)” の例文
ソクラテスは鴆毒ちんどくおわったち、暫時の間は、彼方此方あちらこちらと室内を歩みながら、平常の如くに、門弟子らと種々の物語をして
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
要するにガラス絵といっても、少しも他の油絵や、水彩と変わりなく充分の写実力を養ってちでないと面白い芸術品は出来ないでしょう。
楢重雑筆 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
昨年函館の五稜郭が落去してちは、諸藩の兵も各引揚げて、上下交々一と休息という場合で、藩士などの往来は全く絶えていたのである。
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
遂に望みを達し得ざるのみならず、舎弟は四肢しし凍傷とうしょうかかり、つめみな剥落はくらくして久しくこれに悩み、ち大学の通学に、車にりたるほどなりしという。
其許に便たより行きつゝ訳は少しも明さずに一泊を乞いたるが夜明けてちも此辺りへは人殺しのうわさも達せず妾は唯金起が殺されたるや如何にと其身の上を
無惨 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
けだしこれ本校の世好にかかわらずその理学の一科を設け、数年のち大にこれを勧むるの地歩を為さんと欲するもの。余、その用意の疎ならざるを賀するなり(喝采)。
祝東京専門学校之開校 (新字新仮名) / 小野梓(著)
◯余はヨブ記の絶頂たる十九章を講じてち病を得、数回この講壇を休むのやむなきに至った。詩人バイロンは大なる天才であったが、三十八歳をもってこの世を去った。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
後悔してち百姓となり、無事に一生を送りしと、僕上野に遊んだ際、この穴を見たがおしいかな、土地の名を聞洩ききもらした、何でもき上に寺のある、往来の左方ひだりだと記憶している。
枯尾花 (新字新仮名) / 関根黙庵(著)
白色合弁の脣形花が穂をなして開きち丁度キササゲの様な長いさやの実を結ぶのである。
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
前途を見究みきはめて進行しんかうせしむ、善作一たび方向をさだめてすすむ時は、その誤らざる事磁石にるよりもまされりと云ふべし、しんに一行中屈竟くつけう好漢こうかんたり、中島鹿吉なるものは躯幹偉大ゐだい
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
それから棚に上ろうとして足をぴこぴこさせても上れなかった時に多くの生徒は再びどっと笑った。これからち器械体操に対する反感はいよいよ強くなって休むことが多かった。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
油にて揚げる時最初は火を弱くして緩々ゆるゆる揚げち火を強くしておろすべし。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
このち慶長十七年八月に至って、幕府は、一季居、耶蘇教、負傷者、屠牛とぎゅうに関する禁令とともに、煙草に関する禁令をも天下に頒った。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
◯人に満全を望みてち失望ししかして人をうらむ、これわが国人の通弊つうへいである。この時失望のあまり信仰よりつる者さえある。これ出発点において全く誤っていたためである。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
或るものはあめれてち出立すべしと言ひしも、予等の予定よていは最初より風雨に暴露ぼうろせらるる十日間にわたるもあへいとはざるの决心なるを以て、断然だんぜんあめおかして進行しんかうすることとはなれり
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
余は本校に向て望む、十数年のようやくこの専門の学校を改良前進し、邦語を以て我が子弟を教授する大学の位置に進め、我くに学問の独立を助くるあらんことを(謹聴々々、大喝采)。
祝東京専門学校之開校 (新字新仮名) / 小野梓(著)
居士の肺を病んだのは余の面会する二、三年前の事であったので、余の逢った頃はもう一度咯血かっけつしたちであった。けれどもなお相当に蛮気があった。この時もたしかを漕いだかと思う。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
福円の妻女は至って優しい慈悲深きたちゆえ親も及ばぬほど看病に心をつくし、桃山ももやまの病院にまでいれて、世話をしてやった、するとある夜琴之助が帰りきたり、全治なおりましたからお礼に来ましたと
枯尾花 (新字新仮名) / 関根黙庵(著)
と卑賤に身を起し、ち大法官に挙げられ、貴族となって、ロード・セント・レオナルド(Lord St. Leonald)と号した人である。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
◯ヨブはまず「わが心生命いのちいとう、されば我れわがうれいを包まず言い表わし、わが魂のくるしきによりてものいわん」との発語を述べてち、痛刻なる語をもって神と争わんとするのである。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)