安穏あんのん)” の例文
旧字:安穩
少しばかりのたくわえを廻して三十年の間安穏あんのんに暮し、主取りをする気もなく、江戸の下町に住んだのが、私の仕合せだったかも知れません
今生こんじょうの 果報かほうえて 後生たすけさせたもうべく候 こんじょうの果報をば 直義にたばせ候て 直義を安穏あんのんに まもらせ給い候べく候
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
祝言さするは、これ眼前まのあたり。ただ、恨めしきは伊右衛門殿。喜兵衛一家の者ども、ナニ、安穏あんのんに置くべきや。思えば思えば、エエ恨めしい。
人魚謎お岩殺し (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
二人が兄弟もただならず、懇意だということを、岡ッ引きに告げてやりゃあ、雪さんだって、安穏あんのんにいられるわけがないんだ——
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
彼女と兄との関係が悪く変る以上、自分の身体からだがどこにどう飛んで行こうとも、自分の心はけっして安穏あんのんであり得なかった。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
安穏あんのんにこうして牢名主をつとめさせていただいている、これというのも親が仏師で徳人であったおかげというものだから
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
祖母は向島の小さい穏かな住居で、維新の革命も彰義隊の戦争も、すべて対岸の火事として安穏あんのんに過して来ました。
ある恋の話 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
それから、きょうまで、私たち二人きりの山荘生活が、まあ、どうやら事も無く、安穏あんのんにつづいて来たのだ。部落の人たちも私たちに親切にしてくれた。
斜陽 (新字新仮名) / 太宰治(著)
安穏あんのんに捨てて置くことは出来ません。この場合、損得などはどうでもいいのです。たとい親子が乞食になっても構いませんから、あの男を殺させてください
なるべくならば社会のすみに小さく、つつましく、あまり人目に立たないように、そして先祖の位牌いはいにも傷をつけないようにして安穏あんのんに生きて行きたかった。
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
鬼は熱帯的風景のうちこといたり踊りを踊ったり、古代の詩人の詩を歌ったり、すこぶ安穏あんのんに暮らしていた。
桃太郎 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
当時の時代思潮は何かといえば、つまり平和を愛し一身の安穏あんのん和楽わらくをもとめるようになったということだ。
家康 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
たとえあの乞食坊主がいつどこで飛び出したところで、帰途の旅は安穏あんのんしごくというものだ——身拵みごしらえは江戸へはいる前にでもよッく話してなおしてもらおう。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「おまえは安穏あんのんな家と、立派な亭主と、可愛い子供を二人も持っている、そういう仕合せな者は文句を云っちゃあいけねえ、なにか云うとすればこのおれのほうだ」
やぶからし (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
清水寺の僧信海、勅を奉じて敵国を調伏し万民を安穏あんのんにせんことをいのる。事、幕忌に触れ、捕えられて獄に下り、病を以て没す。実に今茲ことし四月某日なり、遺歌一首有り。曰く
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
安穏あんのんに眠をむさぼっていた官吏社会をはじめての恐慌が襲ったのである。維新当座どさくさまぎれに登用された武士階級中の老年者とか無能者とか、たいていそういう人々が淘汰とうたされた。
何か一心に思い詰めたような決心の色が明らかに眉宇びうの間に現われている。思うところあって来たらしい。しかしそれはとにかくとして、南蛮屋の店へはいった以上、安穏あんのんではいられまい。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
どうして処罰をも受けないで安穏あんのんに暮しているかと申しますと、その人殺しは私自身直接に手を下した訳でなく、いわば間接の罪なものですから、たとえあの時私がすべてを自白していましても
人でなしの恋 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
一人前の若い者、ゆくゆくは、いえの一軒も持って、女房子供と共に暮らす安穏あんのんの日が、来るだろうことを信じているらしい眼付が、かつての少年時代の兵さんを思い合せて、私は涙ぐましい気になった。
あまり者 (新字新仮名) / 徳永直(著)
「なまいきなことをほざく下郎げろうだ、汝らがこのご城下で安穏あんのんにくらしていられるのは、みなわれわれが敵国と戦っている賜物たまものだぞ。ばちあたりめ」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、奥さん! 僕は貴女から選まれると云うことが可なり危険なことであるような気がするのです。僕は、安穏あんのんな家庭の幸福で、満足している平凡な人間です。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
平凡に妻をもらい子をもうけて、安穏あんのんに一生をくらせたかもしれない、だがこの男はそうはならなかった、三河以来という由緒ゆいしょある家柄と、八百石の禄を捨てたうえ
滝口 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
刺戟しげきの少い田舎の町で安穏あんのんに暮して行くのには適しているし、定めし本人にも異存はあるまいと極めてかかったのが、案に相違したのであったが、内気で、含羞はにかみ屋で
細雪:01 上巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
上役人に刃向かって左膳を救い出すか……それとも、友を見棄てておのれの安穏あんのんを全うすべきか?
