敦盛あつもり)” の例文
たとえば、熊谷直実が、敦盛あつもりのかたみを、淡路の福良ふくらにある父経盛の許へ届けてやったという話なども、ありそうなことに考えられる。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
京都五条の橋の西の御影堂が本家で、敦盛あつもり後室こうしつが落飾して尼になり、阿古屋扇あこやおうぎを折って売り出したのが、いまに伝わっているといわれていた。
元禄十三年 (新字新仮名) / 林不忘(著)
ここまでくるとやっと馴染なじみがある。無官の太夫なら敦盛あつもりという美しい平家の若武者で、大概の人が芝居や浄るりや、あるいは稗史はいしでよく知っている。
う/\、道場新築祝いだった。その折、余興よきょうに琵琶があった。忘れもしない。敦盛あつもり熊谷くまがいに討たれるところだった。
凡人伝 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
曲はまさしく敦盛あつもりであった。一つ一つの鼓の音が、春の夜に螺鈿らでんでも置くように、鮮やかに都雅に抜けて聞こえる。
血ぬられた懐刀 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
敦盛あつもりそばや』に来て、この友に絵はがきにたよりを書いた。十五六歩左手に敦盛の墓がある。やっと一杯のそばを食べた。それに蠅が多いのでうるさい。
舞子より須磨へ (新字新仮名) / 小川未明(著)
狂言は「有松染相撲浴衣ありまつぞめすもうゆかた」——有馬の猫騒動と「扇屋熊谷おうぎやくまがい」とで、小野川喜三郎と熊谷が訥子とっし、雷電為右衛門と扇屋上総かずさが照蔵、敦盛あつもりが源平、召仕お仲が鬼丸
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そこには義経よしつね敦盛あつもりの名の見える高札が立ててあった、それはどこへ行ってもかならずある、松だの小沼だのに対する伝説が書かれてあるのだ、康子は清三を振返って
須磨寺附近 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
熊谷くまがいこそは敦盛あつもりを組みしきながら助くる段々、二心極まったり、この由、鎌倉殿に注進せん——という声ではないが、起るべからざるところに、かまびすしい人声が起って
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
当りを付けてやせ公卿くげの五六軒も尋ね廻らせたら、あの笛に似つこらしゅうて、あれよりもずんと好い、敦盛あつもりが持ったとか誰やらが持ったとかいう名物も何の訳無う金で手に入る。
雪たたき (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ちょうどそのとき、余は摂津せっつ地方を巡回していたが、天然痘を免るるには種痘すればよいのに、これを行わずして敦盛あつもり様の墓へ参詣さんけいするものが日夜たえぬということを聞いた。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
あのものたちにせんを越されたぞ、こちらでもあれに負けるなとっしゃって、「人間五十年、下天げてんのうちをくらぶれば」と御じぶんがまっさきに敦盛あつもりをおうたいなされました。
盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
そのかた生前せいぜんわたくしたいへんになかかったお友達ともだち一人ひとりで、名前なまえ敦子あつこ……あの敦盛あつもりあつというくのでございます。生家せいか畠山はたけやまって、たいそう由緒ゆいしょある家柄いえがらでございます。
この笛の主は、修理大夫経盛の息子、大夫敦盛あつもりという十七歳の少年であった。
文化の末ごろからの流行はやりで、坂の両がわから根津神社のあたりまで、四丁ほどのあいだに目白おしに小屋をかけ、枝をめ花を組みあわせ、熊谷くまがい敦盛あつもり、立花屋の弁天小僧、高島屋の男之助おとこのすけ
顎十郎捕物帳:22 小鰭の鮨 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
そのとき信長は立ち上り、朗々とうたいながら敦盛あつもりの舞いをはじめた。
織田信長 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
「鳴るわ。四更のせいか、常よりもいちだんと冴えて鳴る。……さい、が一さし舞おう程に、そなた、敦盛あつもりの一節をそれにて調べよ」
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
渋団しぶだんのやるのを見ましたがね、こう敦盛あつもりの首を左の脇にかいこんで、右の手で権太栗毛ごんだくりげ手綱たづなを引張ってからに、泣落し六法というやつで、泣いては勇み、勇んでは泣きながら
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
この時代には幻灯などというものが今日の活動写真のように持てはやされたのである。その一番目は「嫩軍記ふたばぐんき」で、団十郎の熊谷くまがい、菊五郎の敦盛あつもり弥陀六みだろく、福助の相模さがみという役割であった。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
小松少将有盛、丹後侍従忠房、皇后宮亮経正、左馬頭行盛、薩摩守忠度、能登守教経、武蔵守知章ともあきら、備中守師盛、淡路守清房、尾張守清定、若狭守経俊つねとし、兵部少輔雅明、蔵人大夫成盛、大夫敦盛あつもり
構想もテーマの運びも、先にいってしまうことになるが、敦盛あつもりを特に拾い上げて書いたのも、前述の理由によるのである。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「あ、敦盛あつもりを手にかけるのを忘れた」
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
敦盛あつもりの最後
経盛つねもり〕清盛の次弟。参議、修理大夫。一ノ谷で長男経正、次の経俊、末の敦盛あつもりなどの三人の男子をみな戦死させて、まったくの孤父。年六十二。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「さあ……。祇園精舎ぎおんしょうじゃ初語しょがたりもよし、小督こごう忠度ただのり都落ち、宇治川、敦盛あつもり、扇ノ与一。どれも嫌いなものはないの」
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
都の白拍子しらびょうし浪華なにわの名ある遊君をあつめて美船を浮かべ、網を打たせ、夜は万燈まんとうを廊につらねて、敦盛あつもりが笛をふいたり、宗盛が舞ったりして、ついこの夏頃も
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「それはおことが謡ではない筈だぞ。わが君が何ぞというとよくお得意に謡い遊ばす敦盛あつもりの謡じゃ」
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
知盛とももり維盛これもり忠度ただのり敦盛あつもりなど一門の大家族が、各〻の別荘へ、みな避暑におもむいていたが、秋風と共に、遊び飽きない姫や公達輩きんだちばらも、ようやく、都へもどって来た頃だった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すずしの御衣おんぞの下に、もえぎの腹巻、太刀を横たえ、えびらを負うた武者姿など、たとえば紅梅が雪を負ったようで、かの平家の公達きんだち一ノ谷の敦盛あつもりも、こうであったかと、おもわせる。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
敦盛あつもり忠度ただのり通盛みちもり経俊つねとし経正つねまさ知章ともあきら——など十指を折っても折りきれない。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「おいじめなさるな。もう……もう……敦盛あつもりは、この通り、首さしのべた」
べんがら炬燵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
曲は敦盛あつもりだった。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
敦盛あつもり、討死!』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「返せ、敦盛あつもり
べんがら炬燵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
敦盛あつもり
べんがら炬燵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
敦盛あつもり
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)