一色ひといろ)” の例文
それは「無」——実際は、無といふにはあまりにも一色ひといろの「心」に満ちた、蕭条とした路であつた。それは事実、路といふ感じがした。
黒谷村 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
したがって余の意識の内容はただ一色ひといろもだえ塗抹とまつされて、臍上方さいじょうほう三寸さんずんあたりを日夜にうねうね行きつ戻りつするのみであった。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それでも身綺麗にした若い人達の間を揉まれ揉まれしてゆるゆる歩いて居る時にはいかにも軽い一色ひといろの気持になって居た。
千世子(二) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
闇は見る見る追いのけられて、不気味なくれない一色ひといろに染め替えられて行った。渦巻くほのおは、数知れぬ巨獣の赤い舌であった。
妖虫 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
然し今はただ一色ひといろよごれはてた、肩揚のある綿入を着て、グル/\卷にした髮には、よく七歳なゝつ八歳やつつの女の子の用ゐる赤い塗櫛をチョイと揷して、二十はたちの上を一つ二つ
葬列 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
それはホンの三じゃくほうくらいちいさいやしろなのですが、見渡みわたかぎりただみどり一色ひといろしかないなかに、そのお宮丈みやだけがくッきりとあかえているのでたいへんに目立めだつのでございます。
その内広がつて来る闇が、とうとう煖炉を、包んでしまつた。己の周囲まはりは只一色ひといろの闇である。只三個所だけ、かすかに、ちらちら光つてゐる所がある。それは氷つた窓である。
風が強くなつて来ると、その音がゴオーと一色ひといろに集つて、滝でも落ちて来るやうに聞えます。
天童 (新字旧仮名) / 土田耕平(著)
果ては山も空もただ一色ひといろに暮れて、三階に立つ婦人の顔のみぞ夕やみに白かりける。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
東京理科大学の標本室には、加賀の白山はくさんで取ったのと、信州のこまヶ嶽たけ御嶽おんたけと、もう一色ひといろ、北海道の札幌で見出みだしたのと、四通り黒百合があるそうだが、私はまだ見たことはなかった。
黒百合 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
青も赤も黄色も眼中にない、かれの目にはもう一色ひといろになっているのだ。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
雪の原霧華きばな咲き満つまさしくも白くさやけきこれや一色ひといろ
夢殿 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
野はいま一色ひといろに物悲しくも蒼褪あをざめし彼方かなたぞ。
詩集夏花 (新字旧仮名) / 伊東静雄(著)
乾ける旅に一色ひといろの物憂き姿、——
有明集 (旧字旧仮名) / 蒲原有明(著)
「ただ一色ひといろに染めますので」
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
みな一色ひといろに薄白し。
晶子詩篇全集拾遺 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
世は一色ひといろの雪の夕暮
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
けれども時節柄じせつがら頓着とんじゃくなく、当人の好尚このみを示したこの一色ひといろが、敬太郎には何よりも際立きわだって見えた。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ただ妙に嫋嫋じょうじょうとして和やかな、まるで一色ひといろの闇のやうに潤んだものが彼をトップリ包んでゐた。
竹藪の家 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
海も山も一色ひといろに打ちけぶり、たださえながき日の果てもなきまで永き心地ここちせしが、日暮れ方より大降りになって、風さえ強く吹きいで、戸障子の鳴るおとすさまじく、怒りたける相模灘さがみなだ濤声とうせい
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
然し今はただ一色ひといろよごれはてた、肩揚のある綿入を着て、グル/\巻にした髪には、よく七歳ななつ八歳やつの女の児の用ゐる赤い塗櫛をチヨイと揷して、二十はたちの上を一つ二つ、頸筋は垢で真黒だが
葬列 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
ぐるぐる廻りにうねって流れる、小川の両方に生被おいかぶさった、雑樹のぞうぞう揺れるのが、かさなり累り、所々あおって、高い所を泥水が走りかかって、田もはたも山も一色ひといろの、もう四辺あたり朦朧もうろうとして来た
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
誰が吹くのか、その笛のは、ただ一色ひといろに響いている。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
この門は色としては、古い心持を起す以外に、特別なあやをいっこう具えていなかった。木も瓦も土もほぼ一色ひといろに映る中に、風鈴ふうりんだけが器用に緑を吹いていただけである。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
一色ひといろとうしろに蒼き夏の潮角の御堂はいつくしくして
夢殿 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
糠雨ぬかあめとまでも行かない細かいものがなお降りやまないので、海は一面にぼかされて、平生いつもなら手に取るように見える向う側の絶壁の樹も岩も、ほとんど一色ひといろながめられた。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
よく響く冬は暁ふる雨のただに一色ひといろの音ぞ立ちたる
夢殿 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
今まで後姿うしろすがたながめて物陰にいた時は、彼女を包む一色ひといろの目立たないコートと、その背の高さと、大きな廂髪ひさしがみとを材料に、想像の国でむしろ自由過ぎる結論をもてあそんだのだが
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
けれども一匹の怪物に出逢う前に、日は全く暮れてしまった。目に余る赤黒い草の影はしだいに一色ひといろに変化した。ただ北の方の空に、夕日の名残なごりのような明るい所が残ったのである。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
眼がめたら雨はいつの間にかんで、奇麗きれいな空が磨き上げたように一色ひといろに広く見える中に、明かな月が出ていた。余は硝子越ガラスごしにこの大きな色をのぞいて、思わず是公のために、舞踏会の成功を祝した。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)