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挙
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きょ
ふりがな文庫
“
挙
(
きょ
)” の例文
旧字:
擧
さきには、
北
(
きた
)
ノ
庄
(
しょう
)
を
攻
(
せ
)
めて、一
挙
(
きょ
)
に
柴田勝家
(
しばたかついえ
)
の
領地
(
りょうち
)
を
攻略
(
こうりゃく
)
し、
加賀
(
かが
)
へ進出しては
尾山
(
おやま
)
の
城
(
しろ
)
に、
前田利家
(
まえだとしいえ
)
と
盟
(
めい
)
をむすんで
味方
(
みかた
)
につけた。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
榎本氏の
挙
(
きょ
)
は
所謂
(
いわゆる
)
武士の
意気地
(
いきじ
)
すなわち
瘠我慢
(
やせがまん
)
にして、その
方寸
(
ほうすん
)
の中には
竊
(
ひそか
)
に必敗を期しながらも、武士道の
為
(
た
)
めに
敢
(
あえ
)
て一戦を
試
(
こころ
)
みたることなれば
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
その位置が窓のすぐ近くなものですから、乞食のところから、明智の一
挙
(
きょ
)
一
動
(
どう
)
が、手にとるように見えるのです。
怪人二十面相
(新字新仮名)
/
江戸川乱歩
(著)
先生
咸臨丸
(
かんりんまる
)
米行
(
べいこう
)
の
挙
(
きょ
)
ありと聞て、予が
親戚
(
しんせき
)
医官
(
いかん
)
桂川氏
(
かつらがわし
)
を
介
(
かい
)
してその
随行
(
ずいこう
)
たらんことを求められしに、予はこれ
幸
(
さいわい
)
の事なりと思い、
直
(
ただ
)
ちにこれを
肯
(
がえ
)
んじ、一
見
(
けん
)
旧
(
きゅう
)
のごとし。
瘠我慢の説:05 福沢先生を憶う
(新字新仮名)
/
木村芥舟
(著)
あるいは他に求むるところあり、この
挙
(
きょ
)
に出たのであろうと疑われたものもあろう。
自警録
(新字新仮名)
/
新渡戸稲造
(著)
▼ もっと見る
抜け駈けは
軍紀
(
ぐんき
)
の
禁
(
きん
)
だが、みすみす、目のまえに敵の首将がいる! 大隅は後日のとがめを覚悟で単騎斬り込みの
挙
(
きょ
)
に出たものだった。
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
箱館
(
はこだて
)
の
五稜郭
(
ごりょうかく
)
開城
(
かいじょう
)
のとき、
総督
(
そうとく
)
榎本氏より部下に内意を伝えて共に降参せんことを
勧告
(
かんこく
)
せしに、一部分の人はこれを
聞
(
きい
)
て
大
(
おおい
)
に怒り、元来今回の
挙
(
きょ
)
は戦勝を期したるにあらず
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
こよいの一
挙
(
きょ
)
に加わって、仇家の門を第一に打ち破ることは、彼に取って、もう死んでもよい気のする程、
冥加
(
みょうが
)
に思われる歓びだった。
新編忠臣蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
幕府の末年に強藩の士人等が事を
挙
(
あ
)
げて中央政府に敵し、
其
(
その
)
これに敵するの際に
帝室
(
ていしつ
)
の
名義
(
めいぎ
)
を奉じ、幕政の組織を改めて王政の
古
(
いにしえ
)
に
復
(
ふく
)
したるその
挙
(
きょ
)
を
名
(
なづ
)
けて
王政維新
(
おうせいいしん
)
と称することなれば
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
「お覚悟までもありますまいが、かねがね、われらの
挙
(
きょ
)
を疑っていたらしい佐々木道誉、ただちに対戦のご命令を、また即座にご軍議をば」
私本太平記:07 千早帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
いかに後醍醐の豪気といえ、暗夜、皇都脱出の
挙
(
きょ
)
に出ようなどとは、夢想もしていなかったことだから、その
狼狽
(
ろうばい
)
ぶりたるや、絵にも描けない。
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
一
挙
(
きょ
)
、太宰府を落し、その勢いで、なおぞくぞく前進中と聞えていた菊池武敏を主力とする
阿蘇
(
あそ
)
、秋月、黒木などの九州宮方の大軍は、今暁早や
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
かれのこの
挙
(
きょ
)
は、決して、二面作戦でもなし、いたずらに、戦局をひろげ、求めてみずから力を二分するものでもない。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「む、む……」と、呂宋兵衛はいよいよゆだんのない目で、かれの一
挙
(
きょ
)
一動をみまもっていると、竹童は
唇
(
くちびる
)
をつぼめて、
噛
(
か
)
