きょ)” の例文
旧字:
さきには、きたしょうめて、一きょ柴田勝家しばたかついえ領地りょうち攻略こうりゃくし、加賀かがへ進出しては尾山おやましろに、前田利家まえだとしいえめいをむすんで味方みかたにつけた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
榎本氏のきょ所謂いわゆる武士の意気地いきじすなわち瘠我慢やせがまんにして、その方寸ほうすんの中にはひそかに必敗を期しながらも、武士道のめにあえて一戦をこころみたることなれば
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
その位置が窓のすぐ近くなものですから、乞食のところから、明智の一きょどうが、手にとるように見えるのです。
怪人二十面相 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
先生咸臨丸かんりんまる米行べいこうきょありと聞て、予が親戚しんせき医官いかん桂川氏かつらがわしかいしてその随行ずいこうたらんことを求められしに、予はこれさいわいの事なりと思い、ただちにこれをがえんじ、一けんきゅうのごとし。
あるいは他に求むるところあり、このきょに出たのであろうと疑われたものもあろう。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
抜け駈けは軍紀ぐんききんだが、みすみす、目のまえに敵の首将がいる! 大隅は後日のとがめを覚悟で単騎斬り込みのきょに出たものだった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
箱館はこだて五稜郭ごりょうかく開城かいじょうのとき、総督そうとく榎本氏より部下に内意を伝えて共に降参せんことを勧告かんこくせしに、一部分の人はこれをきいおおいに怒り、元来今回のきょは戦勝を期したるにあらず
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
こよいの一きょに加わって、仇家の門を第一に打ち破ることは、彼に取って、もう死んでもよい気のする程、冥加みょうがに思われる歓びだった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
幕府の末年に強藩の士人等が事をげて中央政府に敵し、そのこれに敵するの際に帝室ていしつ名義めいぎを奉じ、幕政の組織を改めて王政のいにしえふくしたるそのきょなづけて王政維新おうせいいしんと称することなれば
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
「お覚悟までもありますまいが、かねがね、われらのきょを疑っていたらしい佐々木道誉、ただちに対戦のご命令を、また即座にご軍議をば」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いかに後醍醐の豪気といえ、暗夜、皇都脱出のきょに出ようなどとは、夢想もしていなかったことだから、その狼狽ろうばいぶりたるや、絵にも描けない。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
きょ、太宰府を落し、その勢いで、なおぞくぞく前進中と聞えていた菊池武敏を主力とする阿蘇あそ、秋月、黒木などの九州宮方の大軍は、今暁早や
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かれのこのきょは、決して、二面作戦でもなし、いたずらに、戦局をひろげ、求めてみずから力を二分するものでもない。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「む、む……」と、呂宋兵衛はいよいよゆだんのない目で、かれの一きょ一動をみまもっていると、竹童はくちびるをつぼめて、みためていたなかのものを
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かれはよく周馬やお十夜の安価な女色漁にょしょくあさりを軽蔑けいべつして、討幕のきょの成功を信じ、事なるにおよんでは、何万石を夢みていた小なる光秀みつひでみたいな男だった。
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
復讐のきょは、翌十四日に決行され、一盟四十七士の大志は、貫徹かんてつした。そして、次の消息は、大石内蔵助たちと共に、お預けとなった細川家の内から来た。
山陰山陽十六ヵ国にわたる軍令権のみゆるしは、そのきょにあたっていちいち都へ使いを往返おうへんしていてはまにあわないのですべてをゆだねられたものではあった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
千種忠顕をはじめ、新田義貞、名和長年、ほか十指にも余るお味方武門が、たれひとり、宮にじゅんじようとはせず、また宮のお体を奪回するのきょにも出ていない。
しかも村重のきょに相継いで、摂津一帯の高槻たかつき高山右近たかやまうこんも、茨木いばらき中川清秀なかがわきよひでなども続々、反旗をひるがえしたというし、この中国においてすら、御着の小寺一族が
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
このうえは、家康がどうでるか、敵のでようによってこの窮地きゅうちから活路かつろをひらくか、あるいは、浜松城の鬼となるか、武運の分れめを、一きょにきめるよりほかはない。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかしこのきょをみるまでの彼らの暗躍や苦心などに至っては、帝もご存知ないことが多かった。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まだそのきょのないうちから、謙信は、天文二十二年のまだ弱冠のころにいちはやく上京し、時の将軍義輝を介して、朝廷に拝し、天盃てんぱいを賜わり、種々の献上物を尊覧に入れなどして
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そうだ。日々憂悶の果て、定房卿の苦衷が、ついにこのきょに出たものに相違ない」
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
赤坂の一きょのため、かえって、鎌倉は逆にかたまったといえる現状になっていた。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天皇奪回も戒心を要するが、この道中では、皇子奪回のきょもありえなくはない。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
要は、かならず島送りの前後、大塔ノ宮一味や楠木の残党が、先帝奪回のきょに出るものと予想されますゆえ、在京の諸大将には、いちばい、備えにお抜かりなきよう、ご用心をたのみ入る
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「河内。よく申した。いちいち、うなずけぬことではない。……しかし、いまさら論議のときであるまい。作戦としては如何いかに? 一きょ、足利勢を粉砕する策はないのか。それを聞かせい」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わしの苦衷くちゅうを語り、かつはまた、そちの信念を以て、いま信長公に弓を引くなどということが、いかに無謀むぼうきょに過ぎないか、また毛利家の強大な形容のみを見て、それに依存することの到底
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
地下道戦に失敗した寄手は、こんどは空中作戦のきょに出た。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
きょ即行そっこう
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)