うつ)” の例文
こんどは少し大声で呼ぶと、何と感づいたかN君は、何か落し物でもしたように、足許あしもとへ顔をうつむけてグルグル舞いをするのである。
冬枯れ (新字新仮名) / 徳永直(著)
彼は口腔内にも光があるのを確かめてから、死体をうつ向けて、背に現われている鮮紅色の屍斑を目がけ、グサリと小刀ナイフの刃を入れた。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
成信は顔をうつむけた。表情の変るのをみられたくなかったのである。伝九郎はまるで気がつかず、にやにやしながら面白そうに云った。
泥棒と若殿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
くしゃみ出損でそこなった顔をしたが、半間はんまに手を留めて、はらわたのごとく手拭てぬぐいを手繰り出して、蝦蟇口がまぐちの紐にからむので、よじってうつむけに額をいた。
怨霊借用 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
我れも一人もちたる子に苦勞したりし佐助が、人事ならず氣づかはしさに叱りつけて坐らすれば、男は又もや首うなだれてうつぶく
暗夜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
女中のお安さんは、多い髪のハイカラな巻きかたに、黄色い厚い留櫛を見せて、向うのテイブルにうつぶしたまゝ、正体もなく居眠をしてゐる。
桑の実 (新字旧仮名) / 鈴木三重吉(著)
そうして、森のほうにつづいた畦道あぜみちを僕は独りで辿たどって行った。考えごとをつづけながら。時おり、そのうつむいた首を悲しげに振りながら。
二十歳のエチュード (新字新仮名) / 原口統三(著)
じっと、首をたれて、お市はうつ向きこんでいたが、もう女の特有な度胸がすっかりすわったように、言葉のふるえも消えて
夕顔の門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
人が起すとちょっと面を揚げ、眼をまたたきしまたうつぶき睡る。惟うに日本の猴も同様でこれを猿子眠りというのだろ。
その青年に、つい目と鼻の位置にすわられると、美奈子は顔をあからめて、じっとうつむいてしまう女だった。が、心のうちでは思った、何とう不思議な偶然チャンスだろう。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
そして少年の手を受取ると、うつむき加減につくづくとこの珍らしい来客に見入った。それは悲しい柔和な眼つきだったが、好意といっては少しも感じられなかった。
艸木虫魚 (新字新仮名) / 薄田泣菫(著)
その傍には、下をうつむいている連れの若い女さえも、前回とは寸分たがわぬ登場人物だった。
不思議なる空間断層 (新字新仮名) / 海野十三(著)
その儘じつと南はうつ向いて居て、細い指だけは火鉢の上へかざされた。この無言の中へ夏子のはいつて来たのを鏡子は嬉しくなく思つた。英也も来て南に初対面の挨拶をして居た。
帰つてから (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
最初の犠牲者は本所猿江ほんじょさるえの金持の隠居で、新湊稲荷しんみなといなりのまえにうつぶせに倒れていた。門跡様もんせきさまからの帰りであった。二十両余りの金を懐中にしていたが、それもそのまま残っていた。
顎十郎捕物帳:04 鎌いたち (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
佐野は始終うつむきがちで、モンテカルロに着くまで殆ど誰とも言葉を交しませんでした。
バルザックの寝巻姿 (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
第二の世界に動く人の影を見ると、大抵精なひげやしてゐる。あるものはそらを見てあるいてゐる。あるものはうつ向いてあるいてゐる。服装なりは必ずきたない。生計くらしは屹度貧乏である。
三四郎 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
智恵子はじつうつむいて、出来る丈男の言ふ事を解さうと努めながら歩いてゐた。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
お鶴は口惜しさも涙も隱さうともせず、うつ向いて前掛に顏を埋めるのです。
藻のかどの柿の梢がようように眼にはいったと思う頃に、彼は陶器師の翁に逢った。翁は野菊の枝を手に持って、寂しそうにうつ向き勝ちに歩いていた。ふたりは田圃路のまん中で向かい合った。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
はや秋深くうつむく豆畑の麦稈帽子のつばの痛さよ
雲母集 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
お初は、もじもじするように、うつむいて
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
親爺おやじ似の白いほおの上に小さくきれた眼が傷ましいほどオドオドし、瞬間のうちに紅潮していったが、重たそうな頭髪をだんだんうつむけてしまった。——
冬枯れ (新字新仮名) / 徳永直(著)
ただうつむいて、片手に師の笠を離さず、片手を曲げて顔から離さず、じっと、いつまでも、肩をふるわせていた。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
じつとしてゐよ、かもふものか蒲團ぐらゐ、もう吐きたくはないか、いゝのか、と言つたきり、自分も涙ぐんで、おふさのうつ伏した背中を抱くやうにしてゐた。
金魚 (旧字旧仮名) / 鈴木三重吉(著)
時に、さすがに、娘気むすめぎ慇懃心いんぎんごころか、あらためて呼ばれたので、頬被ほおかぶりした手拭てぬぐいを取つて、うつむいた。
光籃 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
ひざの上で両手の指を組み合せ、固く絞るようにしながら、顔はうつむけたままで、静かに続けた。
雨の山吹 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
キャラコさんは、閉口してうつ向いてしまった。
キャラコさん:07 海の刷画 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
椅子いすの上に少しさしうつ向き
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
もう出かけたのか知らと、息休め旁下りて見ると、一つしかない不斷着の帶を、着換へたネルの着物の上に結んだおふさは、小暗い三疊の鏡臺の前にうつ伏して泣いてゐる。
金魚 (旧字旧仮名) / 鈴木三重吉(著)
鷲尾は父親のおこられてでもいるようにしだいにうつむく顔をのぞきながら
冬枯れ (新字新仮名) / 徳永直(著)
下駄を切らしてうつ向いた
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
じつとうつ向く薔薇ばらの花。
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)