みためていたなかのものを
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
かれはよく周馬やお十夜の安価な
女色漁
(
にょしょくあさ
)
りを
軽蔑
(
けいべつ
)
して、討幕の
挙
(
きょ
)
の成功を信じ、事なるにおよんでは、何万石を夢みていた小なる
光秀
(
みつひで
)
みたいな男だった。
鳴門秘帖:05 剣山の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
復讐の
挙
(
きょ
)
は、翌十四日に決行され、一盟四十七士の大志は、
貫徹
(
かんてつ
)
した。そして、次の消息は、大石内蔵助たちと共に、お預けとなった細川家の内から来た。
日本名婦伝:小野寺十内の妻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
山陰山陽十六ヵ国にわたる軍令権のみゆるしは、その
挙
(
きょ
)
にあたっていちいち都へ使いを
往返
(
おうへん
)
していてはまにあわないのですべてをゆだねられたものではあった。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
千種忠顕をはじめ、新田義貞、名和長年、ほか十指にも余るお味方武門が、たれひとり、宮に
殉
(
じゅん
)
じようとはせず、また宮のお体を奪回するの
挙
(
きょ
)
にも出ていない。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
しかも村重の
挙
(
きょ
)
に相継いで、摂津一帯の
高槻
(
たかつき
)
の
高山右近
(
たかやまうこん
)
も、
茨木
(
いばらき
)
の
中川清秀
(
なかがわきよひで
)
なども続々、反旗をひるがえしたというし、この中国においてすら、御着の小寺一族が
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
このうえは、家康がどうでるか、敵のでようによってこの
窮地
(
きゅうち
)
から
活路
(
かつろ
)
をひらくか、あるいは、浜松城の鬼となるか、武運の分れめを、一
挙
(
きょ
)
にきめるよりほかはない。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
しかしこの
挙
(
きょ
)
をみるまでの彼らの暗躍や苦心などに至っては、帝もご存知ないことが多かった。
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
まだその
挙
(
きょ
)
のないうちから、謙信は、天文二十二年のまだ弱冠のころに
逸
(
いち
)
はやく上京し、時の将軍義輝を介して、朝廷に拝し、
天盃
(
てんぱい
)
を賜わり、種々の献上物を尊覧に入れなどして
上杉謙信
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「そうだ。日々憂悶の果て、定房卿の苦衷が、ついにこの
挙
(
きょ
)
に出たものに相違ない」
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
赤坂の一
挙
(
きょ
)
のため、かえって、鎌倉は逆にかたまったといえる現状になっていた。
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
天皇奪回も戒心を要するが、この道中では、皇子奪回の
挙
(
きょ
)
もありえなくはない。
私本太平記:05 世の辻の帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
要は、かならず島送りの前後、大塔ノ宮一味や楠木の残党が、先帝奪回の
挙
(
きょ
)
に出るものと予想されますゆえ、在京の諸大将には、いちばい、備えにお抜かりなきよう、ご用心をたのみ入る
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「河内。よく申した。いちいち、うなずけぬことではない。……しかし、いまさら論議のときであるまい。作戦としては
如何
(
いか
)
に? 一
挙
(
きょ
)
、足利勢を粉砕する策はないのか。それを聞かせい」
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
わしの
苦衷
(
くちゅう
)
を語り、かつはまた、そちの信念を以て、いま信長公に弓を引くなどということが、いかに
無謀
(
むぼう
)
の
挙
(
きょ
)
に過ぎないか、また毛利家の強大な形容のみを見て、それに依存することの到底
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
地下道戦に失敗した寄手は、こんどは空中作戦の
挙
(
きょ
)
に出た。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
一
挙
(
きょ
)
即行
(
そっこう
)
。
新編忠臣蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
挙
常用漢字
小4
部首:⼿
10画
“挙”を含む語句
挙動
挙止
検挙
枚挙
挙措
言挙
軽挙
挙手
一挙
科挙
列挙
湯河板挙
取挙
挙家
挙世
春挙
挙句
応挙
選挙
暴挙
...