隠遁いんとん)” の例文
旧字:隱遁
その秋生国しょうごく遠州えんしゅう浜松在に隠遁いんとんして、半士半農の生活を送ることとなったが、その翌年の正月になって主家しゅか改易かいえきになってしまった。
切支丹転び (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
隠遁いんとんそれ自身は私たちの目的にはならぬ。美藝より民藝への発展は、己れを救うことにより、他と共に救わるることへの推移を意味する。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
さて、騎西家の人達は、そのようにして文明からち切られ、それから二年余りも、今日まで隠遁いんとんを破ろうとはしなかった。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
そうした人々が隠遁いんとんを決行するまでには、随分心の準備が必要ではあったろうが、いざ隠遁すれば、それは本質において閑適の詩人であった。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
かつまた、いささか方術ほうじゅつ(道教の法術)に通じ、自在に風雨を呼び、隠遁いんとん飛雲の法も行うが、それも決して広言ではありませぬ。——ところで
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こっそり隠遁いんとんしているでしょうから、とてもそんな人は見つかりっこありませんよ、もしそうだとして、それ以外の人がみんな不信心者だとしたら
周はあきれて鏡を見ていたが、まもなくこれは成が幻術を以て自分を隠遁いんとんさせようとしているためだろうとさとった。
成仙 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
最早有志の士も天下に意なく、山野に隠遁いんとん躬耕きゅうこうし、道を守るより向後こうご致方之無いたしかたこれなしと存候。老兄以て何如いかんと為す。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
真面目な謙遜な純潔な「こころ」をもって生きてゆく人間の胸に一度は必ず訪れるものは隠遁いんとんの願いであろう。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
私は最初から、渋谷だの大久保だのと云う郊外へ隠遁いんとんするよりも、かえって市内の何処どこかに人の心附かない、不思議なさびれた所があるであろうと思っていた。
秘密 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
寺の住持になって世を隠遁いんとんし、読経どきょう墓掃除はかそうじに余生を送りたいといった彼の言葉は、決して一時の戯れではなく、彼の心の無限の悲哀を告白した言葉であった。
中山へ来たのは隠遁いんとんである。世捨て人になるつもりで来たのだ。父もそれを知っていた筈なのに、いまさらなぜこんなことをいうのか。そういう気持であった。
菊千代抄 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
私の父は晩年を佃島つくだじまの、相生橋畔あいおいばしのほとりに小松を多く植えて隠遁いんとんした。湯川氏夫妻もおなじ構内かまえうちに引取られた。
長島博士の隠遁いんとん的な生活に比べて、若菜の生活は、益々派手に浮ついて行きました、レコード会社から入る年額数十万円という金は、女一人の生活を贅沢ぜいたくな奔放な
音波の殺人 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
その影響はややもすればこの世をはかなみ避けようとするような、隠遁いんとん的な気分をさえ引出された。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
手なずけはしたが、少し前から心が変り、今ではむしろ五柳ごりゅう先生の仲間、隠遁いんとんしようと致しておるよ
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ともすれば無情を感じ、隠遁いんとんを好み、一りゅうじょう、全国の名所寺社でも行脚して歩いたら、さぞいいだろうと思うような、反世間的な、放浪的な気もちがあるものです。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
私もああいうところに隠遁いんとんできたらと柄にないことまで考えています。然しこの頃の気もちはかえって再び二十四五になったような、何やらわけの分らぬ興奮を感じている位です。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
二人はいたって隠遁いんとん的な生活をしていて、——金を持っているという噂だった。近所の人たちの話ではレスパネエ夫人は占いをしているということだった。ほんとうだとは思わぬ。
一九〇七年版カウエルおよびラウス訳『仏本生譚ジャータカ』五四三に、梵授王の太子、父に逐われ隠遁いんとんせしが、世を思い切らず竜界の一竜女、新たに寡なるが他の諸竜女その夫の好愛するを見
といって必ずしも山深く身を隠せとか、異境に隠遁いんとんせよということではない。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
元禄十四年、三月——江戸城では恒例の勅使ちょくしを迎えることになり、このとき六十一歳になった上野介は、最後の御奉公を終えてすぐ家督を左兵衛にゆずり、吉良荘へ隠遁いんとんすることになっていた。
本所松坂町 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
彼等は——彼と、子と、子の母との三人で——昨年の夏前までは郊外に小さな家を持つていつしよにんでゐたのである。世の中からまつたく隠遁いんとんしたやうな、貧しい、しかし静かな生活であつた。
哀しき父 (新字旧仮名) / 葛西善蔵(著)
そうなると、いくら隠遁いんとんの身でもなかなか忙しいから、これはひとつ、八丁堀にいる捕物の上手じょうず岡倉鳥斎おかくらちょうさいを抱きこんで、あれに頼んだらどうだ
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この心持ちのなかには人間に対する反抗心とミスアンスロフィックな感情が含まれていた。そのとき私を惹きつけたのは中世紀風な、隠遁いんとん的情趣であった。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
成は周の裁判がすんでから、世の中に対して持っていた望みが灰のようにこなごなになったので、周をれて隠遁いんとんしようと思って、ある日、それを周にすすめた。
成仙 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
仏陀ほとけの教えこそ讃美ほむべきかな。それは隠遁いんとんの教えではない。勇往邁進ゆうおうまいしん建設の教えだ。禁慾の教え、克己の教えだ。……わしはすぐに殺されよう。妾はすぐに火炙ひあぶりに成ろう。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
それから『駅逓えきてい』(一三四二)『何処どこへ』『隠遁いんとん』(DA一二一九)というところであろうか。
私もああいうところに隠遁いんとんできたらと柄にないことまで考えています。然しこの頃の気もちは却って再び二十四五になったような、何やら訳の分らぬ興奮を感じている位です。
楡の家 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
彼女はもう何もかも一切のわずらわしさを捨て、故郷に隠遁いんとんしてしまおうと決心したが、その心持ちを知る人に慰藉いしゃされて思い直し、末虎、照玉と共に旗上げをしてうつをなぐさめた。
豊竹呂昇 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
それが時折引き締ると、そこから、この老婦人の、動じない鉄のような意志が現われて、隠遁いんとん的な静かな影の中から、ほのおのようなものがメラメラと立ち上るような思いがするのだった。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
我々の隠遁いんとんは完全なものであった。訪問者は一人もよせつけなかった。
前黄門さきのこうもん松平龍山公の世にも薄命なる隠遁いんとん高楼たかどの、含月荘の楼上ろうじょう今宵こよいもまた、ポチと夕ぐれの燈火ともしびが哀れにいた。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私は再び隠遁いんとんに帰りたくなりました。どれだけの周囲が自分に許さるるかは、その人の器の大小によるのでありますまいか、キリストはサマリヤの娼婦しょうふにもただちに近づいて説教しました。
青春の息の痕 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
長兄うえの範綱は歌人だし、中の有範は、皇后大進だいしんという役名で、一時は御所と内裏だいりとに重要な地位を占めていたが、今は洛外らくがいにああして隠遁いんとん的にくすぶっているし、末弟すえの宗業は、書記局の役人で
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「えっ。……ではまったく、隠遁いんとんの御意思で」
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)