坂路さかみち)” の例文
こんな本陣の子息むすこが待つとも知らずに、松雲の一行は十曲峠の険しい坂路さかみちを登って来て、予定の時刻よりおくれて峠の茶屋に着いた。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
汝我に欺かると思ふなからんため、わがみづからいふごとく愚なりしや否やを聞くべし、わが齡の坂路さかみちはやくだりとなれるころ 一一二—一一四
神曲:02 浄火 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
昔の交通は坂路さかみちが主であって、棒を運搬の用に供するばあいが、絶無ではなかったが、はなはだしく限られていたのである。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
入って来たろじ工合ぐあいから平坦な土地のように感じていたその感じを裏切られてしまった。そこにはたらたらと降りて往く坂路さかみちのような路があった。
萌黄色の茎 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
秋のを浴びて美しく光り、近親の人たちに守られながら、旧館を出て松林の中の細い坂路さかみちを、アスファルトの県道の方へ、ゆるゆると降りて行った。
パンドラの匣 (新字新仮名) / 太宰治(著)
僕の胃袋に一粒の米粒もなかったとき、僕の胃袋は透きとおって、青葉の坂路さかみちを歩くひょろひょろの僕が見えていた。あのとき僕はあれを人間だとおもった。
鎮魂歌 (新字新仮名) / 原民喜(著)
急に元気を失った市平は、おぼろの月影にみがかれきらめく長靴を曳きずって、力なくなだらかな坂路さかみちを下りて行った。遠くの森では、さっきからふくろうが啼いていた。
土竜 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
巴里パリイの場末の人間が妙な目附でのぞき込んだり「あれは支那人か」なんてうしろで噂したりするのに比べて大変に気持がよい。一方の街外れへ来たら次第に坂路さかみちに成つた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
わたくし外套がいとうらして例の通り蒟蒻閻魔こんにゃくえんまを抜けて細い坂路さかみちあがってうちへ帰りました。Kの室は空虚がらんどうでしたけれども、火鉢には継ぎたての火が暖かそうに燃えていました。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
すると薄い足袋たびの裏へじかに小石が食いこんだが、足だけははるかに軽くなった。彼は左に海を感じながら、急な坂路さかみちけ登った。時時涙がこみ上げて来ると、自然に顔がゆがんで来る。
トロッコ (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
行って見ると、中山手の電車通を山手の方へ半丁程上った細い坂路さかみちの中途にある、病院と云っても二階建ての見すぼらしい医院で、階上に日本間の病室が二つ三つあるに過ぎなかった。
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
但し大きな海軍帽を仰向あおむけにかぶせた二歳ぐらいの男のを載せた乳母車をいて、その坂路さかみち横押よこおしに押してニタニタと笑いながら歩行あるいていたから、親子の情愛は御存じであろうけれども
白金之絵図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
坂路さかみちおほとうさんのむらでは、氷滑こほりすべりの出來でき塲所ばしよさきにありました。むら子供こどもはみな鳶口とびぐちつてこゞつた坂路さかみちすべりました。
ふるさと (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
遠縁の者はその老人をれて葛西のやしきの傍へ往くと、老人はそこここと方角ほうがくを考えていて、坂路さかみちの登りぐちへ往って
赤い花 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
地上から地下へ垂直に、井戸のように通うているのが竪坑で、斜坑は、地上から地下へ、勾配こうばいになって這入はいって行くのだから樹木におおわれた薄暗い坂路さかみち連想れんそうさせる。
狂馬 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
日曜の鐘を聞いて白いレエスの帽をかぶつた田舎ゐなか娘が幾人も聖書を手にしなが坂路さかみちを伏目がち寺へ急ぐ姿も野趣に富んで居た。帰りには十分間に一度通る単線の電車に乗つて市内へ引返ひつかへして来た。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
そこで、いしころのおほ坂路さかみちあるいてもつかれないやうなつよあしちからが、木曾生きそうまれのうまには自然しぜんそなはつてるのです。
ふるさと (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
彼は演説の腹案をこしらえるために、邸の傍の坂路さかみちをあがっていたのであった。そして、前のほうを見ると、赤い花をさしたじぶんが去年から探している女が歩いていた。
赤い花 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
芳郎は坂路さかみちを登りながら、二十三年に発布になることになっている憲法のことを考えていた。そして、知らずらず坂を登って往って見るともなしにむこうの方を見た。
赤い花 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
あとからあとからと坂路さかみちを上って来る人足たちの後ろには、鈴の音に歩調を合わせるような荷馬の群れが続く。朝のことで、馬の鼻息は白い。時には勇ましいいななきの声さえ起こる。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
初夏の明るいほこりのたつ日であった。章一は平生いつものようにひたいひろい白い顔を左の方にかしげるようにして坂路さかみちをおりて往った。足にはゴム草履ぞうり穿いていた。坂の下には省線の電車があった。
一握の髪の毛 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
立ちなおって気をつけてみると坂路さかみちをおりつくしていた。
馬の顔 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)