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
現に百姓共が、安穏あんのんに百姓をしていられるのも、この徳川の武力あればこそではないか。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「……呪詛のろわれておれ窩人の一味! お前には安穏あんのんはあるまいぞよ! お前は永久死ぬことは出来ぬ! お前は永久年を取らぬ! 水狐族の呪詛のろいわしの呪詛! 味わえよ味わえよ味わえよ!」
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
先代の死んだ時は泰道を説き落して卒中にさせ、それで自分の地位も、井筒屋の身上も安穏あんのんにしたつもりでいたのですが、二度目の毒死人でその尻が割れ、銭形平次にうんと油を絞られました。
その後いよいよ御静養のことと思い安心しておりましたところ、風のたよりにきけば貴兄このごろ薬品注射によってつか安穏あんのんを願っていらるる由。はなはだもっていかがわしきことと思います。
虚構の春 (新字新仮名) / 太宰治(著)
江を渡って、叔父を救け、いささか亡父の霊をやすめ、せめて母や妹たちの安穏あんのんを見て再び帰って参りますから
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
安穏あんのんに牢名主をつとめさせていただくというようなのは、全く例外なんでございます。
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
あのままでいたら生活は安穏あんのんかもしれないが、結局は下屋敷の師範として、小さく固まったにちがいない。そうだ、淵辺ふちのべ道場をわれたこともよし、伊達家から逐われたこともよい。
花も刀も (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そのころこの国府こうの代官萩原年景としかげによばれ越路こしじへ来ぬか、国府こうやかたへ来れば身の妻として、終生安穏あんのんに暮らさせてやろうにと、ことば甘くいわれましたので
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それでも無事安穏あんのんにいく夫婦もあるだろうが、二人はそうはいかなかった、おばさんに罪があるとは云わないが、千太郎という人がぐれだしたのにも、それなりのわけがあったのかもしれない
枡落し (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「もし、呉の六郡と、呉の繁栄とを安穏あんのんに保ち、いよいよ富強安民を計らんとするなれば、ここは曹操に降って、彼の百万の鋭鋒を避け、他日を期すしかありません」
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
母は気にするようすもなく、安穏あんのんな顔つきで立っていった。
おばな沢 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
『多年、領主の御庇護ごひごによって、安穏あんのん生業たつきを立てて参ったのに、御恩も忘れ、殿の凶事に際して、すぐ損徳を考え、藩札の取付けにけるなどとはにっくい行為だ』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けれど、黄巾党が跋扈ばっこすればするほど、楽土らくどはおろか、一日の安穏あんのんも土民の中にはなかった。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
裸の一流人るにんに過ぎない身軽な頼朝よりは、位置もあり財宝もあり、妻も子も一族も多い——そしてこれから余生を安穏あんのんに楽しもうとすれば楽しめる——時政のほうが非常に躍起やっきとなって来た。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小手をかざして山上から兵霞へいか退くのをながめていた関羽は、やおら黒鹿毛をひいて麓にくだり、無人の野を疾駆して、間もなく下邳城に着き、城内民安穏あんのんを見とどけてから城の奥へかくれた。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「戦わずに、しかも国中安穏あんのんにすむ、良い計策があるといわるるか」
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「おれだって、後生は安穏あんのんに送りてえからな」
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とても長く安穏あんのんに暮すことはできますまい。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「めっそうもないおことば、ほかならぬ戦陣の留守、安穏あんのんで暮していられるさえ、朝夕もったいないこととぞんじておりますのに、さびしいなどと考えては、ばちがあたりましょう。ただおあ様には、はや御老年でございますから」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)