法体ほったい)” の例文
旧字:法體
念のために容子ようすを聞くと、年紀としは六十近い、被布ひふを着ておらるるが、出家しゅっけのようで、すらりと痩せた、人品じんぴん法体ほったいだという。
菊あわせ (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「二名は、性懲しょうこりもない、叡山えいざんの僧であります。もう一名は、三好の残党で、法体ほったいはしておりましたが、僧ではありません」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その作者の多数が、もうこんな問題を行き抜けた法体ほったいや隠居であるがために、とらわれない静かな洞察をしているということも我々には興味がある。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
かりにも法体ほったいして菩提ぼだい大道たいどうに入り、人天の導師ともならんと心掛けたと見ゆる者が、紙の冠などして、えせわざするを見ては、堪え得らるればこそ
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
この篠塚稲荷しのづかいなり……むかし新田の家臣篠塚伊賀守、当社を信仰し、晩年法体ほったいしてこの辺に住まっていたもので、別当国蔵院はその苗裔びょうえいであるといわれる。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
といふ一句を吾家の門扉に付して家を出で法体ほったいとなりて一笠一杖いちりゅういちじょうに身を托し、名勝旧跡を探りつゝ西を志す事一年に近く、長崎路より肥前唐津からつに入り来る。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
その場で悲しいわざわいに会わねばならぬゆえ、ぜひにもおつむりを丸め、御法体ほったいになって頂いてからお情うけいと、このように申されましたゆえ、それが気になるのでござります
道鏡をしりぞける陰謀以前に、淳仁帝が廃せられて淡路へ流され、法体ほったいの女帝が重祚した。
安吾史譚:02 道鏡童子 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
だが、この寺内の淡島堂は神仏混交の遺物であって、仏具を飾って僧侶そうりょがお勤めをしていたから、椿岳もまた頭を剃円そりまろめて法体ほったいし、本然ほんねんと名を改めてしばらくは淡島様のお守をしていた。
そして、大久保家へ身をよせた当初の人は法体ほったいであったが、中頃には医者も出、やがて平侍になって銀左衛門の代まで来たのだということだった。
満月どののために仰山ぎょうさん施餓鬼せがきをなされまして、御自身も頭を丸めて法体ほったいとなり、法名を友月ゆうげつと名乗り、朝から晩までかねをたたいて京洛の町中を念仏してまわり
名娼満月 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
主人はじめ其他の人々も無論普通礼服で、法印等法体ほったいの人々は直綴じきとつなどであったと思われる。何にせよ政宗の大脇指は目に立った。人々も目を着けて之を読んだろう。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
がたがたと下りかかる大八車を、ひょいと避けて、挨拶あいさつに外した手拭も被らず、そのまま、とぼんとく。つむり法体ほったいに対しても、余り冷淡だったのが気の毒になったのか。
白金之絵図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
となえ、村の稼業人とか、法体ほったいの女や男とかにたいしては“阿弥衆あみしゅう”だの“時宗ノ衆”だのという呼び方を用いている。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
茶を振舞った世話人の問に答えて、法体ほったいは去年の大晦日おおみそかからだ、と洒落しゃれでなく真顔で云うよう
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
法体ほったいと装ひて諸国を渡り、有徳うとくの家をたばかつて金品をかすめ、児女をいざなひて行衛をくらます、不敵無頼の白徒しれものなる事、天地に照して明らかなり、汝空をかけり土にひそむとも今はのがるゝに道あるまじ
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
屈託無げにはしているが福々爺ふくふくやの方は法体ほったい同様の大きな艶々したまえ兀頭はげあたまの中で何か考えているのだろう、にこやかには繕っているが、其眼はジッと女の下げているかしら射透いすかすように見守っている。
雪たたき (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
居間へ呼ばれるなら常のことであるが、表の間に待てとは、何事であろうかと、範宴は、ひろい大書院の中ほどに、小さい法体ほったいを、畏まらせて、待っていた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まず拝して、絵馬をて、しばらく居ました。とにかく、廚裡くりへ案内して、拝見……を願おうと……それにしても、竹の子上人は納所なっしょなのかしら、法体ほったいした寺男かしら。……
河伯令嬢 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
この法体ほったいの公卿大将は、千早の上にいただけで、いわば名ばかりの大将ではあったが、そんなかざりものにすぎないお人へも、正成は決して非礼をしなかった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、もあらせず、今度は印半纏しるしばんてんた若いものに船をらせて、亭主らしい年配としごろ法体ほったいしたのがぎつけて、「これは/\太夫様たゆうさま。」亭主も逸時いちはやく其を知つて居て、うやうやしく挨拶あいさつをした。
伯爵の釵 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
そのほか法体ほったいの弟子が十数名もいるし、ただ見物しているというていの侍たちも相当に多く、道場の大床には今、槍と槍をあわせている一組の試合が行われていて
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、もあらせず、今度は印半纏しるしばんてんた若いものに船をらせて、亭主らしい年配としごろ法体ほったいしたのがぎつけて、「これはこれは太夫様。」亭主も逸早いちはやくそれを知っていて、うやうやしく挨拶をした。
伯爵の釵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
峰谷々に、法体ほったい甲冑かっちゅうをつけた化け物をたくわえて、槍、鉄砲、旗さし物を、全山に並べるためだったか。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
守護の本間山城は、法体ほったいの入道で、一見温和な老人である。そのそばを五、六名の一族がとりかこみ、折ふし酒席だったが、そこへ柳斎を引いて、杯を与え、雑談などの末に
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いつ、ご法体ほったいになられたのか」範宴は、涙で、養父のすがたが見えなくなるのだった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まだ法体ほったいにならぬまえは——月輪関白兼実かねざねとして朝廟ちょうびょうの政治に明け暮れしていたころは、非常に気もたかく強く、七人もいる息女むすめたちのことにでも屈託くったくなどしたことのない性格であったが
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
梶岡ノ入道永観えいかんは、もう隠居の法体ほったいだが、長年にも頭の上がらない人だった。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
高時の弟、北条泰家は、右近ノ大夫入道恵性えしょうともいって、まだうら若いが、兄高時とひとしく法体ほったいの武人であった。が、今日はもちろん大鎧おおよろいに身を装い、総大将として、多摩野たまのに駒をたてていた。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
見れば、そういう景員は、もう髪をろして、法体ほったいになっている。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
其許そこもとも、世をはかなんでご法体ほったいになられたと見える
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
といってべつに、法体ほったいではない。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
四条隆資は、法体ほったいだった。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
法体ほったい施薬院秀成せやくいんしゅうせい
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)