雑色ぞうしき)” の例文
するとその容子ようすが、笑止しょうしながら気の毒に思召されたのでございましょう。若殿様は御笑顔おえがおを御やめになると、縄尻を控えていた雑色ぞうしき
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
あえぎ/\車のきわまで辿たどり着くと、雑色ぞうしき舎人とねりたちが手に/\かざす松明たいまつの火のゆらめく中で定国や菅根やその他の人々が力を添え
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
集っていた雑色ぞうしき牛飼達は、かつてはあれほどの権勢を誇った大納言が、今は一人淋しく都を去ってゆく様子に涙を流さぬ者はいなかった。
丸は雑色ぞうしきなどの名に常に用いられる語であれば、京丸という地は多分は京往きの夫役ふえきを、世襲的に勤めていた者の屋敷給田の地であろう。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
お母さんは雑色ぞうしきで氷屋をしていたが、お父つぁんが病気なので、二三日おきに時ちゃんのところへ裏口から金を取りに来た。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
その話をいつまんでいうと、当日、お能見物の民衆の中に、吉岡憲法なる者もじっていて無作法を見咎め、雑色ぞうしきが来て
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
法会は中途で急に終わって、参列の諸人が一度に退散するために、先払いの雑色ぞうしきどもが門前の群集ぐんじゅを追い立てるのであった。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
馬に乗るためのかんと〆緒のついたかのくつだけが、彼を公家武官の一人として、雑色ぞうしき(下男)どもと区別していた。
(新字新仮名) / 山川方夫(著)
雑色ぞうしき浮宕ふとうの輩がかえって国家の信頼する勢力となった時代に、所謂河原者の輩が所謂オオミタカラなる公民を凌駕して、社会の上位に進んだものの多かるべきことは
エタと非人と普通人 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
その夕方、あの方が車のしりへでも乗せて送って来て下さるかと思っていると、他の人に送られて来た。その次の日も道綱は出かけて往ったが、夕方、また雑色ぞうしきなどに送られて来た。
かげろうの日記 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
家来 (雑色ぞうしきの首にかけたる布袋より赦文しゃもんを取り出し、うやうやしく基康に捧げる)
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
平常ふだん、黒羽二重の紋付を着て、雑色ぞうしきは身に着けなかったという気象だ。
大菩薩峠:07 東海道の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
左にうつしし画にてそのつくり様を見たもうべし(第四図イ)、『鹿苑院殿御元服記ろくおんいんどのごげんぷくき』永和元年三月の条、〈御車新造、東寺より御輿、御力者十三人、牛飼五人、雑色ぞうしき九人、車副くるまぞい釜取以下〉とあるは
中山家の雑色ぞうしき黄昏たそがれごろ武者小路において、何者のためにか疵を蒙ったことを記して、その割註に「この亭垣を築く前」としてあるところを見ると、この時分の三条西家は武者小路に在ったらしい。
大納言は、常のとおり、布衣ほいかんむり婀娜たおやかに着なして、鮮やかなくるまに乗った。雑色ぞうしき、牛飼、侍十人以上をつれて、すぐに、西八条へと行った。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それが鬼三太と書いてくれなくては困るの、雑色ぞうしきというものには二種あって自分はその上等の分だのと、余計な弁明をしているのは仙人らしくない。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
次に使いとなった右衛門督親雅うえもんのかみちかまさも大衆から同じ待遇を受けたが、二人の雑色ぞうしきが髻を切られてしまった。
男子禁制の区域にも、雑色ぞうしき小者こもの仲間ちゅうげんの類は使われているから、先ずそう云う方面から身体検査や身元調べが始められて、追い/\上の方の女中たちにまで及んだ。
さて若殿様は平太夫へいだゆうを御屋形へつれて御帰りになりますと、そのまま、御厩おうまやの柱にくくりつけて、雑色ぞうしきたちに見張りを御云いつけなさいましたが、翌朝は匇々そうそうあの老爺おやじ
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
雑色ぞうしきの事及び「今昔物語」を始めとして、平安朝以来の書に所見多く、いわゆる雑式でその種類も一つではなく、また時代によってその指すところも変ってはいるが、既に延暦二年の勅にも
放免考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
「それや御苦労な。……自分事は、花山院家の雑色ぞうしきなれど、鎌倉へのお使いをすまし、都へ急ぎ帰る途中の者でおざる」
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と同時に牛飼うしかい童部わらべを始め、御供の雑色ぞうしきたちは余りの事に、魂も消えるかと思ったのでございましょう。驚破すわと云う間もなく、さんを乱して、元来た方へ一散に逃げ出してしまいました。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
続いて清盛は、源大夫季貞を使者として、以後、支配する荘園を示させ、更に当座のまかないにと、馬百匹、金百両、米などを贈り、出仕の仕度にと、牛車、牛飼、雑色ぞうしきまで整えて贈った。
ヘイライとは、雑色ぞうしき下僕げぼく小者こもの)たちがかぶっている平折ひらおりの粗末な烏帽子えぼしをいうのである。“平礼へいらい”と文字では書く。
頼朝と義経が不和になる以前、頼朝から義経の許へ遣わされた雑色ぞうしきがいた。
それにつき添った牛飼いのわらべ雑色ぞうしきとは、うさんらしく太郎のほうへ目をやったが、牛だけは、つのをたれて、漆のように黒い背を鷹揚おうようにうねらしながら、わき見もせずに、のっそりと歩いてゆく。
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
そこでなお、意地わるく、時の人びとは、かれらをよぶに、雑色ぞうしきだの、中間ちゅうげんだの、小舎人こどねりなどといい分ける代りに、ヘイライさんと、総称していた。
雑色ぞうしきたちの泊る聚落までを加えて、さながら山中の小京都ともいえる社会がここに営まれていたのではあるまいか。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「さばさばした。これで、一夕立そそいで来れば、なお、清々すがすがしかろう。——静、雑色ぞうしきに命じて、庭木へ水を打たせい。灯ともしたらまた、そなたのつづみなど聞こうほどに」
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
勝手に、牛車くるまはつかうし、召使はこき使う。夜は夜で、いずこの男か、忍んで来る様子も、あるとか無いとか——雑色ぞうしき部屋では、ヘイライどもにもうわさのたねになっている。
「ただ今申しました藤原貞敏きょうや宇多源氏の祖敦実親王あつざねしんのう、また親王の雑色ぞうしきで名だかい蝉丸せみまる
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ぼくが、朱鼻殿にした五条ノ邦綱は、その点、素姓も明瞭だし、また、彼が身分の低い一雑色ぞうしきから、大成金となり、やがて時の政商にまでのし上がった経路の史料もかなりある。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
牛飼も、雑色ぞうしきも持たない古車は、わだちの音さえも、がたことと、道の凸凹でこぼこを揺れてゆく。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
狼藉人ろうぜきにんとでもまちがえたものか、さらに奥から、家司けいし、侍、雑色ぞうしきたちまで、あふれ出て来て、物々しく放免を取りかこみ、さて、顔見合せたり、訊き直したり、さんざんに議したあげく
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
侍童じどうの頃より、弁ノ殿に長く仕えてまいった雑色ぞうしきの菊王にござりまする」
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「めッそうもない。じつはその折、わが眼の前ですぐいたせとの大御所の仰せつけに、やむをえず、公卿三名と、舎人とねり雑色ぞうしきなど七、八名をかこいから解いて、お座所の内へ入れたような次第でして」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
付いている雑色ぞうしきは、いぶかしげに主人に念を押した。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)