水谷氏みづたにし)” の例文
四十一ねんぐわつ二十一にち午前ごぜんごろ水谷氏みづたにしとは、大森おほもり兒島邸こじまてい訪問ほうもんした。しかるにおうは、熱海あたみはうつてられて、不在ふざん
いよ/\大問題だいもんだい早速さツそく水谷氏みづたにしところ報告ほうこくすると、おほいによろこんで、早速さつそく十二ぐわつつて、望蜀生ばうしよくせいとも加瀬かせつた。
人類學會じんるゐがくくわい會員くわいゐんとして、モールスのお墨附すみつき? をつてるのはぼくだけだらうとかんがへて、これを水谷氏みづたにしはなすと、水谷氏みづたにしへんかほをして。
發掘はつくつ結果けつくわ依然いぜんとして多量たりやう彌生式土器破片やよひしきどきはへんおよどう徳利形とくりがた上半部じやうはんぶを(水谷氏みづたにし、二望蜀生ばうしよくせい、三掘出ほりだした。
水谷氏みづたにしも、おもはずらずあなから飛上とびあがつた。焚火連たきびれんはしつてた。一どう公爵穴こうしやくあなのぞいてると、なるほどる。
三十六ねんなつ水谷氏みづたにしうち望蜀生ぼうしよくせいとも採集さいしふかけて、ゆき圓長寺えんちやうじうら往還わうくわんつてた。道路だうろ遺跡ゐせきあたるので、それをコツ/\りかへしてたのだ。
其後そののち帝室博物館ていしつはくぶつくわんつて陳列品ちんれつひんを一けんし、それから水谷氏みづたにし交際かうさいむすやうになり、採集品さいしふひんを一けんし、個人こじんちからもつ帝室博物館ていしつはくぶつくわん以上いじやう採集さいしふことり。
水谷氏みづたにしも、余等よらも、彌生式やよひしきついては、意見いけん發表はつぺうせず、またべついうしてらなかつた時代じだいである。
其所そこ來合きあはせた一紳士しんしが、貴君方あなたがたなにをするんですかととがめたので、水谷氏みづたにし得意とくい考古學研究かうこがくけんきう振舞ふりまはした。其紳士そのしんししきりに傾聽けいちやうしてたが、それではわたくし仲間なかまれてもらひたい。
此所こゝ水谷氏みづたにし飯田氏いひだしとはすツかり懇意こんいつてしまつたので、今度こんどぼく弟子でしれてますから、一しよ發掘はつくつしませうと、大採集袋だいさいしふぶくろひろげた結果けつくわ、七ぐわつ十八にち水谷氏みづたにし高橋佛骨氏たかはしぶつこつし