“築地(つきぢ)” の例文
そのうちに一箇月あまりの日がたってから、もう諦(あきら)めていたあの女の手紙が築地(つきぢ)の病院から来た。それは怖ろしい手紙であった。
水郷異聞 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
月島(つきしま)の埋立工事(うめたてこうじ)が出来上ると共に、築地(つきぢ)の海岸からは新(あらた)に曳船(ひきふね)の渡しが出来た。向島(むかうじま)には人の知る竹屋(たけや)の渡(わた)しがあり、橋場(はしば)には橋場(はしば)の渡(わた)しがある。
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
法学士(はふがくし)が一人(ひとり)、工学士(こうがくし)が二人(ふたり)、地方(ちはう)の病院長(びやうゐんちやう)が一人(ひとり)、生命保険(せいめいほけん)会社員(くわいしやいん)が一人(ひとり)、日本鉄道(にほんてつだう)の駅長(えきちやう)が一人(ひとり)、商館番頭(しやうくわんばんたう)が築地(つきぢ)(諸機械(しよきかい))と横浜(よこはま)(生糸(きいと))とで二人(ふたり)
硯友社の沿革 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
大正十四年の夏、僕は菊池寛(きくちひろし)、久米正雄(くめまさを)、植村宋一(うゑむらそういち)、中山太陽堂(なかやまたいやうだう)社長などと築地(つきぢ)の待合(まちあひ)に食事をしてゐた。
凶 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
此(こ)の夏(なつ)はじめの或(あ)る宵(よひ)のことでした。築地(つきぢ)の聖(せい)ルカ病院(びやうゐん)にK先生(せんせい)のお孃(じやう)さんをみまひました。
ちるちる・みちる (旧字旧仮名) / 山村暮鳥(著)
やがて東華門(とうくわもん)に至(いた)ると、こゝに、一大旅店(いちだいりよてん)、築地(つきぢ)ホテルと言(い)ふ構(かま)へのがある。主人(しゆじん)は此處(こゝ)に、と少年(せうねん)の導(みちび)くまゝに、階子(はしご)を上(のぼ)つて、其(そ)の手代(てだい)は二階(にかい)の一室(いつしつ)、表通(おもてどほ)りの見晴(みはらし)と云(い)ふのへ通(とほ)る。
人参 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
築地(つきぢ)二丁目の待合「浪の家」の帳場には、女将(ぢよしやう)お才の大丸髷(おほまるまげ)、頭上に爛(きら)めく電燈目掛けて煙草(たばこ)一と吹き、長(とこしな)へに嘯(うそぶ)きつゝ「議会の解散、戦争の取沙汰(とりざた)、此の歳暮(くれ)をマア何(ど)うしろツて言ふんだねエ」
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
楊家(やうか)の娘(むすめ)君寵(くんちよう)をうけてと長恨歌(ちようごんか)を引出(ひきいだ)すまでもなく、娘(むすめ)の子(こ)は何處(いづこ)にも貴重(きちよう)がらるゝ頃(ころ)なれど、此(この)あたりの裏屋(うらや)より赫奕姫(かくやひめ)の生(うま)るゝ事(こと)その例(れい)多(おほ)し、築地(つきぢ)の某屋(それや)に今(いま)は根(ね)を移(うつ)して御前(ごぜん)さま方(がた)の御相手(をんあいて)
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
その頃には東京府々立の中学校が築地(つきぢ)にあつたのでその辺(へん)の船宿では釣船の外にボオトをも貸したのである。
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
楊家(やうか)の娘君寵(くんちよう)をうけてと長恨歌(ちようごんか)を引出(ひきいだ)すまでもなく、娘の子は何処(いづこ)にも貴重がらるる頃なれど、このあたりの裏屋より赫奕姫(かくやひめ)の生るる事その例多し、築地(つきぢ)の某屋(それや)に今は根を移して御前さま方の御(おん)相手
たけくらべ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
「築地(つきぢ)の方(はう)から、……貴方(あなた)は?」
艶書 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
今日(こんにち)築地(つきぢ)の河岸(かし)を散歩しても私ははつきりと其の船宿の何処(いづこ)にあつたかを確めることが出来ない。わづか二十年前(ぜん)なる我が少年時代の記憶の跡すら既にかくの如くである。
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)