芸妓げいしや)” の例文
旧字:藝妓
それを皆なめかけを置いたり、芸妓げいしやを家に引摺込ひきずりこんだり、遊廓に毎晩のやうに行つたり、二月ばかりの中に滅茶/\にして仕舞つたゞア。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
彼とても芸妓げいしやと飲む酒のうまい事は知つて居やう、しかし一度でもう云ふ場所へ足を向けた事の無いのは友人が皆不思議がつて居る。
執達吏 (新字旧仮名) / 与謝野寛(著)
う言やマア、さうですがね、しかしくまア、軍人などで芸妓げいしや落籍ひかせるの、妾にするのツて、お金があつたもンですねエ」
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
それも真面目なら貴族の道楽として芸妓げいしやを買うよりしだらうが、矢張浮気で妄想の恋愛小説を書いて見たいが山だから誠に困つたもんだ。
犬物語 (新字旧仮名) / 内田魯庵(著)
時は丁度灯ともしごろ、会場は○万楼の階上の大広間で支庁長始め、十数名の官民有志が出席して、釧路一流の芸妓げいしやも十数名酒間を斡旋した。
石川啄木と小奴 (新字旧仮名) / 野口雨情(著)
母のおりうは昔盛岡で名を売つた芸妓げいしやであつたのを、父信之が学生時代に買馴染んで、其為に退校にまでなり、家中うちぢゆう反対するのもかずに無理に落籍さしたのだとは
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
社会的にもめかけだとか、芸妓げいしやだとか、女優だとか娼婦だとか、弄ぶための特殊な女性を作りながら、反対に偶々一人か二人かの女性が男性を弄ぶと妖婦だとか毒婦だとか
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
長次郎氏は五十歳のこのごろまで、まだ芸妓げいしやといふ者の顔を見た事もなかつた。
なるほど芸妓げいしやのおぢうさんだ、おめえ虎列剌これらで死んだのだ、これはどうも……此方こつちてから虎列剌これらはう薩張さつぱりよいかね、しかし並んで歩くのはいやだ、ぼく地獄ぢごくくのは困るね、極楽ごくらくきたいが
明治の地獄 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
芸妓げいしやを伴れた二人の男が、あの若者達の嬌態を眺めて舌を鳴らした。
熱い砂の上 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
うら若き芸妓げいしやには二上りのやるせなく
東京景物詩及其他 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
母子おやこぢやいよ、老婆ばゝあの方は月の初めから居るが、別嬪の方はツイ此頃だ、何でも新橋あたりの芸妓げいしやあがりだツてことだ」
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
この二月まで巴里パリイから汽車で五時間かかるツウルに居た和田垣博士の話に、ツウルへ日本の芸妓げいしやが来て居るとある人が云ふので
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
長患ひの末、母は翌年あくるとしになつて遂に死んだ。程なくして兄は或る芸妓げいしや落籍ひかして夫婦いつしよになつた。智恵子は其賤き女を姉と呼ばねばならなかつた。遂に兄の意にさからつて洗礼を受けた。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
ある時門司もじで若い芸妓げいしやが病気で亡くなつた。流行はやりだけあつて、生きてゐるうちには、色々いろんな人に愛相あいそよくお世辞を言つてゐたが、亡くなる時には誰にも相談しないでこつそり息を引取つた。
と大きなこゑを出して山中やまぢう呶鳴どなり歩きますうちに、田圃たんぼ出口でぐち掛茶屋かけぢややに腰をけてましたをんな芳町辺よしちやうへん芸妓げいしやと見えて、おまゐりにたのだからあまなりではりません、南部なんぶあゐ萬筋まんすぢ小袖こそで
心眼 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
一瞥いちべつしつ「篠田の奴、実にしからん放蕩漢はうたうものだ、芸妓げいしや誘拐かどわかして妾にする如き乱暴漢ならずものが、耶蘇ヤソ信者などと澄まして居たのだから驚くぢやないか」
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
池をめぐるのは粗末な幾軒かの日本建築の喫茶店、芸妓げいしやの手をどり、越後獅子を初め、錦絵、小間物、日光細工、楽焼、饅頭屋、易者などの店である。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
『オイ君、函館にも芸妓げいしやが居るか。』
漂泊 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
芸妓げいしやの心得6・20(夕)
その外の四十人には日英博覧会に遣つて来て帰りはぐれた芸妓げいしやや相撲なども混じつて居ると云ふ事だが、その連中れんぢゆう何処どこに何をして居るのかとんと僕らの目には触れない。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)