置き所もなかったお尋ね者の境遇だった。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
焦土の洛陽らくように止まるも是非なしと、諸侯の兵も、ぞくぞく本国へ帰った。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
洛陽らくようへ上って進士しんしの試験を受けるのを青春第一の関門とした若人たちが——キフヲ負ウテ郷関ヲ出ヅ——と悲歌したが、そんな気もちに似たものが、明治末期のぼくらにも、やはりあったのである。
かかる大動員をもって大戦にのぞまれなば、おそらく洛陽らくよう長安ちょうあん以来の惨禍を世に捲き起しましょう。さる時には、多くの兵を損い、民を苦しめ、天下の怨嗟えんさは挙げて丞相にかかるやも知れません。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
河南かなん洛陽らくようのもので、薛永せつえいといい、あだ名を病大虫びょうだいちゅうとよばれています。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ひと思いに、洛陽らくようの地を捨て長安ちょうあんへ都をおうつしになることです」
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やがて洛陽らくようへかかる途中に、一つの関所がある。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
洛陽らくよう——洛陽の城門ははや遠く見えてきた。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
洛陽らくよう、今、君の剣名ようやく高し。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「これこそ、ほんとうの伝国の玉璽ぎょくじである。洛陽らくよう大乱のみぎり、漢家から持ち出されて、久しく行方知れずになっていると聞いておるあの宝章にちがいない。曹丕に伝わったものは、そのため、仮に朝廷で作られた後の物に相違なかろう」
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)