番頭ばんがしら)” の例文
脇屋の家は七百石の老臣格で、代二郎は寄合肝煎よりあいきもいりを勤めている。除村は上士じょうしの下の番頭ばんがしらで、久良馬は「練志館」の師範を兼ねていた。
初夜 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
伏見には家臣池田織部いけだおりべを。宇治には奥田庄太夫を。淀には番頭ばんがしら大炊助おおいのすけを。また勝龍寺の城には、三宅綱朝みやけつなともをそれぞれめてある。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この母子おやこがお屋敷というのは、麹町こうじまち番町ばんちょう藤枝外記ふじえだげきの屋敷であった。藤枝の家は五百石の旗本で、先代の外記は御書院の番頭ばんがしらを勤めていた。
箕輪心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
話したことも、つきあったこともないが、てまえの叔父おじが富士見ご宝蔵の番頭ばんがしらをいたしておるゆえ、ちょくちょく出入りいたしてこの顔には見覚えがある。
門内には番頭ばんがしらが控へ、門外北側には小筒を持つた足軽百人が北向に陣取つてゐる。南側には尼崎から来た松平遠江守忠栄とほたふみのかみたゞよしの一番手三百三十余人が西向に陣取る。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「その大竹孫右衞門は惡い野郎で、散々惡いことをした揚句、御金藏に大穴をあけ、番頭ばんがしらの宇佐美左内に腹を切らせて退轉し、江戸の町の中に隱れて、大金儲けをしてゐるわけだ」
上方へ修行に上りそうろう雪踏せった穿き候まま、旅支度も致さず参りしこと故、相なるべくはお通し下され候様に、と言ったら、番頭ばんがしららしきが言うには、御大法にて手形なき者は通さず
山口駿河するがは大坂にいた。その時は将軍も大坂城を発したあとで、そこにとどまるものはただ老中の松平伯耆ほうき城代じょうだい牧野越中まきのえっちゅうとがある。その他は町奉行、および武官の番頭ばんがしらばかりだ。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
もっとも最初は、奥野将監おくのしょうげんなどと申す番頭ばんがしらも、何かと相談にのったものでございますが、中ごろから量見を変え、ついに同盟を脱しましたのは、心外と申すよりほかはございません。
或日の大石内蔵助 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
かねて城明渡しの際恩顧おんここうむった幕府の目附方へ御礼かたがた、お家の再興を嘆願するために、番頭ばんがしら奥野将監おくのしょうげんと手をたずさえて出府しゅっぷした際、小平太は何物かに後から押されるような気がして
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
摂家宮せっけのみや門跡もんぜき方、その他使者楽人、三職人御礼。溜詰御譜代衆、お役人出仕。御対顔済み、下され物あり。御饗応前、お能見物の儀、御三家、両番頭ばんがしらの内。御返答につき、公家衆地下一統出仕。
元禄十三年 (新字新仮名) / 林不忘(著)
見られしか暫時しばらくひかへよと申さるゝ時常盤橋ときはばし御門番松平近江守殿あふみのかみどの番頭ばんがしら夏目なつめ五郎右衞門より差出したる者兩人足輕小頭こがしら一人足輕あしがる六七人附そひ罷出しに其者共の風俗ふうぞく何れも棧留さんとめ綿入の上へ青梅のあはせ羽織を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
番頭ばんがしらの筆頭が感心して話しおったわい
斬られたさに (新字新仮名) / 夢野久作(著)
番士たちには、それだけでは分らない顔つきがあったが、奥の衛士小屋えじごやの前で番頭ばんがしらの侍が、どうぞ、どうぞ、と笑顔で通行をうながしていた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
松沢は八百石ばかりの寄合番頭ばんがしらで、長男が三年まえに急逝きゅうせいしたため、小三郎が養子にはいったのであった。
屏風はたたまれた (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
声にあわただしく姿を見せたのは、番頭ばんがしら次席あたりとおぼしき関所役人です。
肥後ひご細川家ほそかわけ家中かちゅうに、田岡甚太夫たおかじんだゆうと云うさむらいがいた。これは以前日向ひゅうがの伊藤家の浪人であったが、当時細川家の番頭ばんがしらのぼっていた内藤三左衛門ないとうさんざえもんの推薦で、新知しんち百五十こくに召し出されたのであった。
或敵打の話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
それを三斎が小倉へ呼び寄せて、高見氏を名のらせ、番頭ばんがしらにした。知行五百石であった。庄五郎の子が権右衛門である。島原の戦いに功があったが、軍令にそむいたかどで、一旦役を召し上げられた。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
松平まつだひら近江守家來けらい番頭ばんがしら
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「ある限りの金銀すべて、その方の手にうけ取って、番頭ばんがしら、鉄砲頭、弓槍頭などへも、洩れなきよう、知行ちぎょうに応じて分配せい」
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
他の三人はこの貯蔵所の、番頭ばんがしらといったふうにみえるが、その武士に対してひどく慇懃いんぎんな態度を示した。
風流太平記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
対門たいもんの小姓組番頭ばんがしら土屋つちや佐渡守邦直くになおの屋敷は火を失していた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
番頭ばんがしらから叱言こごとをいわれて、近藤平六は大いに恐縮した。その夕方彼は退出のもどりに、徳川家切っての出頭人しゅっとうにん大賀弥四郎おおがやしろうのやしきを訪ねた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
うしろ姿でよくわからないが、落合は頭の半分をさらし木綿で巻いている。たぶんそれが久良馬のあびせた一刀であろう。ほかに二十余人、小姓組の者と近習番、それに番頭ばんがしら格の者も五人ばかりいた。
初夜 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
それは、亀次郎の父、大岡五郎左衛門忠英ただひで番頭ばんがしら高力こうりき伊予守を、その自邸で政治上の争論から打果したのである。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「——番頭ばんがしら殿はおられますか」
伝四郎兄妹 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「なんですか、番頭ばんがしらのおことばには、新規に戴いた采地の地境じざかいとか、おさしずを承れと、申されて参りましたが」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼の老臣は、番頭ばんがしらや足軽頭を集めて、家中一般に、平時の日課を励行させることについて、熟議をかさねた。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこで安く積っても四千石や五千石の捨扶持すてぶちと、ささづめ番頭ばんがしらのお役付が、帰る先にはブラ下がっている。
鳴門秘帖:06 鳴門の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
番頭ばんがしら斎藤飛騨守さいとうひだのかみ長井ながい新八郎、新五郎の兄弟などである。折わるく日根野備中は居合わせなかった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は御書院番頭ばんがしらを勤めておったが、その部下のうちで、ある者が、公金をつかい込んだことがあった。その時に、部下の者を助命したいために、非常な工面をしてその公金を
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『この上は、番頭ばんがしらの奥野将監しょうげん殿に計ろう、将監の胸をたたいたらすこしはがするだろう』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
番頭ばんがしら以下足軽組まで——幾組にもわかれて、ぞくぞくと船島をさして先発していた。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
きょう五回目の白洲は、越前守から、むかし、かれの父大岡五郎左衛門忠英ただひでが、幕府番頭ばんがしら高力こうりき伊予守を、その私邸で刃傷にんじょうした事情について、大亀の記憶している限りの証言を求めた。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
皆、蜂須賀彦右衛門に渡せ。——彦右衛門の手より、番頭ばんがしら、弓、鉄砲、槍の者、小荷駄、足軽どもへまで、知行に応じて、残らず分配せいと申せ。——秀吉の手許に、一分一厘も残しおくに及ばぬぞ
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)