曹操そうそう)” の例文
後漢ごかんのむかし、曹操そうそうが、西涼軍せいりょうぐん北夷えびすの兵が自分らの行装に、おどろきの眼をみはって、指さし囁きあうのを見て、馬の上から
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
定正がアッチへ逃げたりコッチへ逃げたりするのも曹操そうそう周瑜しゅうゆに追われては孔明こうめいの智なきを笑うたびに伏兵が起る如き巧妙な作才が無い。
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
トロイの城壁を三匝さんそうしたとか、えんぴと張飛が長坂橋ちょうはんきょう丈八じょうはち蛇矛だぼうよこたえて、曹操そうそうの軍百万人をにらめ返したとか大袈裟おおげさな事ばかり連想する。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
『通俗三国志』に曹操そうそう董卓とうたくを刺さんとして成らず。故郷に逃げ帰る途中関吏に捕われしを、陳宮これを釈し、ともに走って、三日の暮方に成皐に到る。
廬江ろこう箏笛浦そうてきほには大きい船がくつがえって水底に沈んでいる。これは曹操そうそうの船であると伝えられている。
支那の芝居の第三の特色は、隈取くまどりの変化が多い事である。何でも辻聴花翁つじちょうかおうによると、曹操そうそう一人の隈取りが、六十何種もあるそうだから、到底市川流いちかわりゅう所の騒ぎじゃない。
上海游記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
大きくいえば漢の荀彧じゅんいく曹操そうそうにおけるがごとしともいおうかネ。あの西郷も僕にいわすれば。やっぱりそうだ。薩摩さつまの壮士に擁せられ。義理でもない義理にからまれて。
藪の鶯 (新字新仮名) / 三宅花圃(著)
と、投げたように、袖を払って、拗身すねみに空のかりの声。おぼろを仰いで、一人立停たちどまった孫権を見よ。英気颯爽さっそうとしてむしろほこよこたえて詩を赤壁にした、白面の曹操そうそうの概がある。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
発掘さるるをいとって曹操そうそうは多くの偽塚にせづかを造って置いたなどということは、近頃の考証でそうではないと分明したが、王安石おうあんせきなどさえ偽塚の伝説を信じて詩を作ったりしていたところを見ると
骨董 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
かえって寄生木やどりぎたる曹操そうそうのほうが次第に老いたる親木をい、幹を太らせ、ついに根を漢土に張って、繁茂はんもしてくること必然でしょう。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やがてまた、朝廷にひょうを捧げて、中央の曹操そうそうと親交をむすぶなど、外交的にも進出するかたわら、かつて身を寄せていた淮南わいなん袁術えんじゅつ
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「近ごろ兗州えんしゅう曹操そうそうは、しきりとけんを招き、士を募って、有能の士には好遇を与えるというじゃないか」と、もっぱら評判であった。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わけても、陣中常に赤い甲冑を着て通った武騎校尉曹操そうそうも、功によって、済南さいなん(山東省・黄河南岸)のしょうに封じられたとのことであった。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この日頃——曹操そうそうはもう北征の業をひとまず終って、都へ帰っていたが、ひそかに次の備えとして、荊州けいしゅう方面をうかがっていた。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
文帝はかの三国志中の梟将きょうしょう曹操そうそうの子であり、父曹操の帝位を受けたひとであるが、弟の曹植は、素質性行、兄とはまるでちがっていた。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わしに望蜀ぼうしょくの意はあるとしても、あんな山地の一方に屈して、曹操そうそう孫堅そんけんごとき者と争い、互角ごかくに一生を終るなど、手本とはいたしたくない。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
呂布りょふの城下に住み、徐州の客将だ。しかも先頃、曹操そうそうの推薦で朝廷から老後の扶養として禄二千石をうけたという。なにしろ名のある老人だ。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
曹操そうそうはまだ若い人だ。にわかに、彼の存在は近ごろ大きなものとなったが、その年歯風采ねんしふうさいはなお、白面の一青年でしかない。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
曹操そうそうは大いに職制改革をやっていた。つねに内政の清新をはかり、有能な人物はどしどし登用して、閣僚の強化につとめ
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
北雲の天は、相かわらずくらい。袁紹えんしょうは死し、曹操そうそうの威は震雷しんらいしている。——が、果たして、旧土の亡民は、心からその威に服しているかどうか。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
見るとそれは、典軍てんぐんの校尉曹操そうそうであった。何進の眼から見ればまことに微々たる一将校でしかない。何進は苦い顔して
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
曹操そうそうは、あなたの功を認めるでしょう。あなたは、官軍たるの強みを持ち、曹操の兵を左翼に、劉玄徳を右翼として、大逆の賊を討ちはらうべきです。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
布衣ほいの一青年孔明の初めの出現は、まさに、曹操そうそうの好敵手として起った新人のすがたであったといってよい。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「さ、ここで陣をくのだ。さしずめ、敵の武蔵は、曹操そうそう、わしは諸葛孔明しょかつこうめいというところかな」
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
曹操そうそうのことだが。——かつて曹操が麦畝ばくほを行軍中、百姓を憐れんで、麦を害すものは斬らんと、法令を出した。ところが曹操自身の馬が飛んで麦田ばくでんを荒らしたのだ。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして劉玄徳りゅうげんとくとか、曹操そうそうとか関羽かんう張飛ちょうひそのほか、主要人物などには、自分の解釈や創意をも加えて書いた。随所、原本にない辞句、会話なども、わたくしの点描てんびょうである。
三国志:01 序 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして遂に、その理想は実現を見、玄徳は西蜀せいしょくに位置し、北魁ほくぎ曹操そうそう東呉とうご孫権そんけんと、いわゆる三ぶん鼎立ていりつの一時代を画するに至ったが、もとよりこれが孔明の究極の目的ではない。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
諸侯の軍勢も、各〻、地を選んで陣を劃したが、曹操そうそうは早速、袁紹に会って忠告した。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
曹操そうそうの古巣の兗州えんしゅうには、呂布の配下の薛蘭せつらん李封りほうという二将がたて籠っているが、軍紀はすこぶるみだれ兵隊は城下で掠奪や悪事ばかり働いているし、城中の将は、苛税をしぼって
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
赤壁せきへきの江上戦に、精猛せいもうひきいる曹操そうそうが、完敗を喫したのも、当初、彼の軍隊の兵は多く北国産の山沢さんたくに飛躍したものであり、それに反して、江南の国の兵士は、大江の水に馴れ
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ところが、彼よりもはるかに実力もなければ年歯も若い曹操そうそうに倒されました
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「臣の身がもし陛下の親しい国戚こくせきでなかったら、いかに胸にあることでも、決して口外はいたしません」と伏完はここに初めて、曹操そうそう調伏ちょうぶくの意中を帝に打明け、帝もまた、お心をうごかした。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三國志の中の曹操そうそうは、飮み水にかわいた炎天の兵をはげまして「峠をこえれば、梅の村がある」と、兵に、酸味を思はせて、苦熱の渇をわすれさせたといふが、ぼくは、梅の實が生ると、あの頃の
折々の記 (旧字旧仮名) / 吉川英治(著)
曹操そうそう
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
恋の曹操そうそう
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)