明家あきや)” の例文
りよせはしげに明家あきやた。そしてあとからいて道翹だうげうつた。「拾得じつとくそうは、まだ當寺たうじにをられますか。」
寒山拾得 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
浅草駒形こまかたに小さいうちだが明家あきやがありましたかられを借受け、造作をして袋物屋の見世を出しました。
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
追拂ふが如くに悦び片時も早く立退たちのかせんと内々ない/\さゝやきけるとなり斯て天一坊の方にてはまづ京都きやうとの御旅館の見立役みたてやくとして赤川大膳は五六日先へ立て上京し京中きやうちう明家あきや
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
お産は明家あきやの方ですることにした。母親は一人で蒲団を運んだり、産婆の食べるようなものを見繕ったりして、裏から出たり入ったりしていた。笹村も一、二度傍へ行って見た。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
どこかに穴か、溝か、畠か、明家あきやがありはしないかと思ったのである。そんな物は生憎ない。どこを見ても綺麗に掃除がしてある。片付けてある。家がきちんと並べて立ててある。
(新字新仮名) / オシップ・ディモフ(著)
そこで駒井能登守の屋敷は実際上の明家あきやとなってしまい、筑前守の手に暫らく預かることになりました。二三の番人が置かれることになったけれども、その番人が夜になるとさびしがってたまりません。
大菩薩峠:15 慢心和尚の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
道翹だうげうくもはらひつゝさきつて、りよ豐干ぶかんのゐた明家あきやれてつた。がもうかつたので、薄暗うすくら屋内をくない見𢌞みまはすに、がらんとしてなに一つい。
寒山拾得 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
と云って呶鳴どなりましたから、長家の者が出てまいり揉み消しましたから、火事は漸々よう/\隣りの明家あきやへ付いたばかりで消えましたが、又作は真黒焦まっくろこげになってしまいましたけれども
かけたりける徳太郎君當然たうぜんの理に申わけなければ是非ぜひなく山田奉行の役宅やくたくへ引れ給へりさて其夜そのよ明家あきやへ入れ番人ばんにんを付て翌朝よくてう白洲しらすへ引出し大岡忠右衞門は次上下つぎがみしも威儀ゐぎたゞし若ものを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
麻布龍土町あざぶりゆうどちやうの、今歩兵第三聯隊の兵營になつてゐる地所の南隣で、三河國奧殿の領主松平左七郎乘羨のりのぶと云ふ大名の邸の中に、大工が這入つて小さい明家あきやを修復してゐる。
ぢいさんばあさん (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
丈「わたくし在所ぜえしょは葛飾の真間まゝ根本ねもとゆえ、明家あきやが有りましょうからかッしゃいまし」
氣の毒に思ひ何時いつまで狂氣きちがひでも有まじ其内には正氣しやうきに成べしとておの明家あきやすまはせ此處にあること半年程はんねんほどにて漸やく正氣しやうきに成しかば以前の如く産婦さんぷ世話せわわざとして寡婦暮やもめぐらしに世を渡りける。
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
麻布竜土町あざぶりゅうどちょうの、今歩兵第三聯隊れんたいの兵営になっている地所の南隣で、三河国奥殿みかわのくにおくとのの領主松平左七郎乗羨のりのぶと云う大名のやしきうちに、大工が這入はいって小さい明家あきやを修復している。
じいさんばあさん (新字新仮名) / 森鴎外(著)
それから貸家にして、油画をかく人にしていたが、先月その人が京都へ越して行って、明家あきやになったというのである。画家は一人ものであった。食事は植木屋から運んだ。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
只今たゞいま明家あきやになつてをりますが、折々おり/\よるになると、とらまゐつてえてをります。」
寒山拾得 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
小さい村で、人民は大抵避難してしまって、明家あきやの沢山出来ている所なのだね。
鼠坂 (新字新仮名) / 森鴎外(著)