おもんぱ)” の例文
『そうじゃ、自分も主税と同様に考える。しかし変をおもんぱかる者は、智に誇ってはならぬ。万一の準備はしておいたほうがよかろうぞ』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
〔譯〕凡そ人事を區處くしよするには、當さに先づ其の結局けつきよくの處をおもんぱかりて、後に手を下すべし。かぢ無きの舟はなかれ、まと無きのはなつ勿れ。
まん一の場合ばあいおもんぱかって、短銃たんじゅう猟銃りょうじゅうなどを携帯けいたいしながら、このあやしげなふねざしてこいでゆきました。
カラカラ鳴る海 (新字新仮名) / 小川未明(著)
しかしこういう喜劇は、氏が夫人の健康をおもんぱかる情と、来客たる私の感情を害すまいとする心持から演ぜられたのであった。で私は哄笑しながらも涙を流した。
名古屋の小酒井不木氏 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
また当時の質屋などでは必らず金網のボンボリを用いた。これはよそからの色々な大切なものを保管しているので、万一をおもんぱかって特に金網で警戒したのである。
亡び行く江戸趣味 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
われらは我邦土わがほうど本来の面目の何たるかを知りこれを失はざらん事をおもんぱかるに過ぎず。おのれの面目を知るはこれ即ち進んで他の面目の何たるかを窺ふの道たればなり。
一夕 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
それでも万一の場合をおもんぱかって廃業とまでは行かず、一時休業届を出して一軒もつことになった。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
道路の危険をおもんぱかって、宇津宮弥三郎入道蓮生、塩屋入道信生、千葉六郎大夫入道法阿、渋谷七郎入道道遍、頓宮兵衛入道西仏等の面々今こそ出家の身ではあるが、昔は錚々そうそうたる武士達が
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
つゝしんでおもんぱかるにかみ御恵みめぐみあまねかりし太古たいこ創造さう/″\時代じだいには人間にんげん無為むゐにして家業かげふといふ七むづかしきものもなければかせぐといふ世話せわもなく面白おもしろおかしくくつ日向ひなたぼこりしてゐられたものゝ如し。
為文学者経 (新字旧仮名) / 内田魯庵三文字屋金平(著)
しづめ給へとくと御相談の手段も御座候ふべし古語こごにもとほおもんぱかりなきときは近きうれひありと申すはまさしく是なるべしされども三人よるとき文珠もんじゆ智慧ちゑ此平左衞門左仲御つき申しをるうちは御安心なされ能々御思案候べしと種々相談しけるうちやゝ半日餘りお島が雪の中にいましめられ身神しんしんともに冷凍ひえこゞ人心地ひとごこちもなきてい
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
将来をおもんぱかるとき、君たる者はその臣を選ばねばならず、臣たらんとする者も、その君を選ぶことが、実に生涯の大事だろうと存ぜられる。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
間もなく老中秋元喬朝たかともの使者、京極家の溝口伊予その他の者が、万一をおもんぱかって、堂々たる人数でこの下屋敷へ出向いて来た。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこは、また、石岡へ出る道路みちすじでもある。当然、そこへも万一をおもんぱかって、逆茂木さかもぎを仕掛けておいたはずであるのに——
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そういう薄命にもてあそばれてはならないと、わが子の未来をおもんぱかって、自分を、僧院に入れた母や養父や、周囲の人々の気もちが、ここに立って、ひしとありがたく思いあわされてくるのでもあった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いうまでもなく和睦わぼくのための会見だ。服装もつとめて平和的によそおうが礼儀である。しかし万一をおもんぱかって、供には屈強なさむらいばかりをりすぐって連れて行った。騎馬、徒歩かち、総体八十余名という人数。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)